#23 望まぬ『来訪者』

「まさかこうなるとはなぁ……」


 十二月中旬、外がもたらす冷機とは違う冷たい空気漂う彼の自宅。自室のベッドに目也はコーヒー缶片手に腰かけていた。彼はついに肉親を全て亡くした。正確には一部を自らが消して自分だけが救われるようにそう見せかけているだけだが。


「大丈夫?目也君」


 廊下からいつか目也が貰ったカステラの袋を下げて神様が姿を現す。怪訝そうな顔で目也を見つめていた。


「ああ、大事じゃあないんで。ちょっと予想してなかったので」


 意外にも衝撃を受けた母の自殺。かつてあった憎むべき実家はその痕跡を跡形もなく消し、彼の心に穴をあけた。それは本来であれば彼が自分の手で空けるはずの穴だったがそれは結局他人の手で空けられることになった。


「テメェの家でバーベキューするとは思ってなかったよホント」


 目也は髪を掻きむしり、うずくまるようにベッドに寝転がる。彼は家が燃えだしていた当時の出来事を振り返っていた。


(いやでも道理は通ってるか。何せ大事なもんあっちゅう間に無くしてんだからな。ハハハハ……)


 憎むべき相手が、死んでほしいと願っていた相手が消えた。それはどういう訳か目也の心に穴をあけていた。やる事が不意に消え、ただ何もかもが消えていった。目的を失った彼はただ宙に浮いたかのようになって身動きが取れず、次に何をすべきかも浮かばずにいた。

 寝返りを打つようにして転がり、視線をテーブルの上に向ける。少し前に買った青いガラス製のタバコの灰皿、その代わり中心に置かれた数枚の書類と二つの封筒。一つは先日は緑波弘美が持っていたA4サイズの茶封筒。そしてその中に入っていた封筒が一つ。折りたたまれた手書きの手紙群と機械で書かれたいくつかの書類がテーブルに散らばっている。


「とんでもない置き土産でしたよ……」


「この封筒の事?」


 無造作のその中に置かれた茶封筒。それに神様は視線を移す。


「ええ。それです」


 その封筒の中にはある事実を綺麗に印刷され、彼の歪んだ精神を更に押し曲げられる内容が記載されていた。


「いらない子だったんですよ俺は。所謂、『不義の子』というやつですよ」






 遡ること数日前。彼はいつも通りにバイトを終えての帰り道を歩いていた。憎き家族に向けた最後の復讐劇を考案しながら。


(やはり『銀をなくしたもの』のような復讐がいいな。あの中のワンシーンにあった殺害方法の一つ、血が体内から消えてなくなっていくっていう失血死っての喰らわせてやりてえな。ただ苦しいらしいからなぁ?)


 あまりにもその心は醜い世界を映し、外側の体にまで影響するほどに膨れていた。覆った口は地上の誰よりも汚い口をしていた。願いへと伸ばした手を横から千切って奪い、自分をまるで人間ではなくそれ以下に扱ったかのようにふるまった連中が日々苦しみの声をあげて目也を喜ばせる世界は彼の心の中を乗っ取るほどに大きく占めるほどに成長した。


「もうあんな苦しみからは逃れられないと思っていたけど手にかけていくたびに落ち着いてる。間違いない。間違いないぞ……!」


――これで『アイツ』にも同じ苦しみを与えてやる


 もう一人の苦しみの起源も討とうと誓ったその時。彼の電話が鳴りだす。


「誰だ?こんな時に?」


 電話の画面を見るとそこには『湯島 ひかり』の文字が並んでいる。


「叔母さんから?なんでこんな時間に?」


 首を傾げながらその電話に出る。


「もしもし?」


「ああ、目也君?落ち着いて聞いて!!お母さんのいるお家が燃えたの。今消防車が来てるけどもう――」


「え!?今なんて!?」


 電話の内容はこうだった。

 まず緑波弘美がいた実家が全焼したとのこと。そして当の本人も焼け跡から見つかったとのこと。死体として。


「えっと、それで、だから今から言う病院に向かって。今そっちに父さん、信明おじさんが向かってるから――」


 電話はそれからしばらくして切れた。緑波弘美はただ茫然としていた。


「何やってんだ……アイツ?」


 復讐の対象が死んだ。その時彼の心には不思議と穴が開いていた。

 その出来事から数日後、葬儀を終えてただ一人となった彼は湯島夫妻の家に呼ばれた。今後のことと遺産などに関しての話をするためである。


「書類とはこれで全部ね。後は私が全部してあげるから目也君は今日は落ち着いたら家に戻ってもいいわよ?もちろんここにいてもいいからね?」


 同じテーブルに肩を落として居座る目也を心配そうな目で見つつ書類の群れを慣れた手つきで見返す湯島ひかり。相変わらずの優しさを見せながら笑みを見せつつ対応していた。


「帰りたかったら言ってくれ。送るからよ。こんなおばさんとおじさんと一緒じゃあつまらんだろ?」


「いえ、十分助かってますから」


 湯島信明も見せる優しさに目也はにこやかに返す。手続きの手伝いと長い話だったが結局は全て彼が引き継ぐことになった。


(とはいえこれで目的は達成された……のか?)


