第5章-1 時間の止まったダイアリー
昔からそうだったんだけど、特に芽衣の友達が遊びに来ている時には、僕は台所とかリビングにいることが多い。
僕の部屋は芽衣の部屋の隣にあるけど、お母さんがいない時はどこにいても誰の邪魔も入らないし、電話が掛かって来た時にも出やすい。そしてたとえ妹の友達とはいえ、すぐ隣の部屋に女の子が集まっていると……正直、落ち着かない。
だけど、リビングにいると一つ大きな欠点があって……テレビもあるし、お母さんがいないとゲームだってし放題だから、そういう誘惑を断ちたい時には自分の部屋に戻ることにしている。
ちょうど、ドリルとかが溜まり気味になっていて。
集中して片付けたくて自分の部屋に戻って勉強していたけど、芽衣と真理恵ちゃんとオアシスちゃんと――つまりはいつもの三人が揃っていて。あまりに顔を合わせるので、真理恵ちゃんのこともいつしか名前で呼んでしまうほどに。多分何かゲームをしてるんだろうけど、何か楽しそうにしている様子は分かって、だけどそれ以上はよく分からなくて。
ドリルを少し解くたびに、隣の様子が少し気になっていた。気になったあとに今度はどうでもいいことを考えたりする。来年は中学生だなぁとか。
僕が小学校六年生で、芽衣は四年生で。
来年には中学一年になって……芽衣は?
「お兄ちゃん、真理恵ちゃんのところに行ってくるね!」
ドアが半分開いて、芽衣の声が飛び込んでくる。
「ちゃんと帽子とか被って行かないと駄目だよ」
夏の日焼けとかの問題もあるし……芽衣のいとこのメルだという言い訳はあるものの、いないはずの芽衣が目に付くのは避けたい。それを言えば本当は芽衣が外に行くこと自体を避けるべきなんだろうけど。
夏休みの思い出を、少しでも増やしてあげたかった。芽衣にとっても、二人にとっても。
三人の足音が階段を駆け下りていき、玄関のドアが閉まる音がすると、静けさが訪れる。
そう言えばさっきお茶とお菓子を渡した気がするけど、さっき台所に寄った感じはしなかった。というのか勢いよく階段を駆け下りていったから、何も持って降りたようには思えなかった。
いちいちそんなことを考えたのは、芽衣の部屋に行く自分なりの理由付けだったんだと思う。
部屋に入ると、まだ氷の残ったコップとお菓子のお盆が置いたままになっていた。ゲームの電源は切られていたけど、まだゲーム機のコントローラも投げ出されたままになっている。
いったん片付けておくかな。
残して出て行ってはいるものの、ちゃんと三人ともお盆にコップを乗せているのが女の子らしい几帳面さだなぁと思った。
そのままお盆を持ち上げようとして、ふと足を止める。
……そう言えば、あの事故以来、芽衣の部屋をじっくり眺めたことはなかったような気がする。部屋に入ったことぐらいはあったけど、芽衣のいない部屋を見るのが辛くてすぐに出て行ったし、芽衣が帰って来てからはいつも芽衣がいるので逆に入ることがなかった。
というのか、それ以前から芽衣の部屋に行くことは少なかったかもしれない。一応女の子の部屋だし、しかも芽衣の方が僕の部屋に遊びに来ることが多かった。
改めて見回すと。
几帳面に片付いている部屋だなと思った。僕の部屋とは大違いだ――一応芽衣が部屋に来た時に恥ずかしくない程度には片付けてるけど。
教科書とかノートとかが机の上の本棚に並んでいる。
……もう、使うことのないはずの。
胸の奥がどくんと、強く脈打った。
芽衣がいることがいつしか日常になっていたけど、でも芽衣には夏休みの宿題もないし――そして、小学校に戻ることもできない。
だって。
鳴元芽衣は、もう死んでいるから。
ここに芽衣はいるけど、死んでいるから。
持っていたお盆が傾いて、コップが一つ床に落ちた。
