#31 静かな昼のファミレスにて
「突然すみません」
ファミレスに設置された一つのテーブルの席で男はそう言いながら設置された椅子の近くにロングコートを畳んで置く。
「あの……聞きたいことというのは?」
目也の目の前でにこやかに笑う中年の男性、相模礼司に怪訝そうな顔で目也は彼が何を聞きに来たのかを伺う。
「ああ、それは食事の後で。大急ぎじゃないので大丈夫です」
カバンから手のひらくらいの大きさのメモ帳を取り出してぱらぱらとページをめくりながら礼司は返す。
「先にご飯にしましょう。奢りますので」
「……はぁ」
その誘いに乗りつつ、目也はテーブルに置かれていたメニュー表を広げた。
数分前、突如目也の前に現れたのは隣町で刑事をしているという男、相模礼司。目也が話を聞いたところ、今日は聞き込みしに来たのだという。見た目は中年で黒のコートを着て、その下に整った紺のスーツを着こなしていた。
「どうしても君に聞きたいことがありまして」
「僕でよければいいですけど……聞きたいことというのは?」
「ああ、それは――」
言いかけたその時、空腹を告げる腹の音が鳴り出す。目也の腹が犯人だった。
「もしかしてお昼行くところでしたか?」
「え、ええ。そうです」
そういう事情もあり、彼らは近くにあったファミレスにて話の続きをすることになった。
(何なんだこいつは?まあいい。ばれるとは思わないしロハで飯が食えるならいいか)
奢りに目也は乗った。
「いやあ、やっぱ若い子はよく食べるねえ」
「いえいえ。そうでもないですよ」
十数分後。しばらくしてテーブルの上に並んだ食事が皿を残して消える頃、そわそわして目也は礼司が要件が語りだすのを待っていた。
(なんだ……?どうやってこの人は俺を突き止めた。いやそれ以前にまだ球磨崎の件ではないはず――)
「球磨崎先生を覚えていますか?」
「え?ああ、はい。覚えています」
疑心の中に向けられた質問に目也は困惑して答える。
(どうなっている?誰かが漏らした?いや、アイツがどこで何をしていたかを探れば自然に俺に行き着く可能性はあるか?)
「そうか……まあ覚えているよな」
どんよりとした顔で礼司はその答え方にどこか渋い顔をする。
「えっと……先生がどうかなさいましたか?」
「先生が亡くなられまして。その先生、私の弟でして」
「え?亡くなった?弟?」
「ああ、ニュース見てませんか?家が火事に会って中にいた家族が亡くなったっていうにニュースなんですがね」
「……ああ!思い出しました!」
ニュースを見た記憶はあった。確かにそうした報道はあった。火災によって亡くなったニュースが。
(アイツ……兄貴がいたのか。そうか。それでこの人が今日ここに……?)
目也は質問を投げる。
「あの、弟とおっしゃいましたが……確か相模さんですよね?」
「僕は籍を入れてもらった側なのさ。だから弟とは苗字が違うんですよ」
「そうなんですね。それで、今日は何を聞きに?」
「ああ。実は――」
礼司は今までの捜査状況を一般の人間に話せる範囲で話をする。球磨崎先生が、弟が亡くなったという事実とその後の調査について語りだす。今も犯人は見つかっておらず。捜査本部は事故で片付けようとしているのだと。
(ずいぶん静かに聞いているな。やはりいきなりこういう話をされても嫌だよな……)
礼司はそれを聞いている目也の顔が嫌な顔になりかけているのを見て一度区切りを付ける。
(何故俺のところに来た?当てずっぽうにしては嫌に正確だが――)
一方、目也の精神には焦りの色が見え始めていた。テーブルの下で彼の手は震えている。
「それで聞きたいことというのは?」
「二つあります。一つ目に火災のあった日、あなたはどこにいたのかを。二つ目にそれからアイツは君の所に来て何か言ってませんでした?」
「ああ。えっとですね……」
目也は当時の事を語りだす。火災のあった日は自分の家のある市内にいたと答え、二つ目の内容は苦い顔をしながら礼司に話をした。高校時代の通せんぼされた昔話を。
「そうか……アイツ。そんな小さいことを」
聞かされた礼司の顔は嫌な顔になっていた。
(愚弟の行いが余程心に刺さったのか?随分あのお馬鹿教師とはわけが違うな。本当に兄弟か?いやそれより――)
目の前で縮こまる礼司の姿を見て目也は疑問を抱く。目也は今後の為に一つの質問を投げた。
「それで……捜査とかどうなっているんですか?」
「警察は……皆は最初事件だろうと捜査してたんですが……何もなかったんです。証拠も何も。それで直前にアイツがどこで何をしていたのかを調べてまして――」
礼司はそういうとカバンから一冊のノートを取り出した。
「これは?」
「筆記からして弟の物らしくて。アイツのいた高校にあったんですよ。中身にあなたの名前が書かれてましたよ」
「俺の名前が?」
目を見開いてそのノートに視線を向ける。
「ええ。これを見て下さい」
ノートのあるページを開いて礼司は目也に見せる。そこには彼の名前とどういう人物かという内容が問題児ノートと題されたノートの中に記されていた。
「これは……!」
目也は驚いた。自分以外にも何人かを記録していたのを。自分に反論するものから態度の悪い人間まで様々であったがそのノートにはそうした存在が細かく書かれていた。
「書かれた人物のほとんどはどういう難点を持ってるだの問題があるだのを逐一ノートに記していてね。君だけじゃない。ほかにも色々な人が――」
礼司の話をよそに彼は自分について一方的に記されたページの隅々に目を這わせる。
(ここには俺の情報は……過去の内容しか記されていない。どうやってアイツは俺のところに来た?住所をどうやって割り出した?)
