第2章-2 芽衣の友達

 家で唯一の畳の部屋は、廊下を入った右側にある。というよりリビングと繋がっているんだけど。昔は特に何もなかったけど、お父さんが死んだ後にお母さんが小さな仏壇を買って来た。

 そういうわけで、今は背の低いタンスの上に、小さな仏壇と家族写真だけが飾ってある。


「……芽衣ちゃんの写真とか、飾ってないんですね」

 部屋を見回してぼそっと呟く。


「まぁ、ちょっとね」

 上手く言えずにごまかしたんだけど、別の意味で取ってくれたようで。

「あ、すいません」


 多分笹谷さんから見れば、僕は今はいない芽衣のことを考えたように見えたんだろう。

 本当は違うんだけど。芽衣はいないんだけど、いて、いや、やっぱりいなくて、どっちなんだろう、自分でも分からないし、でも間違いなく言えるのは僕は嘘を吐いていて。


 だから話を逸らそうと、話題を切り替える。


「数珠とかいる?」

 僕が訊くと、笹谷さんは少し考えてから首を横に振った。

「大丈夫です」

 そう言って、座布団の上に座った。


「おじいちゃんやおばあちゃんならしっくりするんだけど、芽衣ちゃんが仏さまって感じがしなくて……数珠を使いたくないんです」


 確かにそうかもしれない。

 仏壇に手を合わせる。

 仏壇の前に置かれた鐘が、高い音を立てた。



「やっと、来る勇気ができたんです」

「そうだね……」

 目を逸らして壁の上の方を見る。

「あ、すいません」

 少し早口で慌てたように言う。

 触れてはいけないことを聞いてしまった、という表情。……間違ってはいない。意味は違うんだけど。


「お兄さん、ですもんね……」

「うん」


 芽衣の部屋は仏間のすぐ上にある。

 とん、と少し歩くような音がして、心臓が止まりそうになる。幸い気付いてないようだ。


「早いもんだよね」

「早いような、遅いような……です」

「遅い気もするよね」


 意味のないことを話しているな、と自分でも思っている。そして何とか早く切り上げて、帰ってもらわないと、とそればかり考える。困ったな。


「なんだかまだ、芽衣のことをゆっくり考えられないんだよね……」

 ちょうど良い表情ができてない自覚があって、俯きながら小声でぼそぼそと言う。

「……私もです」

 僕に合わせるような小声で笹谷さんが言った。

「うん」


 二階で芽衣が動く音がかすかにする。……こんなに響いたっけ。やっぱり重いのかな。

 何か言われたらネズミのせいにでもすればいいのかな……と考える。本当は天井にネズミなんていたことないけど、そもそも田舎の古い家ならともかく、こんな家で天井裏にネズミが住み着くとかあり得るんだろうか。よく知らないけど。


 足が少ししびれている。

 しばらくの沈黙のあと。


「すいません、じゃあそろそろ帰ります」

 その声にほっとして、腰を上げようとした、その時。

 階段を下りてくる足音が聞こえた。


 何かを考える前に僕は反射的に一瞬腰を浮かせたけど、そのまま言葉も出ずに固まって。


「お兄ちゃん、誰か来てるの?」


 ドアが開いて芽衣が顔を出す。


「……え?」

 笹谷さんが目を見開く。


 僕は飛び付くようにドアのところに駆け寄ると、そのまま芽衣を押し出して、背中でドアを閉めた。

「後で」

 そう言ってそのまま廊下に押し戻す。


「……真理恵ちゃん?」

 芽衣が呟いた。


 僕は黙ってて、と目で訴える。

 芽衣は何か言いたそうな顔を一瞬したものの、僕が余程の表情をしていたのか、結局そのまま廊下を戻っていった。

 ドアをもう一度開けて、部屋に戻る。


「さっきのは芽衣ちゃ」

「いとこだよ」


 被せるように僕は言った。


「そっくりですね」

「……ほんとに、不思議な気分になるんだよね」


 少し早口で言う。


「名前なんていうんですか?」

「メルちゃん。芽が留まると書いてメル」


 大丈夫、これは準備していたから自然に答えられた。


「お兄ちゃんって」

「いとこ同士だとお兄ちゃんって呼ぶのってけっこう普通じゃない?」


 多分そうだと思う。僕にはいとこはいないけど。父親も母親も一人っ子だ。


「でもお兄さんの方は呼び捨てにしなくて『メルちゃん』って言うんですね」

「いや、なんとなく」


 確かに呼び捨てしててもおかしくないけど、変じゃないよな。多分。


「ほくろの位置までそっくりでした」

「……そうかな?」

「ですよ。口元に小さなのがあるんです」

「そうだったっけ」


 いつも見慣れていると逆に意識しないような気がする。逆にほくろがなければ違和感を感じで気付くのかもしれないけど。


「遺伝ってすごいね……」

 僕が言うと、笹谷さんはじっと僕の目を見た。


「遺伝でもそんなことあるんでしょうか」

「偶然なんじゃないかな」

「本当に偶然なんでしょうか」

「た、多分」


「というのか、さっき『真理恵ちゃん』って言いましたよね、メル、ちゃん」

 メル、というところに力を入れる。


「気のせいじゃないかな?」

 思わず目を逸らすと、彼女の視線は僕の後ろに向いた。


「芽衣ちゃんはどう思う?」

「あ、えーと……偶然なんじゃないかな」


 振り返るとドアから少し顔を出した芽衣の姿。

 そう言えば階段を上がっていく音は聞かなかったような気がする。


 どう説明すればいいんだろう、と二人の間で目を泳がせる僕。

 そして、笹谷さんは少し黙ってから、少し上擦った声で言った。


「芽衣ちゃん、久しぶり!」

「久しぶりっ!」


 芽衣の声はとても明るくて。

 だから僕は何も口を挟むことができなくて。


「部屋に行っていい?」

「うん!」


 僕は無言で端に寄って通路を空ける。

 勢いよく階段を上がっていく音を聞きながら、そう言えばいつもこんな感じだったな、と思った。


 僕はリビングに置いたままの、夏休みの宿題のドリルを広げた。


 芽衣の隣、二階の自分の部屋にもちゃんと机があるんだけど、最近は勉強はほとんどリビングでやるようになっていた。――誰もいない家で自分の部屋にいると、なんだかとても寂しい気がするから。

 だから、付いていく必要はなかった。

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