ぱりん、と不思議なくらい呆気ない音がして二つに割れる。その音で我に返って、割れたコップをとっさに拾って繋げてみて、少ししてからそんなことしても意味がないことに気付いてそっと置く。
不幸中の幸いで、破片はほとんど散っていない。細かい破片があったとしても多分お盆の上だ。
……今時ガラスのコップなんて一〇〇円ショップで買えるのに、割れるとこんなに落ち込むのは何故だろう。
大きく息を吐いて、その場に体操座りをする。
目の前には漫画とかが入っている本棚があって。
ふと、その間に少し引っ込んで挟まっている、革表紙風の本に目が留まった。
……日記なんだろう。
それは見ればすぐに分かった。「DIARY」と書いてあるんだから、疑う余地もなく、多分日記だ。
人の日記なんて見ちゃいけない。普段の自分なら、いくら妹だからと言って……いや、妹だからこそそんなことはしないのに。
気がつくと僕はそれを取り出していて。
……だけどゆっくり読む勇気もなくて、あまり丁寧に読まないように、ぱらぱらとページをめくる。
多分大したことは書いていないような感じで。毎日書いているというわけでもなさそうだ。……「お兄ちゃん」という言葉が見えたけど、それは意図的に続きを読まずにページをめくった。
だけど、ぱらぱらとページをめくっていると、ふとこんな言葉が目に入って来た。
『大きくなったら、わたしはかんごしさんになりたい。あ、でも先生もいいかもしれない。ほいくしさんもいいな』
「おおきくなったら」
その言葉を口の中で小さく呟いた。
『でもやっぱり、わたしはかんごしさんになりたい。みんなの役に立って、そして病気のひとたちがにこにことわらえるように、したいな』
本当なら芽衣は大きくなって、中学生になって、高校生になって、いつの間にかきれいな女の人になって僕がどきっとすることがあったり、そしてもうお兄ちゃんお兄ちゃんと連呼してくれなかったり、多分色々と変わっていったんだろう。それは多分嬉しいことであると同時に寂しいことだったりしたんだろう。
それはまだ子供の僕にとってはまだまだ想像もできないような未来で。
もう訪れることのない未来で。
たとえMAY-10Xがそばにいたとしても、いつまで経っても10Xで、11Xにも12Xにもなることはない。僕と芽衣が同じ年を同じように大きくなる未来は、もうない。
芽衣の時間は止まっているんだ。
そして僕の時間はまだ動き続けていて。
今はまだ、そんなに時計はずれてないから、二人一緒に歩いているような気がするけど、近い将来にははっきりと差ができ始めてしまう。
今はまだ、夢見ていられるけど、いつまでも夢を見ていてはいけない、いつか目が覚めて、夢は夢だと思い知らされる。
その時に。
僕はどうすればいいんだろう。
その時、電話のベルが鳴り響く。
しばらくぼんやりとしていたことに気付いて、我に返る。
他に誰がいるわけでもないのに、慌てて日記を閉じて、階段を駆け下りてリビングの電話を取った。
「はい、鳴元です」
「あ、おにいちゃん?」
芽衣の声がして、しばらく黙る。
「おにいちゃん、どうしたの?」
「なんでもない。どうしたの?」
「今日、真理恵ちゃんの家で夕方のテレビ見てから帰っていい?」
「僕は構わないけど」
……。
電話を置いた僕は、ビニール袋を持って芽衣の部屋に戻って、取り敢えず用もなく隣の漫画を取り出してから、日記を戻した。
残りの日記を確かめるのは、怖くてできなかった。
それからビニール袋に割れたコップを入れて。
なんだか怖いので、コップだけ先に持って降りて、もう一度戻ってからお盆だけを台所に運んだ。
リビングに寝そべった。
電気がついてない、暗い部屋の天井を見上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます