第4章-4 どちらを選ぶかと、王様は言った

 みんなで記念写真を撮ろう、とお母さんが言った。


 近くにいた家族のお父さんにカメラを託すると、ライオン像の前で四人で並ぶ。


「芽衣はこっち」

 左端に立つお母さんが、芽衣の手を握って引き寄せて、僕と場所を入れ替えた。

「はあい」

 芽衣はそのまま、小さくピースを作って頬にひっつける。


「お母さん取られちゃったね」

 代わって僕の右側になった秋山さんが、冗談めかして言った。


「……別にいいです」


 そこまでお母さんに甘えたいわけじゃない。


「照れなくてもいいのに」

 秋山さんが僕の肩を抱き寄せる。


 思わず表情を変えようとしたところで、シャッターが押された。


「あ、ちょっともう一枚!」


 慌てる僕の言葉を無視するように、駆け寄ったお母さんがカメラをのぞき込んで、「これで大丈夫です、ありがとうございます」と言った。

 後ろではまた、誰かが喰われたらしく獅子の雄叫びが響き渡る。


「お兄ちゃん! 今度はお兄ちゃんがライオンに喰われて来てよ!」


 そこだけ抜き出すとすごく物騒な発言になることを芽衣が言って。


「お母さんは写真係お願い!」

「はーい」

 お母さんもにこにこしながら言う。


 そういう感じで言われてしまうともう、行くしかないわけで。


「秋山さんはどうします?」


「……私、何回ライオンに喰われるんだろう」

 そう言いながら、わりと楽しそうに僕の肩をぽんと叩いた。


 芽衣が手を振るのが見えたので、手を振り返して、もう一度階段を上がっていく。




「……和広くん」

 階段の途中で、秋山さんが話しかけて来た。


「はい」

「さっき芽衣ちゃんと二人で滑れば良かったのに」

「六年生にもなるとちょっと照れくさいんですよ、妹と二人って」

「お兄ちゃんお兄ちゃんってあんなに慕われてるじゃない」

「だから恥ずかしいんですよ……」


 それに、芽衣と二人で話していると、まだちょっと本物の芽衣とか偽物の芽衣とか考えてしまって、平常心ではいられない。


「モテモテだよ。研究所の男の子なら大喜びだよ」

「妹にモテても」

「妹と仲良しの話とかいっぱいあるのを知らないのかキミは」

「仲良しって」

「妹と恋する話だっていっぱいあるよ」

「……子供に何を教えようとしてるんですか」


 完全に呆れながら言う。お母さんも言ってたけど、この人は本当に社会人なんだろうか。確かに子供みたいだ。


 そう言ってから、少し黙る。


「ここまでの坂道、きつくなかった?」

「まだ大丈夫ですー」

「そっかー……子供は元気だね……」


 ちょっとだけ遠い目をする。


「お姉さん、少し疲れちゃいました?」

「あはは……さっきも芽衣ちゃんを追いかけてたから、階段がちょっとね。運動不足かなぁ。元気だね」


 そこまで言ってから僕の顔を見る。


「トシだとか言っちゃダメだよ」

「誰もそんなこと言いませんよ……」


「まぁ、本当は芽衣ちゃんがあんまり走り回ると、体が色々と心配なんだけど……」


 そこで再び黙る。


 しばらく言葉を選ぶような様子を見せたあと、いちばん単純な問いかけをする。


「……芽衣ちゃんのこと、どう思ってるの?」


 それはなんとなく予想していた質問で。

 だから僕はすぐに答えた。


「とても大切な、妹です」


 秋山さんは僕の目をじっと見つめた。


 何故だか目が逸らせなくて、その射抜かれるような瞳を見つめ返して。

 それから、小さく息を吐いてから言った。


「知ってます」


 いつだったか逆の立場で同じようなことを答えたな、と思いながら。


 何を、という言葉は返って来なかった。


「そっか」


 独り言のようにそう言うと、秋山さんは視線を空に移した。


「……小さい頃読んだ本の話でも、していいかな」

「本ですか」

「本は好き?」

「特別に本が好きってほどじゃないと思うけど……まぁ、読む方だと思います。読み始めたらつい夜更かししちゃったりして」


「ああ……なるほど」

 ほんの少し口元を上げた。


「まいっか」

 僕が何かを訊く前に、小声で呟いて話を続ける。


「ファンタジー小説なんだけどね。……昔からよくある話だよ。気がつくとファンタジーみたいな夢の世界にいて、仲間と一緒に旅して、世界を救う、みたいな話」

「トラックにはねられたりとか」

「そういうのも読むの?」


 通じたらしく、秋山さんはくすりと笑った。


「さすがに事故には遭わなかったし、特別な能力が付いたりもしなかったな。まぁ、今思ったらそもそも簡単に剣を振り回したりできないんじゃないかって気もするけど」


 冗談は終わり、という感じに表情が元に戻る。


「まぁ、子供向け――和広くんよりももっと小さな子向けだね、多分低学年向けだと思うから、お話はすごく単純でさ。冒険はわりと上手くいくし、元の世界だと友達が少なくて目立たない子だった主人公が気がつけば英雄になってて、最後に王様のところに凱旋するわけ」

