第3章-2 お宮の裏で

 しばらく待っていると、「終わったよ」と言いながら秋山さんがリビングに来た。


「待たせちゃったね。もう芽衣ちゃんのところに行っても、きゃーとか言われることはないよ」


 相変わらずあまり面白くもない冗談を言っているけど。

 なんだか少し疲れたような表情をしている。


「芽衣は?」


 僕が訊くと、秋山さんはその場に立ったまま、


「やっぱり検査って大変だね。これから毎月やらないとダメなのかなー」

 軽口を叩いて、僕に向かって笑った。


「毎月ですか」

「今はまだ、何があるか分からないからね……当分は時々通うようにするけど、大丈夫?」

「構わないですけど」

 そう言いながら、僕は席を立って台所に行く。

「何か飲みますか」

 冷蔵庫を開けながら言うと、秋山さんは手を横に振った。


「仕事も終わったから研究所に帰らないと。ごめんね、また来ます」


 そう言うと、リビングのドアを閉めて、出て行く。


「あ、待ってください」


 僕は早足で玄関まで行ったけど、秋山さんはそこで立ち止まることもなくそのまま出て行く。

 階段を上がって芽衣の部屋に行くか、秋山さんを追いかけるか迷って、秋山さんを追いかけることにした。


 靴のかかとを踏んだまま飛び出して、道路に出ようとした秋山さんに声を掛ける。


「……どうしたんですか」

 僕が問いかけると。

「大丈夫」

 と言いながら少し考える様子を見せて、僕の目をじっと見た。


「……付いてきて」


 そう言ってくいっくいっと手招きする。


「……はい」


 何かを訊ける雰囲気でもないまま、僕は黙って頷いた。

 車のドアを開けようとして、秋山さんは手を止めた。


「……よく知らない人の車に乗るのは良くないよね」


 そう呟いて、そのまま少し歩きながら早口で独り言を言う。


「どうしようかな」

 なんとなく家の中で話したくない、そしてご近所にも聞かれたくない、そういう雰囲気は分かった。


「……そこの神社の裏とかどうですか」


 茂みと小さな鳥居が見えるのを指さす。

「それで!」

 安堵したような口調で秋山さんは言った。




「ここ、小さい頃に芽衣とも遊んだ場所なんです」


 本当はきちんと神社の名前があるんだけど、僕たちは単に「お宮」とだけ言っていた。林の前に小さなお社が一つあるだけのような神社。一応近所のお年寄りが手入れをしているようだけど、昼間はあまり人が来ることもない。ただ夏のこの時期はちょうどお社の裏が日陰になって少し涼しい。


「……そっか」


 そう言って、秋山さんがちょっと複雑そうな顔をする。


 沈黙を塞ぐように、アブラゼミがひとしきり鳴いて、一瞬静かになる。


「大丈夫では、ないんですよね」

 僕が言うと、秋山さんはこくりと頷いて。

「……芽衣ちゃんには万が一にも聞かせたくなくて」

 苦々しそうな、非対称な変な表情をした。

 

 自分の眉に少し力が入ったのが分かった。


「先に言っておくね。そんな顔をするほどの状態じゃないよ」

「そんな顔してましたか」

 してたんだろうな。意識的に、少し肩の力を抜いてみる。


「うん。芽衣ちゃんは大丈夫だよ。……今は、まだ」


 自分の肩が、またぴくんと上がるのが分かった。


「勿体ぶった言い方をしてるけど、何かを隠してるんじゃない。ただ、本当に分からない」

 その言い方は、悲しそうでも、辛そうでもなく――いちばん近いと思った言葉は、寂しそうだった。


「だけど、色々な数字がちょっとずつ違ってる。異常値ではないけど、どれも本来想定していた数字から外れてる」

「それは」

「正常値の範囲内だよ。今のところ。だけど」


 じっと見つめられて、息を呑む。


「和広くんは、神様って信じる?」

「いたらいいなと思います」


 後ろから見たお社は飾りも少なく、ただいかにも神社らしい反った屋根だけが見える。


「……神様が空の上から、取り越し苦労だと笑っていたらいいと思うんだけど」


 見上げると今日は雲も少なく青空が広がっている。きっと神様からはちっぽけな僕たちも丸見えなんだろう。


「言うかどうか、迷ったんだけど、和広くんなら言っておくべきだと思ったから」

 目を合わさずに言った。


「私の勘だよ。勘だけど……実際、正常値なんだけど。おかしな数字じゃないんだけど」

 正常値だと何度も繰り返す。

「何があっても、覚悟はしておいて。……私が心配性すぎたと笑えればいいと思ってる」


 気がつけばアブラゼミは賑やかな合奏の最中だった。

 これだけ賑やかに鳴いているのに、さっきまではまるで静かなように思えたのが不思議だった。

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