「というわけなんだ」
「え……ああ、そうだったんですね」
話し終えてこちらを見る礼司に目也は困惑しつつ相槌を打つ。
「そういうことで君の家にアイツが来たという事実を知ったんですよ」
「急に来たのはこのノートが原因だったのか……」
そのノートに何か手掛かりがないかと探っていると礼司は話を続ける。
「ほかの元生徒にも数日前から訪問していたらしくてね。根深いというか……アイツ、自分が正しいと思っていないといけないような節があってて」
「節?」
「ああ、昔……あれはね――」
顎に手を当て、少ししんみりとした顔になって礼司は昔話を語りだす。
「確か小学生の頃でしたか。給食費盗難事件ってのがありまして。いの一番に疑われたのはアイツで……クラスでも弱いほうだから。見つかるまでの数日間いじめだのでひどい目にあってたそうです。それからしばらくして本物の犯人が出た。疑っていた連中はアイツに謝らないで過ごそうとした。が、その時だった。アイツがキレたのは」
飲んでいたコーヒーのカップをそっと置いて目也は聞き出す。
「何が起きたんです?」
「……暴れたんですよ。いじめた連中相手に謝れ謝れって。最初に難癖付けてきたやつには椅子で殴りかかって、その周囲の人間も謝るまで何度もバットで殴ったんですよ。止めに入った奴らも大体がケガして。結局疑った側は謝ったが最後にはこっちが謝る羽目になった」
「……そんなことが」
「ああ、ほかにもいろいろあるけど……自分の信条だのを人一倍、いや違う。総括していうなら自分を認めない奴には容赦ないタイプで。君が受験する時期は確かなんか学校に教育関係の計画か何かを持ちかけようとしてて……それでいろいろと気が立っていたらしい。だからちゃんと話を聞こうとしなかったとか」
「それは誰から聞いたのですか?」
「いいえ。水野先生からです。覚えてます?」
「ああ、覚えています。眼鏡かけた先生ですよね」
「そうそう。君に味方してあげられなかったと……後悔してました」
「……もう終わったことなのでいいですよ。何もかも」
沈んだ表情であったが目也はどこかきっぱりと答えて見せた。
「そうか……。だけど、君も大変でしょう?色々と」
「大変?」
「親御さん……亡くしたと。調べて驚きました。弟まで亡くしてて……」
目也が一家の大半を失ったという事実を礼司は語りだす。それを聞いて目也は持っていたカップを音を思わず立てて置いた。
「調べたんですか?」
「ええ。辛かったでしょうに」
「……はい」
場の空気が重くなりだす。時々笑い声が響くその空間の中に突如ととして黒くよどんだ雰囲気が一部で広がりだしていた。その中で目也は先に口を開く。
「ただ、もう本当に何と言っていいのかわからないのですが……今は耐えるしかないと思うようになっています」
「耐える?」
「ええ。持論ですが。時間の針は戻らない。だから歩くしかない。癒えぬ傷も治るまで進むしかないと、最近はそう思うようになってきたんです」
「ああ。私もそう思います」
そう言うと礼司は左手の薬指に付けられている指輪に視線を移す。
「……ご家族がいるんですか?」
「ああ、いたんですよ」
その言い方に目也は一瞬のどが詰まる思いがした。しまったと電流が走る。
「二十年前に亡くなったよ。妻娘ともにな。ああ、君が気にすることじゃない。本当に」
「……すみません」
気にしないでと言いつつ、拳を握り締めて礼司は顔を歪ませる。
「私は敏明の家に宿り木のように、時折だけど住んでいまして」
「宿り木?」
聞きなれないその言葉に目也は目を細める。
「ああ、妻子を亡くしてからしばらくだったか……犯人の裁判が終わってアイツも結婚してまして。子供二人がいて。時折で良いからこっちに来ないかと言ってきたんです」
「それは一体……」
「今となっちゃわかりませんが……見せつけじゃないかと最初は疑いましたよ。仇の犯人を豚箱にぶち込んでからしばらく私は荒れてた」
