#29 記録と追憶

 相模礼司が在籍している市内の警察署。そこにある捜査三課のオフィスにて構えられた礼司の机。礼司はそこに静かに椅子に腰かけながら今日の予定を手元のファイルなどを見ながら確認していた。


「先輩、大丈夫ですか?」


「あ、なんだよ急に?」


「えっと……パン、食べてなかったままだったので」


「ん?……あっ」


 礼司の片手に握った朝食のアンパンは開けられてから大分立っていたが未だ手を付けられずにいたのを男性で若手刑事の鈴木が指摘する。


「大丈夫ですか?あの事件からどうも調子悪そうですけど」


「悪い。どうも立ち直り遅いかもしれん」


「……それは、でも、誰だって大切な人を亡くしたら傷つくというかつらいというか」


 鈴木が言葉を詰まらせる横で礼司は一つ呼吸をしてからアンパンにかじりつき、一緒に買ったお茶で流し込む。


「いや、俺もそろそろ立ち直らないといけねえんだよ。何処かで悪い奴が暴れてて俺がこうなってたから間に合いませんでしたで誰が納得するんだ?誰もしねえよ」


「……はい」


 後半は怒り気味になった。礼司はどこか立ち直れていない自分が嫌になっていた。淀んだ空気が流れているようにも見えた彼は息を大きく吐くと鈴木に向かって問いかける。


「つかお前、ネクタイどうした?」


「え?ああっと、これですか?」


 それまで漂っていた重い空気を吹き飛ばすように礼司は佐藤が付けていた見慣れない淡い海ようなの色合いをしたネクタイを指摘する。


「えっと……貰いました。今の彼女に」


「今の彼女ォ?」


 どこか素っ頓狂な声を上げて礼司は佐藤に突っかかる。


「聞いたか荻野(おぎの)さん。『今の』彼女ですって。これ絶対アイタッ」


「相模さん。そういうのセクハラになりますよ?」


 礼司の隣の席にいる女性刑事で年齢は礼司とさほど変わらない荻野にネクタイの件を持ち込むと彼女にため息をつかれた。ついでにノートで叩かれた。


「いやこれは流石に――」


「なります」


「……はい」


 しゅんと小さくなって時計を見る。


「あ、パトロール行かねえと。準備しろ鈴木」


「はい」


 礼司がガタリと勢いよく立ち上がって持ち物を確認すると足早にその場を去った。


「……あの、荻野さん。本当に相模先輩大丈夫ですかね?」


「大丈夫じゃないでしょ。車、あんたのに乗っていくってのにね。先に出てどうすんだか」


 マグカップに入ったコーヒーを飲みながらため息交じりに荻野はつぶやく。重い表情で。


「大切な人達を亡くしたのこれで実質二度目だったかしらね」


「二度目?」


 眉を潜める鈴木の隣で荻野は沈痛な表情を浮かべながら話を続ける。


「一度目は自分の妻と娘よ。まとめて殺されたわ」


「……前に聞いたことあります。妻と娘を亡くしたとおっしゃってました」


 マグカップを持った手に自然と力を込みあがりながら荻野は話を続ける。


「私ね、家族を亡くした時のアイツを近くで見てたけどあまりにひどかったわ。重く俯いてていつもの調子でしゃべらなかったし。当時のアイツの先輩刑事は今は犯人を見つけるんだって必死に励ましつつ一緒に行動してた。だけど…………」


「だけど……なんです?」


 それ以上を語らなかった荻野は俯き固まって、気になった鈴木が恐る恐る聞き出す。


「見つかった犯人はさらにひどかったわ。二つの点があってね。一つ目、連続放火魔のソイツは所謂少年Aってやつ」


「未成年だったんですか?」


「そうよ。しかも連続放火魔……いや正真正銘の屑と言ってもいいわ。放火の理由は自分を満たすため。おまけに裁判中も燃やされた方が悪いだのなんだので。傍聴席にいた相模は飛び掛かって少年に殴りかかった。あの時は本当にひどかった。殴りかかる礼司に同調するもの、止めようとするものの声。それを見てゲラゲラと笑う犯人。唖然とするマスコミや聴衆。あの裁判の光景はね、私が知っている限り一番悍ましいものよ」


 荻野の回想に鈴木はただ黙り込む。普段の相模は自分に対してよくいじりをして来た人物で事件や何かが起きた時は冷静に判断して自分と共に事件に臨んできた。何処かおちゃらけて、それで落ち着いた人物から想像もしないそのイメージは鈴木をただ黙らせた。

「第二にそれが原因かはわからないけど少年院でわずか二年での出所。死刑でもなく無期懲役でもなく。その判決が確定した時は警察側の人間代表として当時の遺族からひどく罵られたと聞いたわ。どうしてアイツを死刑台に送れないんだと。警官止めちまえと罵声を浴びせられてたわ」


