#27 作品名『暗黒世界』

「で、どうなったんですかあの後?」


「私が来た時はもう終わってたわ。その時の彼は憎んでいる人間が住んでいた家が燃えている様を『特等席』で見ながら笑ってて……。そうそう、服のいたるところが血で真っ赤だったのよ」


「うわぁー……怖いですねぇ。ソレ」


 引きつった声で電話の向こうの迂階灯八(うかいとうや)はその行いに感想を漏らす。


「言っとくけど昔の貴方も大概よ?」


 口の端を上げながらその反応に対して神様は話を続ける。


「ハハハ、そうですね。目糞鼻糞を笑うって奴ですね」


 緑波目也最大の復讐劇からしばらく経ったある日。メセキ神は都内某所のカフェで最近買った本を読みながら電話で迂階灯八と話をしていた。彼の復讐劇を灯八に聞かせ終えてその感想を聞いていた。


「にしてもまあ、結構な恨みこもってたんですねぇ……」


 引き気味に灯八は呟く。手に持った筆は止まっていた。


「まあね。紆余曲折あって妬みを持つきっかけになったわけだから。それで彼は凄惨な殺戮をやって見せた。復讐の対象者になった人間は身勝手に彼の夢を奪った挙句、後塵を拝んだ果てに妬みを生むような奴だからね。その身勝手な決めつけでその後が決まってるようなもんだからさ、怒りに満ちていたのは当然よね」


 神様はページをめくりながら電話での会話を続ける。


「彼は言ってたわ。思い通りの道をそこで歩んでいれば私と彼は出会ってなかったかもしれないのよ」


「そうですかね?その先で失敗して……弟さんでしたっけ?どの道、弟さんに愛情やら金やらを注がれていた訳ですから遠からずあなたに会う可能性もあり得ましたよ?」


「まあ……確かにそうね。彼、どこか自分を変えることに嫌になってたというか。人間不信かしらね」

 どうあがいても嫉妬を抱くのではという迂階の意見に神様はため息交じりに同意した。


「で、今彼はどういう状況で?」


「目也君?なんかボーっとしているわね」


「ボーっと?」


「ええ。きっとあれよ。燃え尽き症候群ってやつかしら。やることやったからね」


 筆に絵具を滴らせながら彼は電話の向こうの神様にああ、それかと返す。灯八は今日も相変わらず彼の世界をキャンパスに広げていた。


「なんか……心配になってきたのよねぇ」


「まあ二、三日すればいつも通りになるでしょ?流石に――」


「それがもう一週間近く経ってるのよ。だからこう……気になるというか」


「ああ、それは確かに心配ですね」


「あなたみたいに目的というかやりたいことが見つかってないというか……いやまあ受験がどうこうってのは今からでも遅くはないと思ってるけどね、彼にそれはどうなのって聞いたらもういいって答えが来てるのよ」


――自分はもう年を取りすぎたし、第一もうあの時の情熱が返ってこないんです。この先来る気もないでしょうね。あの後ですね、本屋に行って当時使っていた参考書とかを見てたんです。でも情熱があの時にあった熱というか願いというか……それが何もないんですよ。生きる者の隣にあるはずの熱がないんです。ずっと。


 段々と虚ろな声になりながら緑波目也はそう神様に答えた。この時だが同時に何か新しいことを始める気はまだないと返している。


「熱のない人間……ですか」


「ええ。ただ冷め行くだけ。今の彼はきっと冷たくて暗い世界の中にいるんじゃないかしらその果てで彼がどうなるのか……気にならない?」


「うーん……」


 神様の問いかけに灯八は少しばかり唸った。


「正直に言えば気になりますね。冷めた人間が次に何をするのかを。あるいは何かをされるのかを」


「何かをされる?」


「ええ。例えば復讐をやり返されるとか。でも俺ら魔人の力って言ってしまえば現代社会の天敵に等しいくらいの力ですからそれはないかなって」


「サイキッカーでも出たらそれはあるかもってこと?」


「さ、サイキッカーって……まあ、そうですね」


 困惑しながらも彼は答える。一方で彼の手にある絵筆は変調なく彼の世界をまた一つキャンパス広げていく。


「大半はああなるけど少しばかり期間が長い気がするのよ」


「大半?稀じゃなくて?」


「……言っとくけどあなたは初めてのタイプよ?」


 本を閉じて神様は電話の先の迂階に向かって少しばかり注意を込めたような声で話す。


「復讐終えてちゃっちゃと準備済ませて、それからずっと自分のアトリエにこもって黙々と作業しているのって割とないわよ?大体は復讐やら報復やらを終えたら燃え尽きたように静かになって日常に戻るか新しい生活をするようになるけど。迂階君、君のようなケースってあまり見ないわよ?」


「へえ、そうなんですか?」


 神様のその意見を聞きながら迂階はその筆を止める事はなかった。


「そりゃあまあ……俺にはやりたいことありますから」


「そうして絵を描くことが?」


「ええ。それも死ぬまでね」


「残り全部絵につぎ込むつもり?」


「そりゃあそうでしょう!」


 自慢げに灯八は答える。キャンパスには一つの世界が完成していた。


「俺は画家になるって決めたんですから。あの馬鹿ども殺したからといって地獄に行ったとしても悔いはないですよ?やりたいことやって死ぬ。最高の人生設計ではございませんか」


