007 十眼のカストロ

 夕日の砂浜。

 空月亭を崖の上に望む。

 何もかも茜色に照らされたさざ波の汐で、一人のコートの男はしゃがみ込んでいた。

 ツバの長いハットにサングラス。釣りを楽しみにきた人間ではないだろう。


「ああ、そうだ。見たこともない女だった。取り急ぎ身元を洗え。特徴は――」


「馬鹿で間抜けな危機感のねぇクソガキだ。あとなにかとうるせぇ」


 それは片耳に装着した無線機から聞こえた声ではなかった。

 男が顔を上げ、サングラスをズラす。

 光の無い瞳に映ったのは礼服姿の男だった。


「……(・・・)不死鳥の灰(アッシュ)と相対した。至急――」


 突風が吹き抜けたその瞬間、無線機は耳ごと身体から離れていた。

 幻想的で美しい波に、鮮血が攫われる。


「至急、誰を呼ぶんだ? 帝国ご自慢の執行官か? それとも、薄汚ぇこいつか?」


 そう言ってメアは鼠の死骸を見せつけた。尻尾を摘ままれたそれは、シーナのダガーで射抜いたあの鼠だった。


「てめぇ特異体質者だな。能力は……そうだなぁ。生き物を操って視覚を共有する……ってところか。お前『十眼のカルトロ』だろ。変態みてぇな力使いやがって。趣味が悪ぃったらねぇ」


 能力から身元を割り出された。


「……君に言われたくはないな。その顔、その身体。まるで骸のようだぞ」


「無駄なお喋りはいい」と一蹴したメアは鼠の死骸を放り投げた。


「返すぜ。臭くてしょうがねぇ」


 カルトロの前に裂かれた死骸が落ちた。

 すると――。

 破裂音と共に爆発が起こったのだ。死骸の腹の中に埋め込まれていた小型起爆装置が、カルトロの身体を吹き飛ばす。

 波の中を転がった彼の聴覚が、近付いて来る足音を捕えた。


「甘ぇ。近頃俺の周りを帝国の犬が嗅ぎまわってやがると思ったら、爆薬の臭いも嗅ぎ取れねぇ無能ヤロウだったとは。舐めやがって」


「ぐ……!! たかが不死鳥の燃えカス風情が……!!」


 カルトロはよろよろと立ち上がり、高らかに指差した。


「私を殺せばどうなるか分かっているな!? 小国タリアと我が帝国が戦争状態に――!!」


「ならねぇよ雑魚。この広い海の底に沈んだ一体の水死体を、お宅の軍艦が奇跡的にサルページできりゃ話は別だがなぁ」


 後退ったカルトロ。更に深くなった海面にちらりと眼をやった。


「……私もこんな田舎の港町で終わりたくはないのでね。少々手荒だが攻めさせてもらおう……!」


 彼は両手を掲げて力むと、波紋のような波が大気を走った。

 無表情のメアの元に、いくつもの足音が近づいてくる。


「へぇえ、案外やるじゃねぇか無能」


 いつの間にか彼は狼の群れに囲まれていた。数は全部で十匹。『十眼』の名は伊達ではなかったらしい。

 狼たちの操作者は得意げに前に出た。


「さぁどうする! 情報によれば貴様は特異体質を持たない! この自然界の狩人相手に生き残れるかな!?」


「んな゙ダセぇ力゙なんていらねぇよ」


 包囲されてなお、メアは落ち着いていた。特殊な能力も無ければ武器すら持っていない。場所は弊害物のない開けた砂浜。狼相手に逃げ果せることも不可能だろう。

 そんな窮地に追い込まれても取り乱さない。その余裕な態度に憤ったカルトロは叫んだ。


「殺せぇ!! 平静を保ったまま死んでゆけ!!」


 指示を受けた狼たちが一斉に襲い掛かった。

 よだれが滴った牙がメアの細腕を貫こうとしたその瞬間だった。


「――だりぃ。退屈過ぎて吐きそうだぁ」


 眼にも止まらぬ速さで右足が一閃した。

 穿たれた狼たちは吹き跳び、海面を跳ねて転がった。

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