011 うさぎ狩り

月の無い夜に汽笛が響く。緩やかな波音と夜風に人の気配は感じられない。

 真っ暗闇を照らすのはチカチカと点滅する街灯一つのみ。

 その一つが、何者かによって砕かれた。

 連なった煉瓦の倉庫群に風よりも早いなにかが駈ける。木箱や樽の障害をもろともせず、ただ明かりの無い細道を散らす小さな白色。

 跳び、潜り、消えるそれは野生的な動きに近い。

 目にも止まらない速さで走り続け、ようやく視認できるほどまで速度を落とした時には、それは目前に迫っていた。

 汗を吹き出した弱々しい背中。 ターゲットの首元にナイフが光り、そして。

 ブシュ、となにかが噴き出す音が夜闇に鳴った。

 灯台のサーチライトが当てられたその場所には、飛び散った鮮血と倒れ込んだジャケットの男、そして一人の少女が立っていた。

ツインテールに結った白髪をシルクハットから飛び出し、穴だらけのコートを着た小柄な彼女は、真っ赤に染まったナイフを袖に隠す。

 首元には大きく分厚い首輪が巻かれていた。

「おけおけっ。かんりょっ」

 無気力なジト眼が露わになったかと思えば、彼女は光に背を向けた。

「ヤベヤベッ。てっしゅうてっしゅうっ。まってて夜ごはんっ」

 一瞬の間に奥の闇に消えてしまった。

 すると直ぐに数人の男たちがその場に駈けつけた。倒れた男と似た身なりをしている。

 なにやら焦った様子で怒鳴り声を上げているようだが、木箱の中に身を隠していた二人のスパイにはよく聞こえなかった。

 ゆっくりと木箱が開く。

「しっかり見やがったな? さっきのがこれから俺たちの狩る゙ウサギ゙だ」

「めちゃくちゃ速かったね。あんな人間見たことないよ」

 フタの隙間から外を眺めるメアとシーナ。情報通りのポイントで待つこと数時間、一瞬だけだったがターゲットを確認することができた。

 上機嫌なメアは口元を緩ませた。

「最強最速の殺し屋『死兎(しうさぎ)』。特徴と実力は分かった。あとはどうやって捕獲するか考え――」

「ちょい待って」

「んだよ?」

「お腹ぺこぺこ。トイレ行きたい。あと身体痛すぎて動けない。普通にヘルプ」

 子犬のような上目使いにメアは舌打ちを鳴らした。


 国内最強と呼び声高い殺し屋。彼女も特異体質者の一人だと言うことらしい。

 肝心なその能力は目の当たりにした風のような速さでも殺傷能力でもない。

「……空間察知能力!?」

 日差しのカフェテラスでシーナは声を上げた。

彼ら以外誰もいない海風の白テーブル。ショートケーキをつつくフォークが止まっている。

 向かいに座るメアは、スパゲティに乗ったキノコを嫌そうに取り除きながら言った。

「あぁ。自分の周囲何十メートルの空間を見もせずに感じ取れるらしい。千里眼……っつったら簡単だが実物はもっと細かくて正確だそうだ」

 シーナはあごに指を添える。

「……それ、特異体質の中でもかなり上位の能力じゃないの? 考えようによっては無敵に思えるんだけど」 

 目の前に相手を見据えている武術の試合のような状況を除けば、戦闘において有利も有利。ましてや重火器などの扱いに心得があれば敵なしと言ってもいいだろう。

「だからこそ欲しいんだよ。そんぐらいバケモノ染みた奴じゃなけりゃ、あそこには挑めねぇからな」

 空中要塞ヘルゲージ。そこに侵入しターゲットを連れ戻す。一見不可能に感じるミッションを成功させるため、どうしても彼女が必要らしい。話を聞いた時はいまいち腑に落ちなかったが、昨晩の一部始終を見て納得した。

「要塞内部の見取り図は手に入らなかった。山が一つ入っちまうくらいクソデケェ要塞だ。アホな観光客気分じゃ最深部まで潜れねぇ」

 キノコが無くなったスパゲティをくるくると巻く彼は、シーナを見つめた。

「運の良いことに、恐らく奴もお前と同じだクソガキ」

「え?」

「神賦使徒だよ。゙一千万人に一人゙が二人揃うかもしんねぇ」

 シーナは驚きを隠せなかった。が、その力を考えればそれほどの能力者であっても不思議はない。一国の軍隊を単独で相手にできる力、という比喩にも当てはまるだろう。

「そんな珍しいのが二人って……凄い確率だね」

「まぁな。正確には四人、だが」

 首を傾げた。

 メアは「お前には言ってなかったが」と前置きして話し出した。

「ミッションの完遂を考えた時、俺の頭ん中には四人の特異体質者が浮かんだ。一人はお前、一人は昨日のチビ。そんでまだ未コンタクトの二人。その二人はすでに神賦使徒だって割れてんだよ。もともとこのミッションは通常能力者一人と神賦使徒三人で構成してあったんだ」

 難易度が振り切れた超級ミッションに挑むため、それ相応のメンバーを並べていった。そこに呼び寄せた通常能力者が幸運にも偶然他の三人と同じ才能を持っていた、というのが全貌らしい。

 動揺したシーナは胸に手を当てた。

「よ、良かったぁ~……」

「別に神賦使徒だろうがなかろうが問題ねぇよ」

「いじめられてたかも知れないじゃん! 軍隊相手にできないやつ~って!」

「クソくだらねぇ。俺らの世界にんなしょうもねぇ一時はねぇよ」

皿を空にしたメアは立ち上がった。

「行くぞ。狩るウサギが分かったら、次は罠造りだ」

 そそくさと去ってゆく彼を、シーナは小走りで追いかけた。

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