第36話 ヤグルマ斃れる

 協議の最中に行われたベロニカ陣営の悪行は瞬く間に町の人々に伝播していった。

 その情報を引っ提げ、ヤグルマは花畑の地主に直談判を行っていた。

 

 「ベロニカ陣営は自分たちにとって都合の悪いことは力ずくでうやむやにしようとする連中です。貴方たちもそうなる前に縁を切った方がいいでしょう」

 「し、しかし……」


 ヤグルマの提言に対して花畑の地主はどこか尻込みをしているようであった。何か弱みでも握られているのかと勘繰ったハルトは地主の内情に踏み込むことにした。

 

 「何か縁を切れない事情でもあるのか?」

 「ベロニカ君は横暴だが彼に破綻寸前だった花畑の運営を立て直してもらったのは事実だからね。そうあっさりと縁を切ってしまっては申し訳が立たんのだよ」


 地主は地主でベロニカへの恩義があり、それを蔑ろにするような仕打ちに踏み切ることはできなかった。それを聞いたハルトはなんとももどかしい気持ちになった。


 「頼む。庶民の皆がアンタの一声を待ってるんだ」

 「ふむ……」


 ハルトの懇願の一押しに地主は大いに悩んだ。

 彼もどちらかと言えば庶民寄りの思想の持主である。しかし庶民の想いとベロニカへの恩義はどちらも大事なものであり、どちらか一方を捨てる判断をすることは容易ではなかった。


 「やはりここですぐに答えはだせないよ。考える時間が欲しい」


 究極の選択を前にして地主は結局すぐに答えを出すことはできなかった。

 こればかりは仕方がないと割り切り、ヤグルマとハルトは談判を終えて答えが出るのを待つことにした。


 「君のおかげでここまで来ることができたよ。感謝している」

 「まあな。俺もアンタの力になれてよかった」


 帰りの道中、ハルトはヤグルマとやり取りを交わす。ここ十数日でヤグルマの活動が急激に勢いをつけて目的成就を目前にできているのはハルトの協力あってのものであった。


 「花畑が庶民に開放された後はどうするつもりなんだ?」

 「そうだなぁ。屋敷にこもって研究漬けかな。そうなれば活動に割いてた時間が研究に使える分もっと早く夢を実現できそうだ」


 ヤグルマは冗談交じりに先のことを語った。彼にはすでに目標を達成した後のビジョンが見えていた。

 『自分が作った青い花をどこにでも咲けるように品種改良すること』それがヤグルマの生涯をかけて追いかける夢であった。


 「アンタなら案外叶うかもしれんな」


 ハルトが言葉を返して隣を見てみると、なぜかそこにはヤグルマの姿はなかった。それに気付いた刹那、ハルトのすぐそばで人が一人膝から崩れ落ちる音が聞こえた。


 「ヤグルマ……?」


 ハルトがヤグルマの名を呼んでも彼からの返事がない。姿が見えなくなった彼がどこにいるのか、それもすぐに理解することができた。彼はハルトの一歩下がったところでうつ伏せに倒れていた。


 「なにして……ッ!?」


 ハルトはヤグルマの様子を見て激しく動揺した。ヤグルマの背に触れた自分の手に返り血が付いているのが見えたからである。あまりに突然のことにハルトは理解が追い付かなかった。

 倒れていたヤグルマの背には鋭利な刃が深く突き刺さっていた。刃は心臓に到達しており、確実に致命傷であった。


 「おいヤグルマ!しっかりしろ!」

 

 ハルトはヤグルマの上半身を顔が見える程度に姿勢を変えると大声で呼びかけた。彼女の姿を見て周囲にぞろぞろと人が集まってくる。

 

 「お前ら見てるならすぐに止血ができる布を持ってこい!」


 ハルトは野次馬たちに鬼気迫る剣幕で呼びかけた。少女のそれとは思えぬ気迫に野次馬たちはすぐに布を持ってきた。


 「ハァ……ハァ……」


 ヤグルマは意識を朦朧とさせながらうっすらと眼を開けた。多量の失血のせいですでにその息は絶え絶えであった。


 「しっかりしろ!庶民たちの花畑を取り戻すんだろ!?ここで死んだら全部終わりだぞ!」


 ハルトはヤグルマの意識をつなごうと必死に声をかけ続けた。ヤグルマは何かを言おうとするがヒューヒューと息を吐くのみで何も聞き取れない。


 「かなり痛むだろうけど耐えてくれよ!」


 ハルトはそう言うとヤグルマの背に刺さった刃物を引き抜き、止血のためにすぐにそこを布できつく縛った。

 さらにその上に手を当て、傷を塞ぐための回復魔法の詠唱を始めた。


 「ヒーリングブレス!ヒーリングブレス!ヒーリングブレス!」


 ハルトは一度で効果があるのも忘れて何度も回復魔法を詠唱した。魔法によってすぐに傷はふさがり、血が流れることはなくなった。しかしすでに手遅れであった。


 「ハルトちゃん……どうやら私はここまでのようだ……」


 ようやく発せられたヤグルマの言葉、それは己の最期を悟ったものであった。傷はふさがったものの失血量がかなり多く、すでに身体が動かせるような状態ではなくなっていた。


 「そんなこと言うなよ。夢があれば寿命が延びるんじゃなかったのかよ」


 ハルトは目に涙を溜めながらヤグルマに声をかけた。せっかく親しくなれた人物が目の前で死んでしまうなどあってほしくはなかった。


 「私が死んだら、屋敷は庶民のみんなに……開放してやってくれ……」


 ヤグルマは今にも途絶えそうな声で最後の意思をハルトに伝えた。助かることを望むハルトとは対照的にヤグルマは自分がもう助からないことを本能的に理解していた。


 「死ぬな!死んだら終わりだぞ!」

 「同志たちのことを……頼んだぞ……」


 その言葉を最後にヤグルマは瞼をゆっくりと閉ざし、息を止めた。

 

 「ヤグルマ……おいヤグルマ!」


 ハルトは何度も何度もヤグルマに声をかけた。しかし彼は再び目を開くことはなく、返事をすることもなかった。

 人生で初めてハルトは『死』を目撃することとなった。


 「なんでだよ……せっかく上流階級の人間と仲良くなれたと思ったのに……」


 ハルトは項垂れながらポタポタと涙を流して深い悲しみに暮れた。彼女にとってヤグルマは初めて理解しあえた上流階級の人間であった。そんな彼の信念、理想を理解しているが故にその死はあまりにも唐突であり、無念であった。

 そして、目の前にいた人間を助けることができなかった自分の無力さに打ちひしがれていた。自分は決して万能ではなく、どうにもできないことがあるということをまじまじと見せつけられた。



 「絶対に……絶対に仇を討ってやる……」


 ヤグルマを殺した人物の正体はわからなかったが誰の差し金かはすぐにわかった。

 それはまさしくハルトの忌み嫌っていた上流階級の悪しき所業そのものであった。彼女の中に激しい憎悪と復讐の炎が燃え上がった。

 ハルトは返り血に塗れた手を握りしめ、耳と尻尾の毛を激しく逆立てて怒りを露わにするのであった。

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