#28 さらに無くした者
「なあ兄ちゃん。俺たちの母さんってどこにいるの?」
「知らない」
無数の星明かりがとてもよく見える夜。人気のない公園に並んだ二つのベンチ。そこに二人の学生がいる。片方のベンチにいる一人は白く大きな天体望遠鏡を覗きながら学ランの前を開けている太った男子。名前は球磨崎敏明。もう片方のベンチにいる一人は痩せて背の高く、シュッと整った学ランを着て横になっていた。彼の名前は球磨崎礼司。礼司の耳にはイヤホンが差し込まれており先にはカセットテープの差し込まれた音楽プレーヤーが静かに動いていた。一方で敏明はレンズ越しの星々を見ながら持ってきたノートに何かを記し続けている。
「なあ兄ちゃん」
「今度はなんだ?父さんなんざ知らんぞ」
「なんで俺たちは生まれたの?」
「知らねえよ。今は音楽聞かせろよ」
寝返りを打ちながら機嫌悪そうに礼司は返す。
「……この天体観測って何が楽しいの?この夜空のどこかに浮かんでいる父さん母さんを見つけるためじゃなかったの?」
「全然違うわ。つかなんでそう思った?」
「天体観測行こうって言ったの兄さんじゃん」
「……それで俺がそんなメルヘンな思考してるように見えるか?」
頭を掻きむしりながら礼司はあきれた答えに突っ込みを入れる。
「わからない。でも、もしかしたらいるかもしれないじゃん」
「……単におばさんが俺たちが鬱陶しいからもっともな理由つけて渡してきたんだよ。これで近所の公園でお空を見てご覧ってさ。ま、どうせ俺たちを養う金で買ったんだろうな」
「なあ兄ちゃん」
「なんだよ今度は――」
「俺たち本当の兄弟じゃないって本当なの?」
二人の間に沈黙が走る。それからして先に口を開いたのは礼司だった。
「……誰から聞いたそれ」
手に握った音楽プレーヤーを握り締めながら礼司は静かに怒張を含めた声で返す。敏明はその顔から眼をそらしながらこう答える。
「
「そうか。じゃあ嘘だな。本当の兄弟じゃないなら生まれた時から一緒じゃないだろ?」
「でもこないだ読んだ小説で五年目にして出会った兄と妹の話あったよ?」
「それはアレだ。海外が舞台だからだろ?」
「うーん……じゃあなんでそんなこと言ったの?」
「さあな。てかいつ聞いた?」
「昨日だよ」
ペンの止まった敏明をよそに星々を瞳に写しながら礼司は言い出す。
「なあ、本当の兄弟じゃないなら何なんだよ?」
「中学でさ、みんなが言うんだよ。兄ちゃんとお前はロクデナシの家族だとか言っててさ。みんながだよ。先生もまともに取り合ってくれないし。こないだだってぶたれたし」
「それはお前が弱いからだろ。弱いからそうなんだよ。俺は言われたことないぞ?喧嘩も強いし殴り込みだってやる。ペンとって本読んで勉強するのは大いに結構だ。でもな拳やら格闘技が出来ねえと何にもならねえぞ?俺は喧嘩だのには慣れてるしこないだも隣の中学に仲間とかち込んでやったさ。それに――」
「それでどうするのさ」
「あ?」
食い気味に持論に歯向かう敏明は困った顔をしたまま礼司に反論する。
「そりゃあ確かに人間強い方がいいよ。喧嘩とかするし。でもさ、それでずっと生きていけるの?会社って喧嘩が強ければお金貰えるわけじゃないでしょ?」
「あのなあ、敏明。俺は会社に行くつもりはねえぞ?俺はな、刑事になるんだよ」
「刑事?なんでさ?」
「喧嘩が強くて拳銃を持っていい。それでいて警察の人間という正しい人間の証を持つ。どうだ完璧だろ?今はこうしてるけどないずれはな――」
「それでも刑事よりも教師の方がいいよ。どっちにしろ殴れるなら。ていうか刑事ってこないだお世話になったばかりじゃん」
「それはお前の夢だろ?生徒をどうこうできるってだけでさ……つか本当はあれやっちゃだめらしいぞ?体罰って」
