第5章-2 未探査のそらのむこう

 買い物に行く、と念のため台所に置き手紙をしてから、玄関で靴を履く。

 鍵を掛けようかちょっと考えてから、すぐ帰るからいいか、と結局そのまま外に出た。




 別に買わないといけないものがあるわけでもないけど、何となく、家にじっといたくもなかったから。


 ……しょうゆラーメン、なくなってたから買っておこうか。

 ちょっと高いけど、たまには生麺を買ってもいいかもしれない。


 そんなことを考えていると、向こうから走ってきた自転車が目の前に止まった。


「よ」


 穴の開いたちょっとかっこいいヘルメットを被った阿賀里が、手を上げた。


「よ」


 同じように手を上げ返す。


「これから用事?」

「特に急ぎでもないけど」


 買い物に行く、と言おうかと思ったけど、どっちでもいいかなと思った。


 すると阿賀里は、サドルから降りて僕に言った。


「この前の約束だけどさ、ちょっとだけ俺の家に遊びに来ないか? 親もいないし」


 なんとなく、誰かと話したかったんだと思う。

 僕はこくりと頷いた。




 阿賀里の家は僕の家から歩いて数分のところにある。正直、うちとあまり変わらないような、よくある建売住宅のような家だ。

 家の場所は知っているけど、中に上げてもらったのは初めてかもしれない。


 僕の部屋や芽衣の部屋と同じように、玄関から入ったところの階段を上がる。


 部屋に一歩入って、僕は思わず少し声を漏らした。


「ちょっとびっくりしただろ?」

阿賀里が自慢げに言った。


 壁に大きく貼られていたポスターには、太陽系の惑星の姿が描かれている。木星とか土星とかは僕でも分かるけど、見たこともないものも混じっている。マケマケってなんだ。カチカチの逆?


「準惑星だよ」


「じゅんわくせい?」

「惑星のちっちゃいやつというのか、小惑星のでっかいやつというのか。冥王星は知ってるよな?」

「一応」


 学校の図書館の本だと惑星になっていた。降格したって話だけど。


「初めて見た。こんな風になってるんだ」

「冥王星とケレス以外は想像図だけどな」


 そう言いながら学習机に座る。


 本棚に載っているプラモデルも、よく見ると小惑星に向かって旅立っていった人工衛星だ。


「そういうの好きなの?」

「宇宙飛行士とか、なりたいんだ」


「宇宙飛行士」

「そう見えないだろ?」


 笑ってみせる阿賀里。


「というと、月に行くとか?」

「月基地を作るってアメリカが行ってたよな」

「マジで」

「らしい。アニメみたいだよな」


 そう言いながら、椅子に座ったまま車輪を動かして、隅に置いてあった座布団を僕の前に軽く投げた。


「月も憧れるけど、どっちかと言えば宇宙ステーションかな」


 話を聞きながら、僕は座布団に腰を下ろす。


「実験棟で色々な実験をしたりとか……」


 そう言いかけてから、笑って言った。


「青い地球を見てみたい」

「なるほどなー」


 座布団から手を後ろについて、椅子に座る阿賀里を見上げる。


「でも、宇宙飛行士ってすっごい難しいんじゃない?」

「すっごく難しい」


 すっごく、のところを僕の倍ぐらい溜めて言う。


「多分、成績もよくないといけないし、運動もできないとダメだし、体も健康じゃないとダメだし」

「完璧超人だな」

「完璧超人じゃないと無理なんだよ実際」


 溜め息をついてみせるその割には、あんまり落ち込んだ様子もなかった。


「まぁ、実際難しいと思うけど、俺たちはまだ小学生なんだからさ、多分まだまだどう変わっていくか分からないじゃん」


「良く変わるか分からないけどな。……まぁ、頑張って見て悪いことはないだろ。自分が飛べなくても、チームの一員になれるかもしれないし」


「……すごいね」


 僕にはそれしか言えなかった。


「そんなことよりさ」


 阿賀里は急に、僕の目をじっと見た。




「和広は何になりたいんだよ」




 何秒か音が消えたような気がした。

 出そうとした声が、食道の辺りで何かに塞がったようになって。


 少し力んだようになってから、呼吸と一緒にやっと吐き出された。


「わからない」


 何か言ってくれ、と思った。だけど阿賀里は黙ったままだった。


「誰か教えて欲しいよ」


 情けない言葉だと自分でも思ったけど、本音だった。


 阿賀里は座布団も敷かずに、僕の前に座った。


「……クラスのみんな、心配してるんだぜ」

「そっか」

「あの日から、和広の時間が止まっているように見えてさ」


 その言葉に思わず阿賀里の顔をじっと見た。


「……小学校最後の夏休みだぜ?」


「来年は頑張らないとな」

「中学になったらもう小学校の夏休みは二度と味わえないぜ」


 片目をつぶってみせた。

 男にウインクされても――と思ったけど、でも案外、特に気持ち悪いとも思わなかった。


「青い猫型ロボットと一緒に冒険するとか」


 僕が冗談を言うと、阿賀里はにやっと笑った。


「宇宙冒険とかいいよな」

「お勧めはある?」

「うーん、海王星とか冥王星とかは寒そうだし、水星とかは暑そうだし」


 ポスターを見ながら阿賀里は真剣に悩み始めた。


「マケマケとか」


 さっきも気になっていた名前を言ってみる。


「……寒いし、多分何もないと思う。ほとんど謎だけど」

「何も情報がない方が面白そう」

「言えてる」

「というのか、海王星とか冥王星とかは分かってるの?」

「この前冥王星まで探査機が辿り着いたらしいんだ、それが」


 それから気がつけば1時間以上、阿賀里はポスターを見ながら色んな話をしてくれた。

 今まで星のことなんてせいぜい織姫と彦星ぐらいしか興味がなかったけど――阿賀里の話が全て面白くて。


 途中で地球儀の代わりに星座が書かれた模型とかも持って来た。天球儀と言うらしい。……見たこともないような星座の名前が書かれていて、コンパス座とかじょうぎ座とか、さすがにロマンがないんじゃないか、と思った。




 軽口を叩いて、だいぶ気持ちは紛れたけど。

 でも、胸の奥には杭が刺さったような気分のままだった。




 結局ラーメンは買わずに、早めに家に帰るとまだ誰もいなくて、それから日が暮れる直前に芽衣が帰って来た。


 芽衣の顔を、何となくじっと見られなかった。

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