「……本当、単純と凄いというか単純というか」


 迂階のスパっと、そして強く帰ってきたその意見に神様はため息交じりにぼやく。


「情熱のある人間と言ってくださいよ神様」


「そうね。そういえば嫉妬魔人って無敵じゃないわよ?ちゃんと弱点もあるわ」


「え?」


「老衰でしょ?それに――」


「待ってください」


 食い気味に迂階はその弱点という単語について聞きこむ。


「老衰による死は存在するとは聞きましたけどそれ以外の弱点ってなんです?確か無敵のはずじゃ?」


「いい、よく聞いて――」


 神様は魔人のとある弱点について説明した。弱点は二つ存在した。それを聞いた迂階は乾いた笑い声を上げる。


「それは……まあ一つ目は確かに合点はいきますけど……二つ目はなんでそれが弱点に?」


「そういうことだから、そういうことなの。なにせ自然現象だし」


「はあ……そうですか。確かに大した内容じゃないからいいんですけど」


「そうね。またそっちに見に言ってもいいかしら」


「ええ。そのために絵をかいてますからね。……あ!そうだ!」


「どうしたの?」


 唐突に思い出したように灯八は神様に問いかける。


「今までその……力を授からなかった人間っていたんですよね?それである種真っ当に生きてきた人間っているんですか?」


「いるわよ。今も自分を信じて生きている人間を私知ってるから」


「いるんですね。そういう人って。力あった方が得だというのに」


「儀式の事覚えてる?意外とアレって拒否する人多いのよ?」


「ああ、確かにそうでしたね。丸焼きにされないといけないのはちょっとねってなりますから」


 当時の丸焼きというのを思い出した時、灯八は嫌な顔をして返す。


「断ったその子、かなりひどい目にあったのにね。大したものよホント」


 うんうんと頷きながら神様は語る。脳裏にその人物を浮かばせながら。


「そろそろ切るけど他に聞きたいことは?」


「もう……ないですね。ああそうだ、次来るときはこないだ知り合いの画家さんに貰ったアールグレイでも用意して待ってますよ」


「あら、おしゃれね」


 じゃあねと軽く挨拶をして電話を切る。神様はカフェから見えるそとの澄み切った空を見て思案に耽る。


「情熱……ね」


 緑波目也の現在を思い出して神様は疑問を口にする。そこにいない彼に対して。


「もしもあなたに生きるための情熱が返ってくるとしたら……どんな熱かしらね?」


 持ってきた本をカバンにしまう中で神様は一つを思い出す。


「私の見つけた人間は、今までこの力を授かった人間は殆どが惨めあるいはそれ以上に悲しい死に方をしてたわね。まるで地獄の中にいるように」


 ゆっくりと神様は席を立つ。そして窓の外を見る。


「今のあなたは情熱を取り戻せるかしら?もしそうでないのならば人間の行き着く果てはやはり地獄かしらね?それとも――」


 神様は不意にぺろりと舌なめずりをする。


「あら……いけないいけない。行儀が悪いわね。私」


 不意に出たその行いを隠すように口元を手で覆いながら、神様はその場を立ち去っていく。

 夕日は沈み、夜が現れる。カフェのガラス越しには口を歪ませた神の鏡像がかすかに浮かんでいた。






 一方、緑波目也による復讐劇が行われた二日後のとある病院の霊安室。

 静かに開いたそのドアから漂ってくる冷気にも似た重い空気と共に一人の男が外に出た。服装は濃いベージュのロングコートでその下に黒のスーツ。


「こんなの……嘘だ」


 じりじりと歩くように前に進むが、しばらくして膝から崩れ落ちる。そして男は大粒の涙をこぼしながら絞るような声を漏らして泣きだした。


「あぁ……ごめん、ごめんよ……正志(まさし)、友梨佳(ゆりか)、秋野(あきの)さん、敏明(としあき)」


 室内には四人分の遺体があった。いずれも焼死体で変わり果てたその家族の姿。焼けて剥き出しになったその体たち。夢じゃないかと疑いをもったが現実であることに変わりはなかった。


「どうしてまた……またこんな事が……」


 凍るような冷たい空気漂う長い通路の中で膝から崩れたまま彼はただその事実を未だに飲み込めずにいた。

 男の名は相模礼司(さがみれいじ)。既に五十を超えたベテランの刑事。

 連絡があったのは先ほど。いつものように出勤してパトロールに向かおうとした矢先に球磨崎一家が火事に巻き込まれたと連絡を受けて火急で駆け付けた。そして霊安室でその変わり果てた家族と再会を果たした。焼けただれたその家族に何も言えずその場で一度崩れ落ちている。


「守れなくてごめんよ。皆……ごめんよ」


 かつて同じような状況を経験した礼司の脳裏にはその時の光景がフラッシュバックする。


――燃えているとね。征服感があるんですよ。俺がやったんだって。俺が壊したやったんだって。燃えるものはいいですよね?なんでお宅狙ったかわかりますか?笑ってたからですよ?当然ですよね?


 大切な人たちもきっと同じように殺されたのだろう。快楽の為に。


「……見つけてやる」


 快楽の為に犠牲になったのであればという予想が脳裏に走った途端、礼司は歯をむき出しにした口から憎悪を込めて言葉を吐きながら立ち上がる。


「必ず見つけて……殺してやる!」


 震える体、しわの寄る眉間。叩きつけられた拳から出る血は黙々と流れ続けていた。

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