礼司は体を起こして星明りの灯る夜空を見上げる。その瞳には夜空が灯ってはいるものの依然としてどこか暗いままだった。
「結局は俺もお前も行き着く先は変わらねえよ。正しい側に立って俺たちの存在が間違いじゃないって事を伝えるにはな」
「ねえ、俺たちの両親って何をしでかしたのさ?親戚の皆俺らの事悪く言うじゃん」
「さあな。でも今の家は今までで一番落ち着いているだろうけどな。殴りもねえし罵声も来ない。夜中にこっそり聞き耳立てなければな」
「そういや昨日、おばさん愚痴ってた……。アレ多分兄さんが悪いよ」
「ハァ?なんでさ?」
「喧嘩したじゃん?他校の生徒と。それでおばさん学校に呼ばれてた。それから聞いたんだよ。俺たちが本当の兄弟じゃないっての」
「そうかい」
「お母さんは一緒らしいよ。でも父さんが違うって」
「それで?なんつってたんだよおばさんは?」
「……俺たちの父さん母さんと思われる三人なんだけどね。全員丸焼きにされて死んだって言ってた。火遊びか何かしてたんじゃないのって話。つるんでた不良グループと一緒に。近くに絡まれていじめられてひどい目にあっていた子もいたんだけどその子も巻き添えにしてたって」
「気の毒だな。巻き込まれたほうは」
夜空の星が隠れるころ、肌に感じた寒さに気づいた二人は互いに顔を見合わせる。
「帰るぞ敏明。今の家にこれ以上心配かけたらきっと今度こそ家がなくなる」
「そうだね兄ちゃん」
望遠鏡をしまって帰路に就く途中、彼は音楽プレーヤーの音にできるだけ夢中になった。思い出したくないことが脳裏に走る。
――ああそうだ。ずっと俺たちは蔑まれて生きてきた。小さい頃は不肖の息子だの不出来でいびつだのなんだの言ってきやがる連中で溢れてた。それでも俺たちは生きてきた。間違っているなら『正しい人間』を目指せばいいって。
「おばさん、怒っているかな」
「言いつけ守って外に出たんだ。今日は大丈夫だろ」
歩く帰り道は永遠ではない。だけどその時ばかりが永遠であってほしいと心のどこかで彼は。礼司はそう思っていた。帰路の両脇にある住宅連から聞こえる親子の声はイヤホンを刺した彼の耳に届いている。楽しそうなその声が。
「ああ、ガキの声ってうるせえな。なあ敏明」
横を見る。そこには誰もいない。
「あれ?敏明――」
不意に世界が反転する。
――ちょっと待て。アイツは俺と違ってまだ家族がいたはずじゃ
「え?アレ?なんで?」
気づいた。敏明はもういないということを。彼は死んだということを。彼が懸命に育てた家族もいないということを。
「う……」
重い瞼を開く。そこには見慣れた白の天井が移る。
「今の……夢か?」
ゆっくりとベッドから体を起こす。時計を見ると時刻は朝の七時を指していた。
「ああ……夢か」
懐かしい夢だった。四十年以上前だろうか。自分たちがまだ学生だった頃。まだ夢を握って追っての時代。そのひとかけらが夢となって出てきたのだろう。
相模礼司。五十を超えた刑事で所属は捜査三課。以前は捜査一課にいたのだが年もあり残りの刑事人生を地元を守ろうとする意志があって彼自身が三課で仕事ができないかと相談をして今の位置にいる。現在は一人でアパートの一室で暮らしている。
夢の情景を思い出しながら彼は自室の部屋の隅に置いた四つの遺影の前に立つとぽつりと語りだす。
「敏明悪い。犯人捜しなんだが……。まだ時間かかりそうだ。俺は名うての刑事じゃなくてな。天才的な頭脳を持ってるわけじゃないんだ。超能力だってあるわけじゃない。だからもう少し待っててくれ」
ため息を吐き、その隣のテーブルに移動する。もう一つの写真の群れがあった。
「もしそっちに敏明たちがきてたらでいい。遊んであげてくれ明日葉。母さんも頼む」
そちらにも話を終えるとゆっくりと後ろを向き身支度をしだす。
――なんでまた俺は亡くさないといけないんだ?俺が屑だからか?
