第5章-4 お姉さんにはなれない

 薄暗くなって来た露店の並びに、電球がいくつも灯っている。


 自分が元来た場所が分からなくならないように、振り返って景色を確かめる。「きゅうりの一本漬け」と書いてあった。分かりやすい。


「はい」


 きょろきょろしていると、花火大会のTシャツを来た男の人から、うちわを渡された。とは言っても丸い紙に穴が開いているだけのやつだけど。もらった時には広告の面が見えていたけど、裏返してみると漫画っぽいイラストが入っていた。


 こんな円盤型の紙でも、あおいでみると意外と涼しい。


 かき氷の露店がすぐそばにあったけど、溶けるから多分最後に買った方がいいだろう。……そう言えば自分の分も何か選んでおこうかな。たこ焼きにイカ焼きに、からあげにベビーカステラに。目移りする。金魚すくいとかくじ引きとかもあるけど――金魚すくいは久しぶりにやってみたい気もしたけど、一人で遊んで帰るわけにもいかない。


 少し迷ってから、いちばんみんなで分けやすそうで無難なからあげの列に並ぶ。

 ちょうど一気にたくさん揚げている最中らしく、列は止まったままだった。


 すぐ前では浴衣姿のお姉さんが二人、さっきのうちわであおぎながら楽しそうに話をしている。大人っぽいけどもしかすると高校生ぐらいかもしれない。青っぽい浴衣の長そうな髪を結った人と、桃色っぽい浴衣で、柄は違うんだけどどちらも花柄で(――何の花なのかは僕には分からないけど)ちょうどペアみたいになっている。


 そう言えば芽衣たちも浴衣を着せてあげれば良かったな、と思った。誰も浴衣の着付けができない気がするけど……最後の思い出になるかもしれないし。


 そこまで考えてから、首を横に振る。別にこれが最後ってわけじゃないんだから。


「あれ、キミ一人?」


 青の浴衣のお姉さんが、振り向いて僕に話しかけた。


 ふわっと良い匂いがした。

 散髪屋さんのシャンプーの匂いだな、って思った。


 自分の目線の先に胸があって、ちょっとふっくらしていることに気付いて、そっと目を逸らす。


「いえ、妹たちが待ってます」

「なんだ、一緒に花火見ようと思ったのに」

「ナンパしちゃだめだよ」


 桃色浴衣のお姉さんが僕との間に割り込んでくる。……ナンパとか言われて逆に自分の方がどきりとする。


「ほらこの子、すごい緊張してるよ」

「赤面してるだけじゃないの?」

「ミカだって年上のイケメンに声かけられたら赤面するでしょ」

「ほう、自分は美人だと」

「違うって……ほら、困った顔してるでしょこの子」


 ちょうどその時、揚がったらしく列がぞろぞろと動いた。


「中を二つで」


 青の浴衣のお姉さんが屋台のおじさんにピースマークを出す。


「塩とバジルとスパイシーがあるけど、どれ?」

「じゃ、塩で」

「私はスパイシー」

「あいよ」


 手慣れた調子でからあげに粉を振りかける。……なんでこういう時の屋台のおじさんって、何かをかける動作がとてもリズミカルなんだろ?


「はい、ありがと!」


 からあげが二つ差し出される。


「キミも花火大会楽しんでね、妹さんたちにもよろしく!」


 青い浴衣のお姉さんが謎のウインク。


「ほら、行くよ」


 桃色浴衣のお姉さんが手を引っ張りながら、僕に手を振った。


「すぐ揚がるからちょっと待ってね」


 屋台のおじさんが僕に言う。ちょうどさっきのお姉さんの分で、揚げた分がなくなったらしい。


「注文だけ先に聞いておこうか」

「えっと、大を一つ」

「あいよ」


 揚げ油の中から上ってくるあぶくを見ながら、ぼんやりと考える。


 ……芽衣も本当なら、あんな風に大きくなっていたんだろうか。

 どんな女の子になったんだろう。結構調子がいいから、青い浴衣のお姉さんみたいにちょっとなれなれしい感じだったんだろうか。でもお母さんに似てクールだったりリケジョだったりしたんだろうか。多分お兄ちゃんお兄ちゃんとはもう言ってくれなくなってたんだろうな。グレることはまぁ、ないと思うけど。胸もちょっとは……と一瞬考えて、やめる。

 さすがに罪悪感が。


 ……罪悪感を味わっておいてから、でもそうだ、そんな日は来ないんだ、と改めて思い直す。


 ざわざわと賑わう雑踏の中で、ひとりぼっちのような気がして。


「はい、塩とバジルとスパイシーのどれ?」


 露店のおじさんに言われて我に返る。


「……塩で」


 バジルも気になったけど、みんなで食べるのに変なトッピングもどうかと思って、素直に塩にする。


「あいよっ」


 すぐにからあげが差し出されて、そっと胸に抱えるように持った。


 思ったより時間がかかったな、と思った。

 さっきまでは花火が上げられるんだろうか、と思っていた空の色も、明るい星が少し見えるようになっていて。


 からあげを持った僕が戻ってくると。

「お兄ちゃん、こっちこっち!」

 芽衣が手を上げて僕を呼んでいた。




 遠くの方のスピーカーでは、どこかの男の人が挨拶をしている。

 多分どこかの偉い人なんだろうけど、そんな校長先生の挨拶みたいなのがあること自体、今まで知らなかった。朝礼だったらみんな静かに聞いているんだけど、


「それでは、花火大会を開始します!」


 がやがやと賑やかだった周りの空気が、急に静かになる。だけど完全に静かになるわけではなく、これからのお祭りに期待するように、ざわ、ざわと小声で誰かが話しているのは止まない。


 そして一瞬だけざわめきが止んだのを待ち図ったように。


 光の大輪の花が夜空に開いて、その光が来てから一瞬遅れてから音が体に伝わって来て、さらにそれから一瞬遅れてから今度は歓声が上がる。


 音というのは振動なんだ、と初めて実感で思った。


 びりびりびりと、僕の頬を花火の音が打つ。


「すごい、すごい!」


 芽衣がはしゃいだ声を上げる。


 その声に答えるのも忘れて、僕は黙って花火を見ていた。

 しばらく見とれていてから、ふと我に返って、周りを見回す。


「すごいですね」

「うん」


 オアシスちゃんと目が合って、小さく声を交わす。あとの二人は上を向いたまま花火に見とれていて、「わー」とか「おー」とか言葉にならない声を出し続けている。花火が上がるたびにその横顔が照らし出される。芽衣はにこにこしながら、真理恵ちゃんは口も半開きのままで……よだれがちょっと垂れかけてるのは見なかったことにしよう、女の子だし。


「こんな近くで見たの初めてです」

「ちょっと首が痛いけど」

「寝転がりたいです」

「空いてたらそうするんだけど」


 砂や小石がついてちょっと痛いし汚れてしまうけど、肘を地面について、体を大きく斜めにもたれさせてみる。

 定番の大きく花開く花火は一段落して、今は変わった形の花火が上がっている。


「……芽衣ちゃん、ニコちゃんマーク!」

「真理恵ちゃん、ハート!」

「お星さま!」

「スター!」

「にこにこハート!」


 二人でずっと言い合っている。


 ちなみににこにこハートって何だろうと思ったら、ニコちゃんマークとハートが同時に重なり合って上がっていた。

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