037 寝ずの番

雪がしんしんと降る夜。三人が寝静まった部屋の窓辺で、メアはいつも通り腰掛け、今日何杯目かの珈琲を傾けていた。どこを見つめるわけでもなく、ぼんやりと窓の外に目を向けている。時折頭がうとうとと垂れるが、その度にメアはカップの中身を啜った。

「派手なくまの正体はそれか」

音もなく声が鳴った。振り返ると、ガルネットが起き上がったところだった。

「寝ずの番とは、横暴そうに見えて過保護なボスだ。ミラーラによく似てる」

「……なんのことだよクソゴリラ」

「とぼけなくてもいい。今までもそうやって二人を守り続けてきたんだろう? 顔をしかめるほど苦手な珈琲を飲んで、危険な夜を越えてきた」

 図星を付かれ舌打ちを鳴らす。ちらりと、香りすら忌み嫌う液体に目を向けた。

 ガルネットが隣に並んだ。

「このプラネタリアに居ても帝国への警戒は怠れないか?」

「……奴らは闇に潜みやがる。反帝国の国だからって油断は出来ねぇ。しょうもねぇミスひとつでせっかく集めた神賦使徒を失うのはごめんだ……ミラーラのためにもな」

 ガルネットにもミラーラが囚われることになった原因は知らされている。そのことでメアが強く責任を感じていることも。

 彼女は溜息を付き、珈琲カップを攫った。

「見張りを代わろう。私たちを守れても当のお前が倒れては意味がないだろう。しっかり寝て、そのバケモノのようなくまを消しておけ。゙大切な家族゙に嫌われるぞ?」

「ああ!? 別に家族なんかじゃ――!」

 声を張ろうとした口に、人差し指が押し当てられた。

「騒ぐな。二人が起きる」

 小さな寝息が二つ。眼で訴え掛けられて、また舌打ちを鳴らした。

「ララは仲間のことを家族だと言っていたぞ? 他でもないお前のことも、な。守りたいのはわかるが、家族に嫌われるのは辛かろう」

 諭されてしぶしぶ窓の外を向く。

「……今までアジトとホテルで計四回、監視されてたことがある。向かいの建物の窓と、屋根に注意しろ。奴らは黒衣で行動してる。動く影を見逃すな――」

 それだけ伝えると、メアは寝室に戻り倒れ込むようにして眠りについたのだった。


 翌日夕暮れ――軍敷地前の煉瓦道を、カバンを肩から下げた配達員が忙しそうに駆けていた。配達員は二人の警備兵が立った敷地内へ通じるゲートを横切ると、鉄柵の向こう側に目を向けた。中にもチラホラと警備兵の姿がある。

「あーこちらメアだ。聞いてっかクソども。どうぞ」

 配達員に変装した彼は片耳に取り付けた無線機を押さえる。間もなく三つの返事が届いた。

「軍敷地西のゲートだが、割としっかり警備が張ってやがる。柵も高ぇから荒事無しに突破すんのはしんどそうだな。そっちはどうだクソガキ。どうぞ」

「くしゅんっ!!」と盛大なくしゃみを鳴らし、シーナが話し始めた。

「こちら北側の寒すぎる時計塔! 監視塔みたいなのがいっぱい見えるよ! 空から侵入すればハチの巣になっちゃいそう!! どーぞー!! ばーくしゅんっ!!」

 シーナを心配するガルネットが続いた。

「東側の森林地帯も難しそうだ! 侵入対策で大砲やら機銃が列を成している! それと野生のウルフが其処ら中を徘徊しているぞ! これ大丈夫か!? どうぞ!!」

 最後になぜか鼻声のラビが占めた。

「え~こちらミナミ側の地下水道である~……死ぬほど臭いである~……警備はいないけどネズミがいっぱいであ~……バタンッ」

「ラビチン!?」

「……どうぞ~である」

 メアは溜息を漏らすと、撤収の号令をかけた。


「まぁクソチビ側の地下水道一択だわな」

 メアの発言に泣きながら抗議を飛ばすシーナとラビの二人。目からは滝のように涙が溢れ、全身は青ざめて震えている。

「ぜっっっったいにヤダァ!!」「であるぅ!!」

「うるせぇ。スパイが仕事にわがまま言ってんじゃねぇ。特製アイテム作ってやるからよ」

 そう言ってメアは手元のティッシュ紙をてきとうに丸めた。

 転がったそれを見下ろした二人は絶望の表情を浮かべる。この製作時間わずか数秒の粗品を鼻に詰めろと言っているらしい。

「超絶パワハラ上司!!」「ストライキの時は近いん!!」

 荒れ狂う彼女たちを受け流し、ガルネットに問いかけた。

「地下水道……つまり下水な訳だが、上手いこと中に通じてるもんなのか?」

 彼女は頷きながら一枚の画用紙を広げた。軍敷地を上から見た見取り図。そこには地上からは確認できない図形や線が多く記されている。

「下水道の見取り図だ。道順と出入り口が記されている」

「こりゃ驚いたなぁ……俺の用意した資料にゃ無かったはずだが、どこで手に入れた?」

「昔の伝手でな。この国には私に借りのある人間が少なからず居る。少佐殿とのアポは無理だったが、代わりにこれを手に入れたよ」

 彼女も昔は帝国相手にテロ行為を行っていた身。当時の残党たちとの繋がりが生きていたらしい。

「やるじゃねえかクソゴリラ。よし、これでヤツの家の近辺まで行けるはずだ」

 盛り上がる二人を前にシーナは最後の説得に出た。

「マジで……マジで下水から行く気なの……?」

「監獄塔を思い出せよ。落ちても死なねぇだけマシだろ……てか、なんでクソガキが沈んでんだ? てめぇは大人しく腕治せって言ってあったろ?」

 ハッと顔を上げたシーナと、その背後でビクンと硬直したラビ。

シーナはゆっくりと問いかけた。

「……私は留守番?」

「たりめーだろ。誰が腕折れた重症患者連れて地下水道なんて潜るかよ」

 彼女はブリキの人形のように振り返った。未だかつて無いほどのニヤケ面の前で、ラビが白目を剥いていた。

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