外は快晴であったがまだ季節としては冬の中で当分その寒さはやむことはなかった。
身支度を終えて車で自分のデスクがある警察署に向かう途中で彼はいつも利用しているコンビニで朝食と昼食を買い揃える。
再び車を走らせる中で礼司は球磨崎一家が全員燃えて亡くなった事件のことを思い出していた。
「それにしても……なんでなにも見つからないんだ?」
事件の現場検証とそれによって導き出された答えは単純ではあったが出した礼司には理解しえなかった。
――現場検証と当時の目撃証言などから纏めた結果、発火元は一階のリビングで家族はそこで死亡したものとみられる。遺体には外傷がほとんど見えず、おそらく燃えた際にそれがなくなったかあるいはないと思われる。犯行当時は不審者の目撃情報はなく、加えて発火元が家内であることから父である球磨崎敏明が犯人とされるだろう
「敏明……本当にお前がやったのか?」
出された現場検証の結果からはとても想像がつかない地味にして礼司には衝撃的な事実であった。
「そんなわけないよな。お盆の時だってあれだけ仲が良かったじゃないか――」
衝撃的に見えるのは礼司が球磨崎一家をよく知っているがためである。世間には仲が良いように見えた家族だが実際にはとてもいびつな光景であるというのはよく聞く話。そうなっているのではないかと危惧したが礼司はそれがないことを願っていた。あの家族がそんなことになっているわけないと。ドロドロの世界が出来ているわけがないと。
まず夫の球磨崎敏明。若いときは太っていた時があったが兄とともに運動したりしたためか痩せていた時期があり、その時にのちの妻となると結婚。のちに二人の子供を授かる。妻の球磨崎秋野は専業主婦で昔はフリーターをしていたがある日敏明と出会った。話によれば悪い奴らに絡まれていたところを敏明が助けたらしくその時の縁で結婚まで至ったとか。料理の腕がよくそれが敏明を太らせる結果にはなったが礼司にとっては正直気にはならなかった。兄の正志(まさし)はサッカーが好きでよくボールを持って外に出ていた。敏明も暇があれば彼のサッカーに付き合ってあげた。成績もよく県内でも上位の高校進学が決まっていた。妹の友梨佳(ゆりか)も成績優秀で書道を嗜んでいた。正月の書初めでは年上の礼司に手ほどきを教えるほどであり、そのうえで母譲りの料理をふるまってくれた時があった。
「そうか……もう友梨佳ちゃんのグラタン食えねぇのか」
重い空気の流れる車内で球磨崎一家の面々を思い返す。
「正志君も友梨佳ちゃんも二人とも良い子だったのになぁ……敏明の願いが叶ってたのになあ……」
自分にとっては第二の家族のような存在であった。その温かさがとうに失われたものだということを思い出すと泣きそうになる。
「……守れなかったよ、俺」
職場の警察署に到着していた。車からカバンと食事を手に持って警察署を見上げる。
「俺は……本当に、なんで警察に入ったんだっけ?もうわかんねぇよ」
一家との日々を思い返しながら重い足取りで所内に入ろうとしたその時だった。
――へえ、こういう妬みは久々ね
「ん?」
ふと周囲を見渡す。辺りにはまだ人気が少ない時間帯。だがそこに誰かがいるような気がした。
「……まさかな」
唐突に思い返された一人の存在のつぶやき。
「神様なんているわけねえだろ。生き返らせてくれるわけでもねえのに」
重い足取りは不思議と軽くなりいつもの調子で足を運ぶ。寒空の下に登った朝日は静かに辺りを照らしていた。
「何が嫉妬の神だよ。バーカ」
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