第6章-2 眠れる芽衣

 研究所って、病院みたいだな、と思った。


 だけど病院と違うのは、とても冷たくて寒い感じがすることだった。

 夏は続いていて、僕は半袖で、クーラーが効きすぎているというわけでもないのに。


 お父さんが死んだあの日のようだった。


 ベッドの周りを色々な機械が囲んでいて、画面には何を表しているのか分からないようなグラフが波を描いていて、規則正しい間隔で電子音が響いている。

 その機械の外側を、研究所の人らしき白衣の大人たちが囲んで、何か叫んでいる。


 だけど、そのがやがやした空間の内側は、すごく静かで。

 お母さんが何度も名前を呼びかける、その声も何故か、すごく遠くに思えた。


 芽衣はその中心で、目を閉じて静かに眠っていた。


 一瞬、既に何もかも終わっているのではないかという不安が胸をよぎって、息が止まりそうになる。しかしすぐに、喉の奥から漏れてくる呻きだかなんだか分からない音に気付いて、まだ大丈夫だ、と思った。


 まだ生きてる。


 まだ動いてる?


 一瞬だけよぎったそんな言葉を、首をぶるぶると横に激しく動かして振り払う。


「芽衣」


 呼びかけてみても答えが返ってこないのは、単に眠っているからだ、多分。


「昼寝にはまだちょっと早いよ」

 夜更かしをしていたわけでもないはずなのに。


「お昼はしょうゆラーメンだよ。生麺タイプを買っておいたよ。美味しいやつだよ」

 この前の花火大会でちょっとはしゃぎすぎたのかな。


「……早く帰って、一緒に食べようよ」

 呼びかけても返事はない。


 膝を床につくと、僕はベッドに顔を埋めた。


 くぐもった機械の音が聞こえてくるのは、周りの機械の音なのか、それとも芽衣の音なのか分からなかったけど。


 お母さんはずっと、芽衣の名前を呼び続けている。


 周りの声が自分の耳に戻ってくる。


「再起動を試した方が」

「でもそうすると記憶装置の連続性が」

「だったら一時的にバックアップを」

「そもそもデータの読み出しに支障が」

「でもこのままだと機能停止します」

「当初データのバックアップは」

「無理です、むしろハードウェアの方に問題が」

「そもそも破損しています」

「復元できないです」


 自分にはよく分からない、芽衣の話だと理解できない――あるいは理解したくない、そういう言葉が頭上を飛び交っている。




 その時、秋山さんが言った。


「お母さん」


 一瞬違和感があった。

 秋山さんが「鳴元さん」じゃなくお母さんと直接呼びかけたのは、多分初めてだったと思う。


「和広くんは一度、家に帰した方がいいと思う」


 僕は思わず、秋山さんの顔を見た。


「芽衣、大丈夫なんですか」


「わからないけど」

 大丈夫、という言葉は返ってこなかった。


「だったら僕、このままここにいます。いちゃだめなんですか」


「ダメだよ」

 僕の言葉を遮るように、短く言う。


「手当ての邪魔になるのなら、外で待っていてもいいです。家に帰っても誰もいないし、それだったらここにいた方が」


「和広くん」

 秋山さんは、僕の目をじっと見た。


「いくら妹だからって、女の子なんだから男の子には見せたくない部分もあるんだよ」


 冗談めかせて言おうとした言葉は、全然冗談っぽく聞こえなくて、上擦っていて。


 天を仰いで、息を吐いて、肩を少し揺らしてから。


 やっぱり上擦った声で、言った。


「MAY-10Xじゃなく、芽衣ちゃんで、いさせてあげて」


 MAY-10X、という言葉を口にする時に、一瞬詰まったように思えた。初対面の時に一瞬口にしてたけど、僕の前では口にしないようにしてたんだと思う、その言葉を。


「……芽衣」


 少し俯いて、小さく妹の名前を呼んでから。


 秋山さんの目をもう一度見ると、僕は黙って、頷いた。

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