第5章-5 夢じゃないです
花火大会が終わると、辺りの観客が一斉に動き出す。
あまり遅くならない方がいいけど、だけど慌てて行ってもはぐれて危ないだけだろう。僕たちは少し余韻をかみしめて、残ったお茶を飲んでしまってから、はぐれないように手を握って駅に向かった。
電車を何本か見送ったおかげで、次の電車は少しだけ座席が空いていた。
少し狭いけど、女の子ならぎりぎり三人座れそうな場所があったので、軽く体を座席に乗り出して、手で三人に合図する。
「座って」
小声で言う。
「お兄ちゃんはいいの?」
芽衣が僕の顔を見上げる。
「大丈夫、僕は立ってるから、芽衣が座って」
「……わかった」
「子供が座ってもいいのかな」
真理恵ちゃんが心配そうに言った。
「大丈夫。……だいたい、三人とも吊り革を持つには危ないでしょ。こんな混んでる電車なんだから、吊り革につかまれない子は座ってる方がいい」
それに、大人二人ぐらいの幅で三人座れるから、ちゃんと座席の有効活用だろう。きっと。
「そうですね」
オアシスちゃんが先に座ってから、芽衣と反対側にちょっと詰める。
「じゃ、失礼します」
二人の間に若干体を押し込むように、真理恵ちゃんが座る。
小さく息を吐くと、疲れが出たように少し俯いた。
混雑した電車の中は、祭りの余韻がまだ冷めない感じと、祭りの後の気だるさが入り交じったような、なんとも言えない雰囲気が漂っている。
隣のお姉さんの浴衣が僕の首筋に押しつけられて、ちょっとどきっとした。浴衣の生地ってこんなにざらっとした感じなんだろうか。
この辺の電車は何度も乗っているはずだけど、こうして夜に乗ると景色は昼間と全く違う感じで、しかも窓ガラスは反射して外の風景じゃなく僕の顔ばかりを映している。車内放送をちゃんと聞かないと、うっかり乗り過ごしそうで怖いけど、ずっとがやがやとしていて車掌さんの声は少しだけ聞き取りにくい。
窓ガラスの向こうの僕に向かって、小さく笑ってみた。
窓に映る見慣れた男の子の笑顔はどこかぎこちなくて、なんとなく少し肉がついたような、だけどなんだかやつれたような、そんな表情をしている。
視線を落とすと、真理恵ちゃんと芽衣がお互い目を閉じて、相手に少しもたれるような感じで小さく寝息を立てている。
僕とそんなに背が変わらないくらいの真理恵ちゃんと、背の順もずっと前から五番以内の芽衣とだとかなり体の大きさは違うし雰囲気も違うんだけど、なんとなくその姿は相似形という感じがして。
妹の友達なんてそれほど意識して見ていたわけでもないし、率直なところ今まで、なんかわりと背の高くて芽衣がよく話題に出す友達だなぁ、ということしか記憶になかったんだけど、なんだろう、なるほど友達なんだな、と思ったりする。
……寝過ごさないように、一つ前の駅あたりでちゃんと起こさないといけないな。
そう思っていると、不意に落ち着いた声が僕に掛かった。
「お兄さん、疲れてないですか」
斜め前――というよりほとんど前に座ったオアシスちゃんが、気がつくと僕の方を見ていた。
「……大丈夫だよ。ちょっと眠いけど」
「電車に乗るとちょっと疲れちゃいますよね」
「寝過ごさないようにしないと」
そう言いながら、僕はまたちらっと芽衣の方を見る。
「まるで芽衣ちゃんみたいですね」
心臓がどくんと一つ大きく脈打った。
「……本当に似てるよね」
「まるで本当の兄妹みたいです」
唾をごくりと飲み込む。
大丈夫。オアシスちゃんは芽衣がロボットなのは知らないはずだ。さっきもたこ焼きとかあげようとしていたから気付いていないはずだ。というのか普通はロボットだとか考えもしないはずだ。
しばらくの無言を、オアシスちゃんは単に芽衣のことを考えていたからだと思ったのだろう。
「不思議ですね。芽衣ちゃんは亡くなったはずなのに、メルちゃんと真理恵ちゃんと三人で、何事もなかったかのように夏休みを過ごしている気がして」
「僕も一緒だよ。……メルは芽衣とは違うのに、一緒に来ているような気がして」
「真理恵ちゃんがあんな楽しそうにしてるの、久しぶりに見ました」
オアシスちゃんが横を少し見る。肩を規則正しく小さく揺らしている。眼鏡の奥で閉じたまぶた。
「真理恵ちゃん、やっぱりずっと元気なかったの?」
「元気ない、どころじゃなかったですね……。いつも俯いてて、声を掛けられない感じでした」
「オアシスちゃんも?」
「何度か声を掛けてみたんですが、うんとか、今度ねとか、そんな感じで」
「……そっか」
「親友のつもり、だったんですけどね。芽衣ちゃんには勝てないな」
「メルのおかげで元気になったのならいいんだけど。……いや、他人事のように言ってるけど、僕だってそれはそうか。メルのおかげでどれだけ救われてるか」
嘘を吐いているのは『メル』という固有名詞だけで。『MAY-10X』と置き換えたら、それは自分の本音で。
電車が鉄橋にさしかかって、がたんがたん、と大きな音がする。
「なんだか、夢を見てるみたいだよね」
ぼんやりとそう呟いた。
「――夢じゃないです」
車輪の音に混ざって、その音は何故かはっきりと大きく聞こえた。
「夏休みの大切な思い出になったよね」
「そういうことじゃないんです」
その時初めて気付いた。さっきから、オアシスちゃんの口調が変わっていることに。
いつもの柔らかい、優しい雰囲気の奥から、意志の強そうな瞳が僕に向いていて。
「夢ならまだいいんです。夢を見るのは寝ている間です。起きたらなかったことになって、また次の一日が始まりますから」
混雑した電車で、しかも寝ている二人を起こさないように、その口調は落ち着いていたけど。何故か僕の耳の奥にはとても響くような気がした。
「夢じゃないです。――これは、嘘です」
さっきまでのオアシスちゃんと別人のような顔で、じっと僕の方を見る。
「だから駄目だなんて私は言いません。――嘘も方便、という慣用句を学校で習いました。だけど、だけどです」
そこで一度俯いてから、もう一度顔を上げた。
「真理恵ちゃんは――多分、ちゃんと分かってないと思います。お兄さんはどうですか」
年下の女の子の視線は、その時は僕の瞳を貫くかのように思えた。
「お兄さんは、これが嘘だと本当に分かっていますか?」
窓の外を見ると、一つ前の駅の駅名標が流れていく。そして車掌さんが、僕たちの降りる駅名を告げる。
僕は優しく、芽衣の肩を揺すった。
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次の節が短いので1時間後ぐらいに更新します。
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