第2章-3 アガリクス

 芽衣の友達が遊びに来ているんだから、何か飲み物でも買ってこよう。


 そう思って家を出たのは、多分、落ち着かずにじっとしていられなかっただけなんだろう。

 最近になって歩いて5分ちょっとのところにコンビニが出来たので、ちょっとした買い物には便利になった。お母さんにはコンビニ弁当とかはなるべく食べないように言われてるけど。


 クーラーの効いた部屋にいたせいか、汗がすぐに噴き出してくる。


「あつい……」


 小声で呟いて道を歩いていると。

 いきなり背中にばちんと衝撃が走った。


「な」


 アの音が半分だけ出たような変な声を上げてから、誰かにはたかれたことに気付いて振り向く。


「よう」

「アガリクスかよ」


 日に焼けた同級生――阿賀里雄哉が軽く手を上げた。もう成長期に入っているらしく、去年は似たような背だったのに今は見上げるような背になっている。そう言えば毛が生えたとかなんとか言ってた。

 ちなみにあだ名の由来は、説明するまでもない。


「和広、久しぶりじゃん」

「だな」

「元気がねぇ!」


 ばちーん、とさっきより強く叩く。


「いてーわ!」

「なんだ、元気な声出るんじゃん」

「お、おう」

 ちょっとだけ気を張って声を出してみる。


「ていうか、でかいから痛いんだよ」

 正直、阿賀里だけ先に背が伸びているのはちょっと不満を感じざるを得ない。


「うっせぇ」

 そう言いながら嫌がらせみたいに肩に手を置いてくるので、僕は振り払った。


「ていうか、本当に久しぶりだな。本当に夏休み入ってから初めてじゃね?」

「今年の夏は暑いからあんまり出歩いてない」

「だよなー。子供だって暑いんだよ!」

 何故だか握った手を前に構えて僕にアピールしてみせる。


「だな」

 同じように構えて見せるけど、空元気感があったかもしれない。


「どこ行くんだ?」

「コンビニまで。芽衣の友達が来てるから」


 言ってから誤魔化すように付け加える。

「……線香を上げに来てくれたんだ」


 嘘はついていない。


「そうか」

 阿賀里はやや小声で言った。


「俺もコンビニ行くから、一緒に行かね?」

「おう」

 構えた手の片方を軽く上げてみせた。


 そして阿賀里は少し前に出て、歩いて行く。


「本当に暑いな今日は」

「小さな頃ってこんなに暑かったっけ」

「分からん」


 多分アブラゼミであろうセミの声は相変わらず賑やかだけど、今日はその声ですら若干暑さでバテてるように思える。多分気のせいだ。そもそもセミって暑さ感じるんだっけ?


「阿賀里は最近どうしてるの?」

「野球の練習したり、塾に行ったりだな。結構忙しい」

「すごいな文武両道で」

「中途半端だけどな」

 謙遜はしているが、野球の方も確かレギュラーのはずだし、成績だってクラスで5本の指には入っているはずだ。


「和広こそ最近どうしてるんだよ」

「ずっと家にいるよ。暑いし。アガリクスを見習わないと」

「和広だって」

 言いかけて黙る。


 黙ったまま、もうコンビニの前に気がつけば辿り着いていた。

 何も言わずに店に入る。早くクーラーの効いた店内に入りたかったのも否定しない。




 お茶の大きなペットボトルと、新製品らしき見たことのない味のサイダーを2本ぐらい買って出てくると、阿賀里は小さなチョコをかじっていた。


「それだけで良かったの?」

「んー、なんかこれって物なかったから。でもすぐに食べないと溶けそうだなこれ」

 そう言って軽く舌を出す。


 もしかすると僕のために付き合ってくれたのかな、と思った。


「じゃ、帰るか」

 そう言って、今度は先にすたすたと歩き出す。


 やっぱり阿賀里は何も言わないまま、歩いて行く。


 一瞬風が止まって、どこから立ち上るのか分からない湿気が僕の汗と混ざってとても気持ち悪い。

 風が止まる状態を凪というらしいけど、この漢字を考えた人ってすごいよな。

 そんなことを考えているとまた少し風が吹く。だけどその風も生温くて、湿気を貼り付ける役割しか果たしてくれない。


 阿賀里は何も言わない。


 黙ったまま、すぐに僕の家が近付いてくる。


「うまく言えないんだけどさ」

 そこでやっと、僕の方を向かないまま、阿賀里が言った。

「……」

 でもそのまま言葉が続かずに、二人の足音だけが響く。


 阿賀里が足を止めて、僕の方を振り返った。


「また、今度一緒に遊ぼうぜ」

「だね」


 お互いに笑ってみせた。

 阿賀里の顔と同様に、僕の顔もぎこちなかったんだろう。


「また連絡するよ」


 ちょうど玄関の前だった。

 さっきと同じように胸の前でこぶしを構えてみせてから、大きく上げて、手の平を振る。


「ありがとう」


 自然とそう言う言葉が出てきて、僕は少し走って去って行く阿賀里を、角を曲がるまで見送っていた。

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