第5章-3 花火大会

 花火を見に行こう、と最初に言い出したのは多分芽衣だったと思う。


 いつもだったら家の近くから、遠くに上がるのを見ている花火大会だった。だけど去年だったか、芽衣の友達が(――多分真理恵ちゃんでもオアシスちゃんでもなかったはず)家族で間近で花火を見たと聞いて、来年は近くで見たい、見たいとずっと言っていた。


 普通だったら小学生だけで夜にお出かけとか、許してもらえるわけがないと思う。

 でも、お母さんは僕と芽衣の友達だけで、「行っておいで」と言った。


 言いたいことはなんとなく分かったから、何も言わずに「分かった」と言った。


 それなら芽衣たち三人で行ってもいいんじゃないかと思ったけど、女の子だけというのはさすがに気が引けたようで、結局僕も付いていくことになった。




 家の前でみんなで待ち合わせて、普通電車で二駅。


 電車の駅を降りると、もうそこから花火大会の会場までは、何も知らなくても分かるような人の流れができている。


「ちょっと暑いですね」

 オアシスちゃんが言う。


「……ちょっとどころじゃなく暑い」

 そう言って僕は吐息をついた。


 この前のピクニックみたいに自然が豊かなところだったら、もう少し風も通るんだけど。

 ここは市街地に近くて自然も少なくて、しかも花火が上がり始めるまでまだ二時間ぐらいあるのに、自由に動きにくいぐらいにもう人が多0い。


「お兄さん、大丈夫ですか?」

 心配そうに言うオアシスちゃん。


「……ヒキコモリは体力が落ちてるんだよ」

 今年の夏はラジオ体操以外あんまり外に出ていない気がする。ピクニックぐらいか……。


「私も溶けそうです……」

 僕以上に外に出てなさそうな真理恵ちゃんが、元気のない声で呟く。


「二人で溶け合おうか」

「意味が分からないです……」


 トラとかヒョウとかなら溶けたらバターになりそうだけど、これでは溶けてもラードだろう。……ラードだけ出てくれたらいいなとちょっと考える。


「秋までに社会復帰してくださいね」

 くすっと笑いながら、オアシスちゃんが先輩に対して随分と辛辣な返しをしてくる。


 正直、焼きそばやらフランクフルトやらの屋台から漂ってくる煙ですら、良い匂いより熱さの方を感じてしまう。

 先に進むにつれてどんどん混雑は激しくなっていく。この辺にしようよ、と声を掛けようとした時に、先に芽衣が言った。


「もっと花火の近くに行こうよ」

「うん!」


 そう言って真理恵ちゃんが芽衣の手を引いて人混みの奥へと行こうとする。


「待って、迷子になる」


 芽衣の手を握ったけど、そのまま引き留められずにずるずると奥へと向かう。


「オアシスちゃん」

 声を掛けると、オアシスちゃんも意図を察して僕の空いている方の手を握った。


「待てって! そんな人混みの奥に行っても大人に埋もれて見えないよ!」

 少し大声を出してみるものの、芽衣の先にいるはずの真理恵ちゃんはもう後ろ姿しか見えなくなってて、声だけが返ってくる。


「せっかくだから前で見たいじゃないですか!」

「迷子になったらどうするんだよ! 花火大会は来年もあるよ!」

「でも!」

「だって、芽衣ちゃんと見られるチャンスなんて、もう今年だけかもしれないんですよ!」


 一瞬足を止めかけたけど、すぐに強く手を引かれる。


「お兄ちゃん、行こうよ!」


 ああ、良くない。

 芽衣にそう言われたら。


「おっけー」


 そうとしか言えない。芽衣はずるいし、僕は弱虫だ。


「子供だけであんまり奥に行っちゃだめだよ、って言われてたのに」

 そういうと、オアシスちゃんはくすくすと笑った。


「お兄さんが保護者ってことにしましょう」

「僕も子供だよ……」

「私たちよりは大人です」


 そう言ってから、小さく付け足した。


「きっと」




 迷子になるかと思ったけど、真理恵ちゃんの行く方向は当たっていたらしく、手を引っ張られて行くとそこは川沿いの土手だった。


「花火、どこから上がるんだっけ」

「確か、あっち」


 真理恵ちゃんが上流の中洲を指さした。


 さすがに早くから場所取りしている人が多くて、人一人か二人が通れるぐらいの通路を残して既にかなりレジャーシートで埋まっていたけど、少し離れるけど下流に行けば空間がありそうだった。