「……そんなにひどかったんですか。俺、単に家族亡くしたとしか聞かされてなくて」


「相模も思い出したくないんでしょう。できるだけ封じていたかったものを多分今思い出してる。というより思い出されてるわよ」


 また重くなった空気の中、バイブレーションと共に着信音がスズキの着ていたスーツのジャケットから鳴り出した。


「あ……先輩からだ。すみませんそろそろ――」


「気を付けてね。本当に」


「はい。では行ってきます!」


 強く返事をして鈴木はその場を後にする。背中を見送りながら荻野は窓の外を見る。


「……残酷ね。本当」


 それからはただ仕事が終わる定時までただ時間が過ぎるだけだった。今日のパトロールは特に不審者もいなければ徘徊しているお年寄りといった人物も見受けられず気づけば夕日は沈み、星々が空に昇りだす。


「今日もここら辺は平和だったなあ鈴木?」


「はい。そうですね」


 運転する鈴木の隣で沈んだ夕日を眺めながら鈴木にどこか突っかかるように礼司は問いかける。


「できればこうしてるだけでずっと平和だといいな?」


「……ええ。それなら僕は死ぬまでこの仕事やりますよ」


「馬鹿野郎。流石に高齢になったら免許返納しとけ。取り返しがつかなくなるぞ」


「あ、そう……ですね」


 答える側の鈴木は運転しながらも困り繭で彼とのやり取りに応じていた。


「もう時間だからよ。しっかり見回って帰ろうぜ」


 その日の二人を乗せた車は地域を一通り回って警察署まで難なく戻っていた。


「ああそうだ鈴木。今の彼女さんとは仲良くやれよ?できるだけな」


「はい。できる限り尽くしてみせます」


「おし。じゃあご苦労さん。今日の報告だのは俺がやっとくからお前は今日は先に戻りな」


「え?それは俺が――」


 しっしと手で払いのけるジェスチャーを繰り出して鈴木を帰させる礼司。


「いいからいいから。たまにやっとかないと忘れちまいそうでな。それにお前は家にいとけ。実はそっちにいた方が思ったより早く事件現場に駆け付けられるかもしれないだろ?」


「……わかりました」


 もっともな理由を付けて後輩の鈴木を送ると一人で残りの仕事にとりかかった。静まったオフィスには礼司以外誰もいない。


「さてと――」


 残り業務にとりかかろうとしたその時だった。突如礼司の持っていた電話が震えだす。着信音と共に。


「あ、何だ一体?」


 電話の画面に映し出されたのは電話番号ではなく『久野陰高校』という文字列。


「これって確か……敏明が教師をやってた高校か?」


 首を傾げながらも電話に出ることにした。


「もしもし?」


「もしもし?突然の電話ですみません。私、球磨崎先生のいた高校で教師を務めている水野と申します」


 電話をかけてきたのは高校で教師を務める水野という男。


「相模礼司さんのお電話で間違いないでしょうか?」


「はい。そうですが……」


「実はですね。ちょっと相談がありまして。球磨崎先生の、つまりは弟さんの学校に残った荷物なんですが……そちらをお引き取りしていただけないかと」


「荷物?」


「ええ。……例えば使っていたノートとか。もし不要であればこちらで処分――」


「ノート?」


 ノートという単語に不意に引っ掛かりを覚え、水野に食い入るように入る。


「ええ。生前に付けてたノウハウとかまとめたものらしいのですが……」


「そのノートとか……というより荷物を全部私が引き取っても大丈夫ですか?」


「え?ああ、いいですよ。次の日曜日にお渡ししますね」


「はい。お願いします」


 電話を自分から切ると一呼吸おいて作業に戻る。その時の彼に迷いはないように見えた。


(手がかり……あるかもしれんな)


 電話をしまい込みながらそれまで沈んだ瞳の色に火がついていた。






 礼司が指定した次の日曜日。高校にて。


「久しぶりだなあ。学校ってのも」


 礼司は学校の敷地内にある駐車場に車を止めて、昇降口前まで向かい校舎を見上げながれ懐かしい雰囲気の中にいた。


(文化祭とか結局アイツが生きている間に行けなかったな……)


 昇降口に入りながら近くの壁に張られた生徒たちが作ったであろうポスター群を見る。いずれも文化祭で出展するものの内容が描かれている。


「あ、すみませーん」


 昇降口でそれらを眺めていると水野という男が廊下のがやってきた。


「ああ、すみません。遅れました」


「いえいえ。私が早く来ただけですので」


 そのまま校舎の奥に入る。日曜日なのか生徒の声はあまり聞こえず、代わりに声は外から聞こえた。たまに聞こえる金属バットのカキーンとなる音から恐らく野球部が活動しているのは推測できる。


