第35話 協議の時に

 来る協議の日。ヤグルマたちは協議を行うためにベロニカ邸を訪れた。

 ハルトを含めた数名のレジスタンスが護衛として同行し、残りのレジスタンスたちはベロニカ邸の門外で待機をすることとなった。

 

 時刻は十一時、ベロニカ邸の客室にてベロニカ陣営とヤグルマ陣営はついに代表同士が顔を合わせた。互いの表情には緊張が見え隠れしている。


 「時間だ。これより協議を始めよう」


 先に言葉を切り出したのはベロニカ陣営の代表であるベロニカであった。両者はテーブルを挟んで向かい合うようにソファに腰を下ろした。


 「軽く自己紹介から始めさせてもらう。私はヤグルマ・ガーベラ、こっちはハルト・ルナールブランだ」

 「我が屋敷に狐を持ち込むとはヤグルマ殿はいい趣味をお持ちのようで」


 ベロニカの挑発的な物言いにハルトは腹を立てた。すぐにでも射殺したいぐらいであったがここで事を荒立てないよう自分に言い聞かせ、睨みつけるに留めた。


 「躾はできているようだな」

 「一応彼女は我々と同じ人間なので動物扱いするといずれ噛みつかれるぞ。本題に入らせてもらおうか」


 ベロニカを諫め、ヤグルマは協議の本題を持ち込んだ。懐から取り出した紙を広げ、それをテーブルの上に広げた。


 「今回の議題は『花畑の入場料の緩和』についてだ。我々が提示する条件はここに記載しておいた」


 広げられた書面にベロニカ陣営の面々は目を通した。中でもベロニカは特に慎重に隅々まで読み通していく。

 上流階級の人間らしいところを見せるベロニカにハルトは息を飲んだ。


 「この『応じなかった場合の措置』というのは具体的には何をするのかな?」

 「応じなかった場合は花畑の入場料から出る私への取り分の比率を増やしてもらう」


 それを聞かされた途端に余裕を見せていたベロニカの表情が激変し、眉間に無数の皺を作り出した。しかしすぐに気を取り直し、ベロニカは元通りの表情に取り繕って見せる。

 短時間でのあまりの豹変ぶりにヤグルマ陣営に戦慄が走った。


 「失敬。取り分の比率をどれほど増やすのか聞かせてもらいたい」

 「全体の二割だ」

  

 ヤグルマはかなり吹っ掛けた。無論最初からこの要求を通すつもりなどない、本命である入場料の緩和への踏み切らせるためのブラフである。

 ベロニカはヤグルマの思惑を理解できたがばかりに重い選択を強いられた。


 「入場料の緩和をすれば運営が賄えなくなる」 

 「そんなことはない。お前が介入する前から花畑はちゃんと運営できていたはずだ」

 「何も知らないな君は。破綻寸前だった花畑の運営を私の介入で立て直したのだ」


 ベロニカは花畑運営の内情を語った。元々花畑の運営は破綻寸前であり、そこをベロニカが介入してテコ入れを行ったことで持ち直しを図っていたのだ。


 「例のものを」


 ベロニカは同じ陣営の者を口先で動かすと細かい文字がびっしりと並べられた書類をヤグルマ陣営の書類を上書きするように広げた。


 「これが今の花畑を運営にかかる費用の内訳だ。雑草の剪定、肥料に害虫駆除、それに動員するための人件費、金のかかることがこれだけある」


 ヤグルマやハルトには経営のことはさっぱりであった。しかし花畑の維持には莫大な費用が必要であるということだけは理解できた。

 思わず納得しかけたがハルトはすぐに思い直した。


 「でもそれを差し引いてもアンタたち上流階級の連中の私腹を肥やせるだけの収入があるんだろう?ならそこを削ればいいだろう」


 ハルトからの指摘を受け、ヤグルマも揺らぎかけていた意思を取り戻した。誘導に失敗したベロニカは苦虫を噛みつぶしたような表情を見せた。


 「言われてみればその通りだ。ベロニカ、我々の取り分となる部分を削れば以前と同じとまではいかなくても値下げは実現できるだろう」

 

 ヤグルマが協議を進める中、ハルトは何か妙な物音が聞こえることに気が付いた。耳を澄ますとそれはこの一室のすぐ近く、天井から聞こえてくるようであった。音を殺して動いているようだがそれは明らかに小動物の足音などではなかった。しかもこちらの頭上に近づくように動いている。

 ハルトは頭上を警戒するように視線を移した。


 「どうしたのかな?」

 「ああ、天井から変な音がしてな」


 ベロニカが尋ねるとハルトは警戒心をむき出しにしながらそう答えた。ベロニカは完全に彼女の感覚を侮っていた。もしや頭上から刺客をけしかけてヤグルマを暗殺する計画を察知されたのかもしれない。そう考えるとハルトの存在が邪魔に思え始めた。


 「ネズミの足音なんかじゃない。アンタ、何を企んでる?」

 「何のことかな。幻聴でも聞いたのだろう」


 ハルトにははっきりとわかる不穏な気配の正体を問い詰められてもベロニカはあくまでシラを切った。それを受けたハルトは懐から銃を取り出した。


 「これを使えばわかることだ」


 ハルトは銃口を天井に向けると躊躇なく引き金を引いた。銃口から青色の光線が放たれ、ベロニカ邸の客室の天井をあっさりと貫く。次の瞬間、刃物を持った男が崩れた天井から落下して床に叩きつけられる形でその姿を現した。


 「これは……どういうつもりだ?」

 

 銃を下ろしたハルトがベロニカに問い詰めるがベロニカはやはり何も答えない。だが言われるまでもなくその答えはわかりきっていた。ヤグルマを暗殺して協議を一方的に拒否しようとしていたのだ。


 「最初からそちらに交渉の意思はなかったということか。穏便に解決できると思っていたのに残念だ」


 ベロニカの思惑を察したヤグルマは自分の広げた書類を回収すると踵を返し、協議を放棄して客室を後にした。ハルトもベロニカ陣営を一瞥し、ヤグルマの後に続く形で踵を返した。


 

 ベロニカは尽く思惑を潰され、怒りに震えていた。彼にとって真に警戒すべきはヤグルマではなく、隣にいた狐の少女であったのだ。


 「必ずあの狐をひっ捕らえてやる……」


 その時、ベロニカの胸中に憎悪の炎が灯った。

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