「あそこでいい?」


 僕が指さすと、「うん」と言って、僕と真理恵ちゃんの手を離して芽衣がとてとてと走って行った。まぁここまで来れば迷子になることもないだろう。


「えっと、敷くものは……」


 真理恵ちゃんが言う。


「レジャーシート、持って来たよ」

 背負っていたリュックから、オアシスちゃんが折りたたまれたシートを出す。

 子供向けのアニメの、悪者と戦う女の子の柄が大きく入っていた。


「あ、懐かしいっ!」


 そう言いながら芽衣が、靴を放り出すように脱いで、広がったシートにいちばんに座る。


 片方の靴がひっくり返っていたので、僕はしゃがんでそれを揃える。ちょうど目の先に主人公っぽい女の子の大きな顔が描かれていて、目が合って思わずじっと見てしまう。


 背中の上から、オアシスちゃんがちょっと恥ずかしそうに付け足す。


「小さい頃から使ってるシートですから」

「あ、いや、別に」


 そう言いながら僕は腰を上げたけど……なんとなくかわいい女の子のキャラクターを踏んづけたり上に座ったりするのが気が引けて、靴は脱がずに隅っこにお尻だけちょっと乗せた。


「遠慮しなくていいですよ」

「いや、狭そうだし僕はここで大丈夫」


 それに、妹と妹の同級生とはいえ、女の子三人の中に男の子が一人で混ざるのは照れくさいんだよ。言えないけど。


「お菓子もあるよお兄ちゃん!」

 芽衣がポテトチップスを差し出す。


 シートの上を見ると、他にもクッキーやらチョコ菓子やらがいっぱい置いてある。


「……真理恵ちゃんかな」

 真理恵ちゃんは無言で頷いた。


 なんだか少しぷにぷにしている気がする。

 今度から遊びに来た時にはお菓子は出さない方がいいかもしれない。


「もらっていい?」

 僕が言うとまた無言で頷く。


 ……あ、気がついた、ほっぺたが膨らんでる。


「じゃ」


 個包装のクッキーとかチョコを何個かつまんで、また背中を向けてシートの隅に座る。


「でさ、真理恵ちゃん真理恵ちゃん!」

「むぐ」

「この前クイズ番組みてたんだけど、こんなの知ってる?」

「むっむ……」

「ねぇメルちゃん、真理恵ちゃん口の中いっぱいで苦しそう」

「むー」

「あー、もう真理恵ちゃんお茶お茶」

「でさ、クイズなんだけどね! えっと、なんだっけ、先生がいてね、それで、えっと」

「芽衣ちゃん、落ち着いて、何言ってるか分からないです」


 背後ではずっと、仲良さげに会話が続いている。

 これはどうやら、僕はお邪魔虫だな。


「ちょっと何か買って来るよ」


 お母さんから小遣いはもらっている。と言うのか、「みんなが来るのなら」と普段よりかなり多めのお金をもらっている。


「何か欲しいものとかある?」

「チョコバナナ」


 真理恵ちゃんが即答で言った。

 僕は無言で、レジャーシートの上のお菓子の山を見る。

 それから芽衣と目が合って。


「かき氷とかどうかな、お兄ちゃん」

「フライドポテトとかみんなで分けられそうです」


 二人からも提案があったところで。


「……チョコバナナはちょっと分けにくいから他のものにしようか」


 なんとか思いついた却下する理由を伝えて。

 結局かき氷とポテトと焼きそばと、あとは僕におまかせになった。

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