「元気ですねえ。学生って」


 血気盛んな若者たちの声に礼司はどこか笑みがこぼす。


「ええ。それぞれ春の大会が近いので野球部もサッカー部も」


「サッカー部もあるんですね。いや、今どきならどこにでもあるかな?」


「あー……まあないところもありますけど」


 雑談をしながら目的地の職員室に入る。中では数名の教師がそれぞれの仕事に取り組んでいたが、礼司が来ると全員立ち上がって挨拶をした。礼司もそれに応じた。


「球磨崎先生のいひ……荷物はこちらにまとめてあります」


 挨拶をした後に案内されたのは職員室の隅。その机の上にはマグカップやホチキスといった小物たち。そして――


「あの、これは何です?」


「これですか?」


 机の上の中心にはノートパソコンならすっぽりと入りそうな黒くて細い金属製の手提げのケースがまるで陣取るように置かれていた。


「先生の机をですね。掃除しようと横にずらそうとしたときなんです。引き出しの裏側に隠れるように置いてあって。もしかしたら重要な書類か何かが入っているんじゃないかって思ったんですがそういうのはその机の上にあるので全部でした」


「……なるほど」


 礼司はそのケースをじっくりと見つめる。

 よく見ると四桁のナンバーで設定されるダイヤル式のロックが掛けられるタイプで、カバンの取っ手には二つのアクセサリーがぶら下がっており、一つは天体望遠鏡。二つ目はアルファベットの『I』の形をしたアクリルキーホルダー。


「なんです?これ?」


「さあ。これに関しては初めて見たというか……」


 礼司がアタッシュケースを怪訝そうに見つめていると別の女性教師が割って入ってくる。


「それ、もしかしたらあれじゃない?先生が普段から付けていたノートとかが入ってると思うんですけど」


「普段から?」


「ええ。色々と何か書いていたみたいなんですけどね。ただそれが何なのかはわかってないんです。誰も」


「ふーん……」


 女性教師の話から礼司は脳裏で考えを走らせる。


(もしかして……)


「荷物の方ですが全部持ち帰るということで良いですか?」


「ええ。一通り持ち帰ります。処分とかは自分の方でやっておくので」


「わかりました」


 校舎玄関まで荷物を袋にきれいに詰めて運び出す。その間水野先生は見送りで礼司についてきていた。


「すみません。わざわざ連絡していただいて」


「いえいえ。球磨崎先生には俺に何かあったらここに連絡してくれって頼まれたんです」


「敏明がですか?」


「はい。刑事の兄貴に繋がるとかどうとかで。まさかこんな形で連絡するとは思ってなかったのですが……」


「……いえ、むしろ助かります」


「それじゃあ私はこれで」


 そう言って水野は挨拶をすると校舎の中に戻っていった。


「さてと」


 荷物を一通り後部座席に乗せると彼はそのまま学校を後にしようと車にエンジンをかける。


「あ、すみませーん!」


 学校を出ようとしたその時、先ほどの水野先生がこちらに向かって走ってくる。


「どうしました?」


「あ、えっと……球磨崎先生の件なんですが……やはり事件だったんでしょうか?」


「すみません。そういうのはちょっと言えないようになってるんです。申し訳ない」


「そうですか」


「……何か気になることでも?」


 首を傾けながら水野に問いかける。


「ああ、いえ。すみません呼び止めてしまって」


「いえいえ。それじゃあ失礼します」


 車はそのまま学校を抜けて真っ直ぐに家に向けて走り出した。


(手掛かり……もしかしたらあるかもな)


 助手席に唯一乗せたアタッシュケースを見ながら胸の鼓動を感じつつ彼は家に急ぐ。


(アイツが昔からの性格ならの話だけど)


 その昔、彼がまだ高校生だった頃の話。

 中学生だった弟の敏明がいじめを受けていた。理由としては弱い、家族関係、体格など。礼司にとってはそれは正直どうでもいいことだったが彼が当時お気に入りだった携帯音楽プレーヤーをいじめていたグループが盗んだのがきっかけでその連中に否応なしに関わることになる。ちなみに正確には盗んだのではなくグループが敏明に指示させて持ってこさせた。プレーヤーがなくなってキレた礼司は当時つるんでいた仲間たちと共にそのグループを襲撃してほとんどを病院送りにした。その後、敏明がいじめられることはなかったが襲撃の日以降、礼司にどやされる日々が増えた。

 ある日の事、礼司が敏明に小遣いを借りようとして部屋に押し入った日だった。たまたま彼の机の上に不用心にも置かれていたそのノートを彼が家に帰ってくるまでに覗いたことがあった。そのノートにはどこの誰にどんなからかいや嫌がらせを受けたのかが日付も添えて書かれてあった。その事実は礼司を震わせたがそれまでで特に敏明をどうこう言うつもりはなかった。いずれ自分のように腕っぷしの重要さに気づくだろうと思い、見ないふりをしていた。


(流石に考えすぎかもしれんが……。でもこれでここに犯人への手掛かりがあったらどうだ?みんなの無念が晴らせるかもしれないなら?)


 彼の心にはどこか焦燥が走っていた。ここにあったのを見落として真犯人への手がかりが薄れてしまったらどうなるのか。署内の人間は球磨崎一家の火事について事故あるいは自殺と述べていた。だがそれに至る理由は今の所ない。


「本当に羨ましかったよ、泣き虫だったお前がまさかあそこまでやれるなんてな――」


 車はそのまま真っすぐ家に向かう。迷うことなく真っすぐに。寒い空の中、まだ太陽は照り付けていた。

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