「荒れてた?」
「さっき豚箱と言いましたが……正確には少年院。何せ少年Aで」
「少年A……まさか!」
「ああ、犯人は未成年だった。放火で家ごとやられてね。妻は娘を覆うようにして死んでいた。手を握っていて……互いに――」
礼司の手に持っていたカップがミシミシと音を鳴らす。
(マジかよ。こりゃあえげつねぇ)
殺人鬼の目也のその心は驚いていた。まさかそんな目にあっていたとはと。
「犯人を見つけてそれからして被害者一同で裁判に出て……結果としては少年院行きで俺たちが願った死刑にはなりませんでした。アイツは……少年Aはその結果を聞いて笑い出した。俺はそいつに殴りかかったが止められましたよ。全てが終わった後、怒りは俺に向けられました」
「え、何でですか?」
「ヤツを死刑台に送れなかったのは俺が原因ですよ。本来その役を担っているはずの検事ではなく俺に。世間のバッシングも犯人ではなくいつかは俺にすり替わっていました。少年Aの凶行の理由は俺がそいつを犯行前に抑えられなかったとかどうとかで。実際一度犯行前に会ってた。それのせいかあることないこと書かれましてね」
「そんなことって……!」
「酒におぼれて荒んでた俺は退職願を持って警察に行こうとしていた。そこにアイツが来た。こっちで過ごさないかと」
「その提案には乗らなかったんですか?」
「最初は乗ろうと考えました。何日か一緒に寝泊りもした日もありました。でも警察の仕事をしていれば狙われる気がして」
「確かに……復讐というかやり返しというか、そういうのもありますからね」
「でも何より俺はあの子たちの親じゃない。だから偶にだが顔をだすようにはしたよ。二人の子供の成長もひょっとしたら親の次に楽しみにしていたのかもしれない」
「大切に思ってたんですね……」
「ああ。だから俺は近くに……いるべきで――」
その時、礼司の目には涙が浮かんでいた。ごめんよとつぶやく彼に目也は彼にかける言葉はなかった。
(なるほど。そういう過程か……納得はできる。それにしてもどういうわけか胸糞悪いな。この人の話。俺が言えた義理じゃねえけどな)
「互いに無くした者同士だな。僕ら」
「え?ええ。そうですね」
彼は悪人としての思考を張っている時に不意に出た礼司のその言葉に思わず動転した。
「そういや君はこれからどうする気だい?」
「わかりません。何か夢中になれるものをやり続ける。それでいずれ死ぬしかないのかと思っていますが」
目也の持論を聞いた時、礼司は一瞬固まった。いずれ死ぬという彼の考えに。
「それは随分と広いというか漠然というか……ああ、いやすみません。否定する気はないですよ。俺も刑事としてある程度生きて余生を静かに過ごしたいと思っていますから」
「そのうち何か見つかるとは思ってますよ」
「ああ、そうだね。焦ってはいけない。君はまだ若いから」
そういうと礼司は席を立つ。
「すまんが、そろそろ会計にしたいだんがいいかい?ほかにも話を聞きたい方がいまして」
「はい。大丈夫です」
礼司のスケジュールもあって一度話を切って外に出ることになった。外はまだ青空が広がっている。
ファミレスを出て帰り道。礼司が止めた車にて。
「それじゃあ今日は邪魔しました」
車の中で目也に挨拶をする。
「いえいえ。また何かあればどうぞ」
そういって目也は礼司に会釈を軽くした。
「ああ、それじゃあ」
車はそのまま道路に出て隣町の方へと向かって言った。見えなくなった頃、目也は振り返ってそれまで穏やかな表情から疑いの目を持った表情に切り替わる。
(兄貴か。それにしてもねちっこいというのか?俺の人生、変なのが多いのかもしれんな。まあいいか)
家までの帰り道でファミレスでのやり取りを思い返す。
(それにしても問題児ノートだと?ふざけてるな。夢を見て何が悪い?どうせ死ぬ。だから夢を見て何が悪い)
屈辱を浴びた日の事を思い出して、拳に自然に力が入る。それに気づくとそっと力を抜いた。
