004 フルーツティー

「白昼堂々自分の名、それも正真正銘フルネームを大声で叫ぶスパイがどこにいやがる? 手渡されたものを素直に受け取って、出されたものをなんの疑いも無く口に入れるお前は寝小便が止まらねぇクソガキかぁ?」


キッ、と歯を剥きながら睨む男は、いつのまにか取り上げたダガーを指先で弄びながら続ける。


「ドアの向こうで敵が銃構えてたらどうすんだ? 茶に毒が盛られてたらどう対処するつもりだった? 飴玉が拡散性の毒玉だったら今頃てめぇはドッロドロだぁ。全てにおいて足りてねぇ」


 言葉に詰まるシーナに、男は無常に告げた。


「てめぇ、本当にただの(・・・)出来損ないスパイかよぉ?」


 ぎゅっと握りしめた手は、言葉以上に彼女の心情を表していた。

 今まで幾度となく吐き捨てられた一言。


 ――あなた本当にスパイ?


「……スパイよ。私だって、やればできるんだから。初対面で舐めないでよ」


「俺たちの世界じゃその゙初対面゙を経験せずに死んでいく奴らが五万といやがる。細え命が切れねぇように気を配るんだなぁ」


 そこまで言うと、男は突然ダガーを壁に投げつけた。動揺したシーナが視線を走らせる。そこには野鼠が磔にされていた。


「どこで誰が牙ぁ剥いてやがるか分かったもんじゃねぇ」


 床へまっすぐ垂れる血にごくりと唾を飲みこんだ。


「ふんっ。まぁいい、んなことはどうだってなぁ」


「……どういうこと? ていうか、私まだアンタの名前すら聞いてないんだけど」


「自己紹介は例のやつを見てからだ。クソガキ」


 男はぬるりと立ち上がり、猫背を曲げて問いかけた。


「『白嵐』見せてみろよ」


 どうやら自分の情報はすでに筒抜けらしい。

 戸惑いながらもシーナは男から眼を離さずに両手を胸の前で掲げた。

 すると――。


「バチンッ!」と音を立てて室内に白い瞬きが走ったのだ。ティースプーンを動かし電球の光度を上げたその力は、電気の性質を帯びているように窺える。

 男は裂けるほど口元を吊り上げて嗤った。


「――文句ねぇ」


 シーナは肩の力を抜き、自信無さげに言った。


「見た目だけよ。私の『特異体質』じゃ小さいものを少しだけ動かすのが限界――」


「関係ねぇ。こいつに書いてあることはいつの時代も役に立たねぇからなぁ」


 いつ取り出したのか、一枚の紙をピラピラと眺める男。紙面には『E評価』の判子がこれでもかと捺されている。


「はっ!? ちょっ! それアタシの通知表! 鞄にしまってあったのになんで!? てか勝手に見んなぁ!!」


 赤面して両手を振るが紙には指先一つ触れられない。


「うるせぇなぁ。んなただの紙はどうでもいいんだよ。ケツでも拭きやがれ」


 男はシーナの生み出した負の遺産を半分に破り捨てた。力なくテーブルに舞い落ちる。

ぼうっと見下した彼女の前に、再びフルーツティーの入ったティーカップが差し出された。


「成績なんざどうでもいい。評価なんざクソ喰らえ。どんなに持て囃されても死ぬ奴は死ぬ。スパイに奇跡は起きねぇんだ。お前にはここで生きてもらう」


 片手をテーブルに付き、男は顔を寄せた。


「飲めよ、クソガキ。悪いようにはしねぇ」


茶色く濁ったカップの中を覗き込む。先程までとは一変して毒々しく映ってしまったそれに、なぜだか無性に引き寄せられた。

 劣等生と蔑まれ続けた今までの人生に、ピリオドが打たれるような、そんな気がした。


「……もうクソガキって言わない?」


「そいつを飲んだら考えてやる」


 クスッ、と頬を緩ませたシーナは、両手でカップを掴み豪快に傾けた。

 満足気に嗤った男は手のひらを差し出した。


「メアだ。死ぬ気で付いてきやがれ、シーナ=ラングス――」


「あああっついぃいいいいいいいいっっっ!!!!!!!!」


「ぶーー!!」と盛大に吹き出された契約のフルーツティー。握手を求めたメアの手に降りかかった。

 惨劇を無言で見つめる彼と「あ、やっちゃった」と苦笑いを浮かべるシーナ。

 びちょびちょの手でキャスケットの頭を掴んだメアは、ぐっと耳元に寄った。


「精々死なねぇように気ぃ付けるんだなぁ――クソガキ」


 こうして二人のスパイは出会い、手を組んだのだった。

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