015 刻印
一瞬、世界が氷結したような感覚が襲った。
それは刺す様な痛みとなって全身を包み込む。
「使いやがったなぁ……!」
今、猛スピードで自分の背中に迫る暗殺者には、この一帯の全てが見えているのだろう。道も、壁も、障害物もすべて、手に取るように感じ取っているのだろう。
目前に迫る闇に張られた針金を含めて。
メアは勢いよく壁を蹴って針金の網を飛び越えた。すると死兎も姿勢を低くして網を潜り抜ける。
やっぱり見えてやがるなぁ――、と目を凝らしたところに再びナイフが放られる。下方向から四本、追尾機能でも搭載しているかのように急所へ飛来。致命傷は避けられたがまた傷を負った。
しかしメアは口元を緩ませていた。死兎が潜った網の下、そこにはピアノ線が張られていたのだ。しかし彼女はその存在に気が付かなかった。気にもとめずに突き破った。
゙境界線゙の仮説は立証された。
あとはこのすばしっこいウサギを罠まで連れていくだけ――。
「当たらねぇよチビ!! 目ん玉開いてよく狙いやがれ!!」
暗闇を舞い、屋根を飛んで一本の通路に着地した。一見ほかの通路と変わらないように見えるが、そこは人の手が及びに及んだ策略地。
メアとシーナで作り上げた罠への導火線だった。
「てめぇじゃ俺に追いつけねぇ! ウサギはくせぇ小屋に帰んなぁ!」
挑発に耳を貸さず、死兎は針金を避け、さらにピアノ線を突き破る。
数本の通路を行き来した二人はいよいよ一本道に入った。左右を小高い壁に挟まれた通路に金属音が鳴り響き、銀光が瞬く。
すぐ後ろを走る刃が首元に迫った。
「おわり――」
ナイフが薄皮を裂いたその時だった。
メアは大声を上げた。
「今だクソガキィ!!!!」
次の瞬間、呼応するかのように二人の周りを白雷が囲んだのだ。
円を描いたその電流に死兎が目を走らせる。空間を割る白雷の向こう側に、何本もの釘が地面に打ち付けられている。
白嵐の電流はそこから巻き起こっていた。
「遅いってのガイコツ!! 一気にやっちゃうよ!!」
「オーケーだ!! ド派手にぶっ飛ばせや!!」
釘一本一本に静電気を帯電させ、同時に開放。神賦使徒の共鳴も相まってその白嵐は光の柱のように二人を囲んだ。
その中でメアと死兎はにらみ合った。
「これじゃ、そっちもにげられないん」
「どうかなぁ。自分の身体よく見てみろや」
死兎は視線を落とすと、目を見開いた。コートに絡みつくようにして、無数のピアノ線が引っ掛かっている。
「能力に頼りすぎたのがてめぇの敗因だ。なにも見えてねぇなぁ」
巻き付いた線状の物体は避雷針の役目を果たし電流を引き付ける。煙のように消える力でもない限り逃れることはできないだろう。
どれだけ速かろうが、空間を察知できようが、時すでに遅し。
「すばしっこいウサギは能力に溺れてしくじりやがる。しっかりガキの絵本を読んどくんだったなぁ――クソウサギ」
バチィィィィィィ!!!! と、大気を割る轟音が響いた。
白嵐に包まれた死兎は動きを停止。
その繊細一隅のチャンスを逃さず、シーナが網を構えて飛び掛かった。
「捕獲~っ! か~んりょうっ!!」
虫取りの要領で振り下ろされた網の中に、神速のターゲットはあっけなく収まったのであった。
「はなせぇ! かいほうしろぉ!」
上げられた網の中でじたばたと暴れる獲物こと最強の暗殺者。未だ手足の痺れが引かないらしくやみくもに悶えている。
その様子をメアとシーナの二人はあきれたように見つめていた。
「よくよく見たらすっごいコミカルな見た目してる子だね……。てかちょっとかわいいんだけど!?」
「ああぁ……ただこの成りじゃ、ハニートラップには使えねぇだろうなぁ。相手がよほどの変態ロリコン野郎じゃなけりゃだが」
網目の間からツンツンと突くシーナに怯える死兎は、本物の小動物のようである。
メアはシーナをデコピンで黙らせると、問いかけた。
「さて、クソウサギ。追いかけっこも終わったことだし、そろそろ話しようや。てめぇに頼みがある」
「た、たべるき!? ワワシはおいしくないぞ! ……たぶん」
「喰ってみなきゃわかんねぇだろ??」
ガーン、と再び雷に打たれた彼女は白目を剝いてしまった。
「冗談だ」と指先でデコを突く。
「ちょいと仕事を依頼してぇ。殺し屋やなんだから問題ねぇよな?」
すると死兎は思いつめたような顔を浮かべ、もぞもぞと答えた。
「……それは、できないのん」
「だろうなぁ。飼い主様が許してくれねぇんだろ?」
ビクリと身体を震わせて動揺した彼女。
メアは続ける。
「誰だよ? てめぇの首に首輪付けて、好き放題やりやがってるクソは誰だ? 言ってみろや」
死兎はうつむいて「ううっ……」と呻った。様子から悲しみがにじみ出ている。
「……言えないん」
シーナが問い詰める。
「なんで? アンタ、ひどいこといっぱいされてるんでしょ? このままでいいの?」
再びうつむいた死兎はしばらくして首を横に振った。
並々ならない理由を感じ取る。
舌打ちが鳴った。
「気に入らねぇなぁ。そのビビり、恐怖感。俺らが敵うわけねぇって高を括ってやがる。趣味じゃねぇが、ちょいと突くか」
網目を掴み上げ、顔を寄せた。
「クソウサギ。俺たちはタリアの狗だ。その気になりゃ軍隊の一個師団程度は動かせる。てめぇの飼い主が誰だろうが取るに足らねぇ。死ぬまで牢獄にぶち込んどくことも可能だ。ここまで言ってもその縫われた口、開けねぇかよ?」
さすがに考える素振りを見せた死兎だったが、すぐに目を瞑ってしまった。
国家権力をチラつかせてみても抗えない相手。背後で手綱を握っている存在は計り知れない。
メアは溜息を吐いた。
「もういい。おいクソガキ。このチビの身体漁れ。なにかしらの手掛かりが出てくるかもしんねぇ――」
「これなに?」
ちょうどシーナが何かを発見したらしい。
それは死兎の肩。半袖のコートの隙間からなにか紋様が覗いている。
「入れ墨――?」
「や、やめて!!」
血相を変えて抵抗した彼女。刻まれたものが露わになってしまった。
それを前に、シーナは一瞬にして凍り付いた。
交差した鉤爪に髑髏のエンブレム。
「……あぁ、なるほどなぁ。こりゃ、ウサギのクソでもゾウのクソでもねぇ……ドラゴンの超デカクソだぜ」
国を牛耳る巨大マフィア組織、オニキス・ファミリアの刻印が小さな体に刻み込まれていた。
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