005 IF5

 タリア公国戦略諜報部『インヴィジブル・フラッグ』


 『影の冠位』の異名を持つ当組織は王族や政治家などの権力者を相手取ることに飽き足らず、国家間のいざこざや時に戦争行為をも意のままに操るとされている、言わずと知れた世界屈指のスパイ機関である。諜報や護衛に始まり、潜入、拷問、情報操作に暗殺まで全てを完璧にこなす能力と頭脳が当たり前に求められる。


そんな有能集団の第五特務室。またの名を『IF5』と称される組織こそがメアを室長とする特殊部隊。シーナが派遣されたチームの詳細だった。


 そう、早い話が超エリートなのだ。

 私はめちゃ凄い。だってこんなとんでもない組織からヘッドハンティングされたんだから。


 私は最強。スパイの神。

 世の有力者たちが恐れ慄く存在のはず。

 なのに。


「なぁんでこんなことやらされなきゃいけないのよぉおおおおお!!!!」


 地下室を埋め尽くさんとする大量の猫の毛を、シーナは白嵐の電子で逆立たせていた。

 滑稽極まりない。

 カフェの地下に通された直後、彼女を待っていたのは猫の大群だった。あっけに取られているとメアから「俺が帰るまで白嵐で動きを止めとけ」と無茶苦茶な指示を与えられたのだ。

 彼によると、猫たちには事前に自分を襲うようしつけてあるらしい。


「アタシが大のネコ嫌いだって絶対バレてる……! なんて卑劣な男なの……!?」


 勇むシーナだったが、すでにこの怪奇を開始して半刻以上。意に介さず震える両手はすでに限界を迎えている。

 弱々しい電子が消えかかったその時、メアが階段をゆっくりと降りてきた。


「ああぁ!! アンタおっそいわよっ!! どこでなにして――!!」


 ぱっと顔を上げた瞬間、気が緩んだのか力を弱めてしまいネコの餌食になってしまった。

 巨大な毛玉の奥底から聞くに堪えない悲鳴漏れる。


「なに遊んでんだクソガキ」


「遊んでにゃいっ!! 早くたつけてぇ!!」


「自力で出やがれ。俺は豆を挽く」


買ってきた珈琲豆を袋から取り出した彼は、地下室に響く叫び声に耳を貸す気はないらしい。

 時折毛玉の中から微弱な電流が飛び出すが、訓練されたネコたちはその程度では崩せない。

 徐々に叫びが笑い声に変わってゆく。


「ぶっ壊れやがったか?」


しばらくして、なにも聞こえなくなった。

メアは白目を剥いて泡を吹くシーナを引っ張り出すと、気怠そうに溜息を吐いた。


「たかがネコに失神させられるスパイがいるたぁ、世も平和になったもんだぜぇ……」


 彼女を抱きかかえると、メアは奥の部屋に消えていった。




「食べられる~……なつかれる~……かゆいぃ~……」


 ソファに横たわったシーナは未だ悪夢から覚めずにいた。

 モダンなカフェから一変、一面コンクリートの地下室はガラスのテーブルや椅子、小棚など冷たい印象のデザインとなっていた。広めのダイニングには通信機材などの機械類以外、目立ったものは置かれていない。

 熱々のブラック珈琲を歪めた顔ですするメアには良く似合った場所だった。


「いつまで寝てやがるつもりだクソガキ」


シーナは首を振ってうなされている。


「ネコ……ヌコォ……ニャンニャンがくるぅ……」


「んなネコが好きなら抱かせてやるよ」


「ほれ」と言った瞬間、彼女は悲鳴を上げながら飛び起きた。が、辺りを見ても忌まわしき獣害は見当たらない。


「起きたな」


「だっ……! 騙したわねアンタァアアア!!」


「知らね」


 冷や汗を全身から流したシーナはテーブルに突っ伏した。少しだけ目を閉じて現状を整理すると、そのままメアを睨み付けた。


「アンタはアタシをどうしたいのよ!? ここは超エリートスパイ組織じゃ無かったの!?」


「誰がんなこと言ったよ。ここは厄介事押し付けられた名ばかりの落ちぶれ組織だ」


妙に納得してしまった。所詮落第寸前だった自分を引き取ってくれた組織なんてまともなわけがなかったのだ。


「インヴィジブル・フラッグって言ったらスパイ訓練生の憧れのはずなのに……とんでもない片田舎におんぼろカフェ、極め付けにネコ使いのドSガイコツが室長って……私の求めてたクール&ゴージャスはどこ……?」


「もう一度さっきのをご所望らしいなぁ」


「ひいっ!! やだぁ!!」


 シーナはがくがくと震えながらソファに丸まってしまった。完全にトラウマを植え付けられてしまったらしい。


「ったく、騒がしい女だな。本題に入れやしねぇ」


「……本題?」


むくりと顔を上げる。テーブルに一束の書類が差し出された。


「なによこれ」


「押し付けられた『厄介事』だ。コイツを片付けりゃ、てめぇがなりたくて仕方ねぇ超エリートスパイってやつに成り上がれること間違いなしだぜ?」


 餌を前にした動物のように飛びついたシーナ。極秘の判が捺された書類を握りしめ目を通した。

 だんだんと表情が強張ってゆく。そして彼女は恐る恐る呟いた。


「帝国に幽閉された有力諜報官の奪還……? なによ、これ――」

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