#24 『来訪者』の大声
「あの……何故こちらに?」
「ちょっと気になる記事があってね」
緑波目也の自宅の玄関に半ば強引に上がった球磨崎は片手に持っていたビジネスバッグから何かを取り出し、目也の前に押し広げる。それは一枚の新聞紙だった。
――民家にて火災。一名が死亡。自殺か?
「この記事、小さいけど君のお母さんの事だろ?住んでる市もあの時から変わってないみたいだからな」
球磨崎がその太い指で新聞紙の一か所を示す。目也はゾッとしたがすぐに平静を、というより首を縦に振る。
「……確かにそうです。でもこれだけでここに――」
「そうじゃないだろ?」
突っかかるようにして球磨崎は目也に話す。
「え、えっと……?」
「はあ……まあいい」
リビング中心に置かれたテーブル近くの椅子に家主の許しもなく球磨崎は腰かける。
(何だ?何しに来たんだコイツは……?)
彼は部屋の周囲を見渡すと目也に鼻息を少し荒くして話し出す。
「それにしても君、いい部屋を持ってるじゃないか?」
「ああ、いろいろと家財とかはこだわってて――」
「一人暮らしにしては随分悪くない部屋を持ったな?」
詰め入るかのように球磨崎は目也に言う。その目を鋭く目也を睨んでいた。
(……なんでこう突っかかるんだコイツは)
心の中で嫌になった。
球磨崎敏明。七年前、目也が高校二年生の時の担任。見た目は相変わらず太っており、力士程ではないが腹の脂肪は前よりも目立っていたかのように見えた。時折座っている椅子から軋むような音が聞こえるほどの体重。眼鏡をかけたその眼光は鋭く誰かの、目也の内側を捕まえようとする視線を常に作っている。
「ハア……ちょっと心配になって来てみたがこれはひどいな」
「え?」
「色々調べたよ。肉親どころか大切な弟まで失ったそうじゃないか?」
「……ええ。そうです。それはどうやって――」
「そんなことはどうでもいいだろ?」
「ど……どうでもいいってそんなこと」
「いいかい緑波君?君は昔から危なっかしい人間だと私は思ってるんだ。わかるかい?あの日の受験前の教科選択からそうだ。どうにも君は『夢を見る』癖というべきものがある。この部屋がいい例だよ――」
それからして球磨崎は持論を展開する。長年の教師の経験から見た人間とは何かをという語りを。日が暮れだすほどの時間を費やして。
「――そういう訳なんだよ。わかったかい?」
「……はい」
こうなったら
「ところでお茶菓子はないのかい?」
「え?ああえっと急な来訪だったその用意とかなくて――」
「駄目じゃないか。社会人にもなって。そのくらいできないなんて本当にダメな子だな。ん?」
「……はい」
「もう君は学生じゃないんだよ。なんでそれがわからない?いいか?夢を見るような性格、自分をよく見せようとする精神。それは卑しいというものだ。慎ましく謙虚に生きるべきなんだよ。そうすればあんな風に誰にも蔑まれずに泣くことなく卒業できたというのに――」
小さく頷いた矢先に始まった説教。
(泣いたのはお前のせいだ。あの日に誰も……誰も味方してくれなかったから――)
目也は腹の奥底から込みあがる気持ち悪い感覚に襲われだす。
――孤独の高校生活最後の一年が始まり、夢を見る者たちの後塵を見て終わった最期。泣いたもの、笑ったものを遠くから見ることしか出来なかったあの日。成功者でもなければ敗者でもなかった。敗者以下の空しい存在。それを自覚した時、彼は静かに校舎の隅で泣いていた。その時にまたあの男はまた現れて持論で彼を厳しく非難した。
フラッシュバックする光景が彼にあの日の苦しみをもう一度叩き込む。自分を否定するものの声が響く。
その時だった。重い空気の中を引き裂く音が鳴りだしたのは。
「え!?」
「なんだ……これは火災報知器か?」
部屋の周囲を見渡す。火の気配はない。おそらくはアパートの通路に設置された報知器が反応したのだろう。
「あの、先生――」
「何してる?さっさと避難するぞ!」
いの一番に彼を押しのけて足音を響かせて玄関に向かい真っ先に球磨崎は部屋を出る。目也も続く形で部屋を出る。
アパートの外に出ると住人たちが何人か出ており、火元はどこだとざわついていた。アパートを外から見るが火の気配も煙もない。
「誤作動か……?」
鳴った報知器はどこにあるのかはわからなかったのだが少なくともこれ以上の被害になるような気配はなかった。
「点検してないのかね?報知器の一つも!」
何故か目也に突っかかる球磨崎。
「……今度言っておきます」
「業者によく言っておきなさい。点検の一つもできな――」
今度は敏明のポケットから音が鳴りだした。スマートフォンの着信音が響いた。球磨崎がその音を聞いた途端
、しかめっ面から一転してにやけたような面をして電話に出る。
「もしもし?ああ、どうした?」
アパートからの避難民の集まりから離れて電話の向こうの人物と話をする。その声色は目也に話す時とは違い、優しい声色をしていた。
(……家族か?)
その様子を離れたところで見ていた目也。しばらくして球磨崎はこちらに電話を切りながら近づいてくる。
「ハハハ。いやあ良かった良かった」
「どうしたんですか?」
疑問をぶつけられた途端、球磨崎は大いに笑みを浮かべた。
「ああ、娘が志望校にしていた高校に受かったのさ。それもかなりいいところでね。いやあホントよかったよ。兄貴と同じかそれ以上に行きたいってずっと言ってたからね」
二人は避難民から離れた駐車場に止めていた球磨崎の車近くに向かい、車のキーを取り出しながら車の傍に目也と並ぶ。そしてそれまでの穏やかな表情から一転してしかめた面をして彼は目也に向き直る。
「で、君はいつまで私に反発するんだい?」
「え?」
球磨崎は大きなため息を吐いた。そして言葉をマシンガンのように放つ。
「気づいていないのかい?あの時の大学受験から君は何も変わっていないじゃないか!何かと思えば反発心に身をまかせる性格でさ!はっきり言えば不良と中身は変わらない!」
また大声で叫ぶ。
「いい加減にその性格をやめなさい。それに……ああ、そうだ良いことを思いついた。三つだ!三つ約束しろ」
「……み、みっつ?」
「そうだ。一つ目に反省文を書きなさい。あの時は流石にやらせなかったけど今の君を見て気づいたよ。書かせるべきだったと!あまり覚えていないようだし原稿用紙十枚でなくていいから五枚にして書きなさい。ちゃんと自分が両親やみんなに迷惑をかけたという事実を書くんだ。二つ目に毎週メールをしなさい。何をしているのか心境を書きなさい。最後に毎週末に私はここに来るから。おもてなしがができない社会人は失格だ失格。わかったか!」
「……」
「返事!」
少しばかりの沈黙の後、沈んだ表情の緑波目也は声をかすかに出した。『はい。わかりました』と。それを聞いて球磨崎は誇らしげな顔をするとそのまま車に乗りこむ。
目也はただ車を呆然と見送ってその場に立ち尽くしていた。
(何なんだよアイツ。何しに来たんだよ……)
その胸にあの時に出来て消えたはずの気持ち悪さのうねりと大声が作った後の傷を抱いて。陽が落ちて夜が近づいて来た頃だった。
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