(いや、もうよそう。何も俺の人生にはないんだ。誰かがやった精いっぱいの草刈りのおかげでな。苗木も何もない。この静かな暮らしという精いっぱいの嘲笑で生きていくことにするんだ。ほかに道なんてないんだから)
嗤っている時、不意に電話が鳴り出した。画面を見るとかけてきたのは神様だった。
「はい。目也ですが」
とっさにその電話に出る。
「目也君?どう?何か指針は見つかった?」
「いいえ。今のところはなにも」
「……そう」
悲しみを含んだ声が届き、詰まった電話での会話。目也は先に口を開く。
「最近思うようになったんです」
「うん?」
「このままでいいような気がするんですよ。楽というのもあります。ただ疲れたんです。だからしばらくはそっとしていただけないでしょうか?」
「そう?わかったわ」
「……案外すんなり理解してくれるんですね」
「まあね。無理強いはしないから、私」
「すみません。それじゃあ」
電話を切る。近況を伺いに来た神様の電話を切った時、彼は自然に笑っていた。
「一服してから帰ろうか」
喫煙可能な近くの公園に足を運ぶと、彼は持っていた煙草に火をつけて気持ちよく吸い始める。
「ああ、何もないってのは……空っぽってのは案外いいかもしれないな。楽でさ」
「なあ、俺、また空っぽになっちまったよ……水葉」
日が落ちて夜、目の前の二つの遺影に涙ぐんで答える影があった。礼司だった。その日の調査を終えて家に帰ると、彼はリビングに設置された遺影に今日も顔を合わせていた。
「もう亡くさないって言ったのに……なんで」
増えた四つの遺影に顔向けすることが未だうまくできずにいた。
――大丈夫だ。おじさんはお巡りさんやってるからな。なんかあったら駆けつけてやるよ
昔、甥と姪の二人に言った言葉。それは叶うことはなかった。
「なんで……なんでだよ……」
礼司の脳裏には笑って迎えてくれていた二人の顔が映っていた。そして弟とその妻も。
「お前が正直に言えば羨ましかったよ敏明。俺は亡くして理不尽に叩かれていた。それからお前が、俺より下だと思っていたお前があんなに立派な家族を持っていたのが……受け入れてくれたのによ」
日々の嘆きは増していた。また何も守れなかったという事実は確実に礼司の心を蝕む。
「なあ、話せるなら話してくれよ。お前がそんなことしないよな?甥も姪も、奥さんも。そんなことしないよな?」
今現在までの調査結果から分かったこと。それは何もわからなかったということ。つまり収穫ゼロである。
最近の礼司の同僚達はあの家族のうちの誰かが殺しをして、殺した誰かも後追いをしたのだと言っている。原因は夫の敏明。調査したところ、甥と姪がそれぞれ通っていた学校のクラスメイト曰く日々の教育が厳しくなっていたのだと。門限に始まり、成績や生活態度まで厳しく見られていたとそれぞれが愚痴をこぼしていた。妻にもそうするようにと厳しい態度をしていたらしく、その果てで誰かが凶行に及んだのではないかという結論に至る。それにただ一人反論していたのが礼司だった。
「俺は知っているさ。お前の家族じゃないけど。誰もそんなことしていないよな?なあ?」
立ち上がってその近くにあったカバンからノートを取り出す。
「こんなノート付けてるから誰かだよな?俺がコレやめさせていれば……誰も死なずに済んだのか?」
ノートの表題を見て顔を歪める。
「こっちの教育には干渉しないようにしてほしいと……俺がそれを飲んだのがまずかったのか?」
家族としてたまに出入りしてもいい。それをするために敏明が提示した緩やかに入っていたその一つの条件。理由は自分が立派な教育者になるために、理想の学校の為にという夢を叶えるために。
「わからねえよ。何も……」
彼の闇が明けるのはまだ先。今、相模礼司は闇の中にいた。
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