「……ざっくりしてますね」


 秋山さん、あんまり説明が上手くないんだろうかと思ったら。


「実際、そこまでのことはあんまり覚えてないから」


「えー」

 思わず変な声が漏れる。


「だけどね、最後の方だけは――多分それって本筋じゃないんだけど、すごく覚えてるんだ」


 そう言って、話し方のトーンが少し落ちる。


「子供向けの本なのに、突然王様が主人公に言うんだよ。……このままこの世界に住み着くこともできる、むしろ戻らない方がいいんじゃないかって」


 ちょうど少し強い風が吹いてきて、僕の頬を打った。


「普通は夢の世界って覚めるものじゃない? あるいは残りたいと思っても覚めちゃう話もあると思うのに。でも、偉い王様が言うんだよ。このまま夢の世界にいないかと。夢から覚めないこともできるんだと。主人公の好きなようにしていいよと。そのくだりだけ鮮明に覚えてるんだ」


 そこまで言って、秋山さんは立ち上がった。


「お母さんには言わなかったんだけど……言えなかったんだけど」


 本の話は突然終わっていたことに、一瞬遅れて気付く。

 何が言いたいんですか、という言葉は口に出す気にもならなかった。


「和広くんは、本当は、どう思ってるの?」


 じっと見る目から、僕は目を逸らすことができなくて。


「知ってます」


 少し前の質問に対する答えを、もう一度同じ言葉で繰り返す。

 秋山さんはまだ僕の目を見ている。


「……だけど、分からないです」


「そっか」


 ぱん、と僕の前で手を叩いた。


「急になんですか」


「うん、この話はここまで。せっかくピクニックに来てるんだから、すべり台を降りて、ライオンのうんちになってお母さんと芽衣ちゃんのところに戻らないと」

「うんち好きですね……」

 呆れたように秋山さんの顔を見た。


「好きだよ」

 そう言ってから、何かを思いついたように、秋山さんが僕の目を見た。


 そのまま少しの間、何かを考えるような表情をする。


「……急になんですか」


「ごめんね」

 顔を上げると、少し遠い目をする。


「なんだか、和広くんってお母さんにそっくりだな、って」

「そうでしょうか……どちらかと言えばお父さんによく似てるって言われるんですけど」


 一度アルバムを見せてもらったことがある。小学生の頃の写真の一枚が、一瞬自分の写真かと思うほど似ていた。


「いや、そっちじゃなくて……どう伝えればいいのかな」


 目線の先で、右手の人差し指が二回ほど丸を描くように小さく動く。


「一生懸命に背伸びして、大人ぶろうとしているところとか」

「……僕はともかく、お母さんは最初から大人じゃないですか」

 少し不服そうな顔をして僕は言った。


「それに、僕だってもう小学六年生だし、来年には中学生です。子供じゃないです」

「大人から見たら小六も中一もまだまだ子供だよ」


「うー」

 思わず少し頬を膨らませる。……こういうところが子供っぽいと言われるところなのかもしれないけど。


「……まぁ、私も和広くんぐらいの年の時は結構背伸びしていたけどさ」

「どんな子供だったんですか」

「それはキミには言えないよ。女の子の秘密」


「一つだけ確実だと思うことがあります」


「なんでしょう」

 ちょっと面白そうに、急に敬語になる秋山さん。


「僕のことを笑えないくらい、くだらなくて子供っぽい秘密だと思います」

 一瞬少し目を見開いたように見えてから。 


「……あははは」

 秋山さんはげらげらとひとしきり笑って、言った。


「正解!」


 そう言うと、太ももをぽんと叩いて、少し勢いよく坂道を駆け上がると……すぐに疲れて立ち止まっていた。


 すっかり言いくるめられたような気がした。


 だから、僕は気付いていなかった。

 お母さんは最初から大人じゃないですか、という言葉に対しては、何も答えが返ってきていなかったことに。

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