第4章-1 青い空と白い雲とピクニック

 雨の日はあまり好きではない。

 長靴履いて喜んだりお母さんが蛇の目でお迎えに来て嬉しかったりする子供もいるんだと思うけど、僕の場合はそんなこともなく、ただ鬱陶しいし、何より濡れるのは嫌いだ。


 だけど、暑いのもやっぱり好きではないわけで。寒いのは重ね着で対策できても、着る物をマイナス枚数にするのは物理的に無理だし、ゼロ枚にするのもお風呂以外では人間として問題がある。それに、汗で濡れるのは嫌いだ。だから夏休みの雲一つ無い青空というのも好きじゃない。泳ぎに行くのなら別として。


 そういう意味では、今日は外出にはいちばん良い日で。青い空と白い雲が両方しっかりと存在していて。


 僕の家の前には、お母さんと僕と芽衣、そして秋山さんがいて。


 今日はピクニック日和だ。


「芽衣、帽子帽子」


 お母さんが芽衣を呼び止めると、芽衣の頭に麦わら帽子を被せる。つばの大きい、絵に描いたような形の帽子だ。


「こんな帽子あったっけ」

「買ったのよ」

 僕が呟くと、お母さんがややぶっきらぼうに、でもなんだか嬉しそうに答える。


「鏡見てくる!」


 芽衣は元気よく言うと、玄関に戻って、靴を脱ぎ散らかして洗面所に行く。


「かわいい!」

 家の中から声がする。


 それからすぐに玄関を飛び出してきて、僕の前にやって来て。

「お兄ちゃん、かわいい?」

 嬉しそうな顔をして僕に言うので。


「かわいい」


 秋山さんの車の方を見ながらぼそっと答える。

 先に赤い軽自動車に乗って、運転席に座った秋山さんと目が合った。軽く手を振ってきたので、無言でまた目を逸らした。




 ピクニックの行き先は、幼稚園の遠足ぐらいから何度も来たことがある公園だった。


 正確には確か別のちゃんとした名前があるんだけど、僕も僕の友達もみんな、ライオン公園、と呼んでいる。

 いわゆる郊外の大きな公園で、遊歩道があって、池があって、ちょっとした丘があって、小さな展望台があって、時間を掛ければ奥に見える山の頂上までの登山路も続いている。


 でも、動物園があるわけではない。

 だったらライオン公園とは何なのかと言うと、それは公園の入口の駐車場で車を降りればすぐに分かる。


 この公園の遊具の目玉とも言うべき、長いすべり台だ。展望台の近くから池の近くまで長く伸びる姿は公園のシンボルともいえる存在で、休日ともなればちょっと並んで待たないと滑ることはできない。追突すると危ないので「ひとりずつすべりましょう」という看板が立っていて、そのせいで列が進むのはますます遅い。


 多分それだけだと長いだけの普通のすべり台なんだけど、すべり台の下には鋭い牙の目立つライオンが大きな口を開けて待っていて(……よく覚えてないけど、ライオンの牙ってこんなに目立ったっけ?)、すべり台はその口の中にまっすぐ続いていて、お腹の中を抜けてから、しっぽの下から出て来る。ご丁寧にセンサーで「がおー」という声まで流れて来る。


 要するに。


「ライオンのうんちだね」


「何言ってるのよ」

 お母さんが秋山さんの背中をはたいた。


 上から見るとすべり台全体がきれいに見渡せるけど、次々と子供が(たまにお母さんも)歓声を上げながら滑って、ライオンの口の中に吸い込まれて、しっぽの下から出てくる。


「……それを大人の女の人が言います?」

 僕は秋山さんを白い目で見た。


「精神年齢が和広と同レベルなのよね……」

 横にいたお母さんがため息をついた。


「まだまだ若いですから」


「それは幼いっていうの」

 呆れた口調で言う。


「あと、滑るんですか」


 お母さんは列の横にいたけど、秋山さんはうきうきと僕の後ろに並んでいる。


「面白そうだし」


「……まぁ、ちゃんと面倒見てやって。よろしくね」

 呆れたようにお母さんが言った。


「よろしく!」

 膝に手をついて、秋山さんが僕に言った。


「違うわよ」

 お母さんが言った。


「和広、秋山のことをよろしくね」


「鳴元さん、ひどいです……」

 秋山さんが睨むような恨めしいような落ち込んだような複雑な表情をする。多分、漫画でいうところの「ジト目」ってやつだ。


「はーい」

 わざとらしく無邪気な調子で言う。


「うー」

 不服そうな声を上げる秋山さん。


「じゃあ、私は下で待ってるわ」

 そう言うと、お母さんは列を離れて、急いで丘を降りていく。


「……芽衣ちゃんはすべり台は好き?」

 秋山さんが芽衣に話しかける。


「うん! ……ちょっと子供っぽい?」


「そんなことないない……だって」


 芽衣に向けていた視線を上げて、まっすぐあらぬ方向を見て。

「大人の私だってすべり台好きだし!」


「そんなのだからお母さんに心配されるんです」

 ジト目で秋山さんに言う。


「まぁとにかく、長いすべり台だから怪我をしないようにね」

「……芽衣、そこまで子供っぽくはないよ」

「あはは、ごめんごめん」

 僕へと同じように芽衣に軽口を叩く秋山さんは、だけどなんだか、僕と接する時に比べると優しい目をしていた。




 芽衣の前の子がライオンの口に飛び込んで行った。


 お母さんは既にすべり台の下に着いていて、僕が下をのぞき込むと軽く手を振って、芽衣が大きく手を振り返した。


「じゃ、先に行ってくるね!」


 そう言うと勢いよく、すべり台に芽衣は飛び込んで行った。

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