021 月華の影

星空に引っ掛かった白い月を仰ぐ。

空になったカップは夜風に熱を奪われ、彼の指先をただ冷やすだけである。

「ガキどもは寝やがったか……」

 後ろのベッドではシーナとラビがくっついて寝息を立てていた。一瞬優し気な表情を浮かべた彼は月夜に向き直る。

 マフィアを壊滅させた夜を思い出していた。

 あの日、彼は洋館でずっと何かの視線を感じていた。マフィアたちを全滅させてもそれは消えることがなく、べっとりと背中に貼りついていた。

 ――気のせいじゃねぇ――あの時、誰か居やがったな――

 ただの視線だけなら気が付かなかっただろう。ただ、その向けられたものはとある異質なものを孕んでいた。

――イカれた殺気だった――動脈に刃でも突き付けられてるみてぇな――

 それは、あえて存在を気付かせているとも取れる鋭さだった。一介の軍人や、ましてやマフィア風情が発せられる程度のものではない。

 強力な力を持った何者かに眼をつけられている可能性が高い。

カップを持つ手に汗がにじむ。

「確か俺を襲うようオニキスに依頼出したのは、ウェーブノートの貿易商って話だったな……ちょうどいい、探ってみるか――」

「あれ、ガイコツまだ起きてんの?」

 声に振り替えると、目元をこすったシーナが立っていた。ブロンド髪はぼさぼさに暴れまわっている。

「ああ。小便かクソガキ」

「も~年頃の女の子にそれ聞く~? さすがのノーデリカシーね~。まあそうなんだけど~」

 寝ぼけた様子でとぼとぼと歩く彼女を前に立ち上がった。

「チッ、危なっかしいガキだ。おら、付いてってやるからしっかり眼ぇ開けろ」

「ありがと~……スピー」

「……たく」

 メアは一度ラビに視線を向けると、彼女をおぶって部屋を出て行った。


 星の古塔で一人、波風を浴びる女がいた。

真っ黒のドレスが大きくなびき、ピンヒールが朽ちた天井を潰す。ゴシップデザインのとんがり帽子からはみ出した長い金髪が月光を帯びて瞬いた。

 美しい風景画の中に迷い込んでしまった、一風変わった魔女のような女。

 緋色の唇は眼下に見えるとあるカフェに向く。

「優しい男の子なのねぇ……うらやましくなっちゃう」

 絶壁の端に腰かけていたもう一つの影が振り返った。

「本当に今日は偵察だけでいいのか? 実行に移すには申し分ない人気の無さと暗闇だが」

 若い男の声色だが、どこか沈着な印象がある。

 女は少しだけ声を張った。

「あまり彼らを舐めてはダメよ。大勢のマフィアたちを一方的に潰してしまう様は見ていて爽快だった……機を待って正確に散らすべきだわ」

「相変わらずの慎重さだ。そんなゆっくりしているからいつも男に逃げられる」

「お黙り」と一蹴すると、女は妖艶に舌なめずりをした。

「泳がせて泳がせて、油断し切ったその瞬間に仕留めるのよ。美しく飛ぶ蝶のように……ね」

 若い男は目元を抑えながら笑った。

「ハッ、美しい蝶? 狡猾な女王蜂は冗談が得意のようだ」

「なにか言ったしら?」

「なんでも」

 女は今一度カフェを見下ろす。窓辺からカップを持つ手だけが窺えた。

「……過保護はあなたに似たのかしら」

 すっと夜の空気を取り込むと、瞬く間に二人は消えた。

 そしてその名だけが月光の下に晒された。

「ねぇ、ミラーラ――」


「なるほどなぁ。探るまでもねぇ、よーく分かったぜ」

 窓辺にカップを置き、肘をついた。

 メアは空のカップを覗き込む。その底には、淀んだ珈琲の代わりに丸型の鏡が沈んでいた。

「月の光を浴びても照らされねぇ黒……もう奴らが嗅ぎ付けて来やがったか――」

 

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