第五章

057 悪魔の持つ幸福

天空に飛び立った不死鳥を見上げていた瀕死の魔女は、涙を流していた。魔の呪いを受けた血の涙ではない。透明で透き通った人間の涙だ。

 血まみれの片腕を空に伸ばす。遥か遠くの鳥を手の中に収めるように。

「ああ……飛ばせてはダメ……鳥籠に入れておかなければ……世界が……狂ってしまう……」

 真っ黒に染まってゆく視界。そこから光が消え失せるその刹那、とある名が呼ばれた。

「不死鳥なんかじゃない――あれは――世界を陥れる――悪魔――」 


「これ、返すぜミラーラ」

 悲劇の中で受け取った幸運のお守りを、本来あるべき場所に戻す。家主の肌に触れ、青いブルームーンストーンもいつもより輝いて見えた。

「私の代わりにお前を守ってくれたようだな。なんならこのままやってもいいが?」

 目を閉じて首を横に振った。

「『不死鳥のミラーラ』にはこいつがなくちゃな」

 そう言うと、彼女は愛らしい笑みを咲かせた。


 明日、タリア王国本土へ赴くと決まった瞬間に打ち上げパーティーが始まった。場所はボロボロに崩壊したIF5アジト。瓦礫まみれの空月亭に豪奢な絨毯が広がった。

 今までのこと、そしてこれからのことを彼女たちは語り合い、いつの間にか自分の師匠は皆の真ん中に居た。そのひと時があまりにも喜ばしくて、思わず目を反らす。

「どこを見ている。お前もこっちへ来ないか、メア」

 誘いが掛かった。それを「うっとおしい女どもだ」と煙に巻いてその場を離れた。

 吹き抜けになった奥の部屋からは海が見える。

どこまでも青く、空と海の境目が分からないほどだった。

 彼女たちの話し声が聞こえない壁際まで往き背中を預けると、彼はスパイをやめた。

 あの瞬間、必死で堪えたはずのものが零れてしまった。

 シーナには偉そうに説教を垂れていたくせに、こうも簡単に意に反するものなのかと、自分を笑った。

 眼を閉じて眉間を摘まむ。様々な瞬間が瞼の裏に連続して映し出された。

 死んでいった仲間の顔。新しく出会った彼女たちの顔。そして、ミラーラ。

 未熟な自分のせいで奪われてしまった大切な人が、ようやくそこで笑っている。

 嬉しくて嬉しくて堪らなかった。

 感情の象徴が際限なく溢れる。でも今はいい気がした。

 今この瞬間だけは、スパイではなくただの人間で――。


 ブルームーンストーンは幸運の象徴。

時には家族に、時には愛する仲間や恋人に、口にできない幸せを伝える石。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る