第3章-4 オアシスの水は甘くない

 宿題をやっていると、とんとんとん、と階段を下りてくる音がして、僕は頭を上げた。


 足音が徐々に近づいてきてから、何かがドアに当たる音がする。立ち上がってドアを開けてあげると、お菓子の皿とお盆を持ったオアシスちゃんがいた。


「ありがとうございます」


 お盆を持ったまま首だけで軽く礼をして、部屋に入ってくる。


「わざわざ持ってこなくてもいいのに」

「いえ、ちょうど暇でしたので」

「あれ、一緒に遊んでるんじゃなかったの?」

「今、芽衣ちゃんと真理恵ちゃんと二人で対戦レースもののゲームをやってるところです」

「ああ、あれ」


 今年の正月に発売された、キャラクターもののコミカルなレースゲームだ。


「芽衣、強いでしょ」

 僕では五回に一回勝てるかどうかだ。


「一回も勝てないです……」

 小声で言う。


「でも笹谷さんは結構いい勝負をしてます」


 ため息をつく。確かに自分だけ弱いとやりづらいよなぁ……。


「ジュースはまだある?」

「大丈夫です。まだ半分以上残ってます。……ここ、いいですか?」

 そう言って、オアシスちゃんは椅子を引く。


「いいけど、部屋に戻らなくていいの?」


 オアシスちゃんは首を横に振った。


「お兄さんと話したかったんです」


 そう言って、そのまま僕の顔をじっと見つめる。

 僕もオアシスちゃんの顔を見る。……ぱっと見はふわっとした感じの子だったけど、よく見ると芯の強そうな目をしている。


 僕は一度立つと、冷蔵庫から麦茶を出してから、食器棚からコップを1つ出した。

 自分の前に置いてあったコップに麦茶を注ぎ足して、それから新しいコップにも麦茶を入れて、オアシスちゃんの前に置いた。


「ありがとうございます」


 しばらく沈黙が続く。


「なにか話したいことがあるんじゃ」


 僕が言うと、ちょっと考えてから答える。


「……特別に話したいことがあるわけでもないんですけど」

「だったらメルや笹谷さんと一緒にいれば」

「そうじゃなくて」

「……友達じゃないの?」


「友達ですよ」

 それには即答する。


「……あ、自分だけが友達とか思ってるとか、そういう痛い子でもないですよ?」

「それなら」

 若干もどかしくなって、被せるように言う。


 オアシスちゃんは一つ、大きく息を吸った。


「お兄さんは、真理恵ちゃんのことをどう思います?」


 その質問の意味が取れないまま、答える。


「どうって……いい子だと思うよ。芽衣ともよく気が合っていたみたいだし」

「芽衣ちゃんはもういないんです。メルちゃんに対しての態度です」


 オアシスちゃんがまた、じっと僕を見る。

 ごまかしが利かない気がしたので、本音を答える。


「うーん……正直、ちょっと仲良くしすぎかな」

「ですよね」


 どうやら、答えは間違ってなかったらしい。


「私もなんだかちょっと、入っていけない感じがするかなって思います。べたべたしすぎです」


 言葉だけだと嫉妬かなと思うけど、そういう感じでもなかった。


「いや、それが良くないってわけじゃないですよ」

 自分でも変なことを言ったと思ったのか、軽くため息をつく。


「でも、真理恵ちゃんにとっては、芽衣ちゃんは特別すぎます。だから、メルちゃんと仲良くするのは……」

 少し言葉を選んでから、続けた。

「多分、真理恵ちゃんにとっても、とても良くないです」


 しみじみと言う様子に、僕は思わず問いかける。


「オアシスちゃんはどう思ってるの?」

「やっぱり、真理恵ちゃんは本当に芽衣ちゃんのことが好きですよね」


「そうじゃなくて」

 僕は首を横に振った。

「……僕が言ってるのはさ、メルのことを、オアシスちゃんはどう思ってるの、ってことで」


 オアシスちゃんは黙りこくって、下を向いた。

 言っちゃいけないことを言ったかなと思った。


「だったら」


 オアシスちゃんが言い返す。

 少し上目遣いになって、僕の方を見る。


「だったら、お兄さんはどうなんですか」


「どうって」


「私たちはともかく、お兄さんは芽衣ちゃんのことどう思ってるんですか」

 わざとらしく芽衣の「衣」に力を入れた。


「お兄さんは、メルちゃんと一緒にいなくていいんですか」


 僕の目をじっと見る。


 頭の中で浮かんだ言葉はあったけど、それは飲み込んだ。

 何も言えずに、僕は目を逸らして、言い訳を紡ぐ。


「僕たちは家族だからさ。みんなが帰ったあとで、ゆっくり過ごせるからさ」


 そう言ってから失言に気付く。芽衣は家族だけど、メルは単に夏休みに遊びに来ただけのいとこだから、家族と簡単に言うのも少し違う。


 だけどオアシスちゃんは、それに気付いたのが気付かなかったのか、「なるほど」と言った。

 僕に対しての言葉ではなく、独り言のような調子で。


「オアシスちゃんー、交代しよ!」


 階段の上から芽衣の声が聞こえて。


「ごめーん、すぐ行く!」


 大きな声を出したあと、僕に「失礼します」と言って、オアシスちゃんは階段を上がっていった。




 僕は大きくため息をついた。

 口も付けていなかった目の前の麦茶のコップには表面に沢山水滴が浮いていて、僕は少し考えてから、そのまま冷蔵庫に戻した。


 ……さっき頭の中に浮かんだ言葉は、妹の友達なんかに言えるわけがなかった。

 本当は怖いんだなんて、今のMAY-10Xと深く関わることはなんだか怖いんだなんて。


 そんなことは。

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