 これまで憎んでいたものがひとしきりに消えた。それは事実。自分が嫌いなものが消えてなくなったのは確かに良いことではある。


「あ、そういえば目也君。ちょっといいかしら?」


「はい?」


「あの……実は弘美、じゃなかったお母さんから預かっているものがあるの」


「預かっているもの?」


「ええ。ちょっと待ってて」


 ガタリと席を立ち、部屋の隅にあった戸棚から何かを持ち出す。


「はいこれ。中身は目也君だけに見てほしいって強く言われちゃってるから私たちは見てないけど……」


「はあ……」


 渡されたのは茶封筒だった。大きさはA4サイズほどで持った感じ、数枚の書類が入っているようだ。表紙には特に何も記載はなく、裏面には右下の隅に『目也へ』と書かれているだけだった。中身を透かしてみようにも見ることが出来ないようにはなっていた。


「なんだそりゃ?目也にだけってどういうことだ?」


「わからないわ。弘美が自分に何かあったら渡してほしいって言ってたのは覚えてるんだけど――」


 湯島夫妻が謎の封筒にあれこれ言っている中、目也は手に取った封筒に既視感を感じていた。どれも同じに見えるはずの茶封筒から。


(あの時の封筒か?これって……?)


 ふと脳裏に風景が走る。母と最後に話したあの日。その手に持っていた封筒。それとこれが一致しているかはわからないが。


「――で、少し前にこれをもし私が亡くなった後に渡してほしいって言ってたのよ?」


「え?ああ、そう、ですか……」


「大丈夫?目也君?」


「……すみません」


「謝らなくていいのよ?あなただって大変なんだから。ね?」


 ひかりはそっと目也の頭を撫でる。その目元は少し腫れていた。


(泣いてたんだろうな。妹だし……まあ原因は少なからず俺にあるんだが)


「落ち着くまでここにいてもいいんだぞ?」


 キッチンから戻ってきた信明が紅茶を入れて持ってきた。その香りが立ち並ぶ中で目也はその封筒に視線を移す。


「それで……いつ頃でした?この封筒を受け取ったのって?」


「確か……一週間くらい前じゃなかったかしら?お父さんも卓明君も死んじゃったから……多分手続きか何かに関する書類だとは思うんだけどね」


 そういってひかりは視線をテーブルの方に向ける。そこにある遺産相続といった書類の群れに目を向けながら。


「……わかりました。帰って中身を確認してみます」


「ええ。気を付けてね」


 書類の中身が気になったのか、彼らにこれ以上厄介になりたくないのか。少なくとも目也はその時はこれ以上ここにいるのは気が引けると思っていたため、この書類が気になると言って帰りたかっただけだった。

 そこ衝撃の事実が待っていることを知らずに。

 帰宅後、鍵をかける癖を忘れるほどの興味を示していた彼はすぐに家のテーブルについた。


「で、何が言いたいんだあいつは……」


 わざわざ親戚の家に置いてまで遺したその封筒を苛立ちながら開く。中には数枚の手紙らしきものとまた小さな封筒が入っていた。


「なんだこれ?」


 手紙の群れをテーブルに置き、小さな封筒の方を取る。表面には手描きで文字が書かれていた。


「『鑑定結果』……?」


 筆跡からして母のものだとわかる。

 鑑定結果。言葉からすれば何かを調べてその結果を纏めたものとは見て取れる。


「家って宝石鑑定かなんかの仕事してたっけ……?いったいなんの――」


 その時だった。あの日の言葉が走る。


――私たちの子が死んだのよ!?赤の他人じゃなくて!!


「……おいまさか」


 一呼吸おいて何かを察した目也は糊付けされ丁寧に張られていたその封筒を開く。

 内容を理解した直後、彼は手紙の群れを勢いよく取って文字を眺めだす。ある一説を探しながら。


「うそ……だろ」


 手紙の内容はこうだった。まず前半は自分が先にいなくなることの、つまりは自殺する、あるいは自殺した事への謝罪の意が長く書かれていた。そこには自分の受験に関しての話も書かれていたがそこは読まなかった。腹立たしいこと以外のなんでもなくその時は特に重要視していなかったから。後半には彼の知りたいことが書いてあった。


「父親の遺伝子が、俺にはない……?卓明にはあって――」


 困惑の中、一つの事実を手紙の文字の海から読んでしまった。


――父親に当たる人物ですが恐らくは私の会社時代の異性の友人で既に亡くなっており


「本当の父と思われる男は死んだ?なんだよそれ?!」


 本当の父と思われる男は目也が生まれる少し前に死んでしまったのだという。それも焼身自殺らしい。


「要するに、俺はどこかで母さんが知らぬ男と……」


――父親違い、生まれるべきではなかった、 


 弾丸となったその事実が胸を貫く。手に持っていた手紙を床に叩きつける。


「言いたいこと言って死んだのか。さぞ満足だろうなあ!畜生!!」






「……目也君?目也君?」


「え?」


 ふと瞼を開く。あの書類群を見終えたのち、望まぬ子と呟いて今までの事を振り返っている最中にどうやら寝てしまっていたらしい。


「大丈夫?何かうなされていたけど」


「ええ。すみません。迷惑を掛けました。ところで――」


 自分の視界に写った天井と横から首を下ろしてみている神様と自分の首にかかる感触に疑問を持つ。


「なぜ僕は膝枕されているんでしょうか?」


「嫌だった?」


「いいえ。何時ぞやのタバコみたいに『ただしてみたかった』ってだけですか?」


「……ええ。そうね」


 ベッド上からゆっくりと体を起こそうとする。その時のぞき込んだ神様の顔がどこか悲し気に見えたのを見てふと目也は呟く。


「神様、今日はどうしてこちらに?」


「ああ、またあのカステラ買ったからなんだけど……キッチンに置いておくわね?」


「ありがとうございます。なんというか助けられてばっかで本当に」


「いいのよ。好きでやっていることなんだから」


 もう見たくもない手紙の群れを畳むとそれを再び封筒の中にしまっては近くの棚の奥深いところにしまい込んだ。


「何か驚くようなこと書いてあったみたいだけど……?」


「見ちゃいましたよね……あれ?」


「ええ。まあ。その、なんていったいいのかしら……」


「気にしないでください。気に食わない奴が言いたいこと言って死んでいった。そして自分の手で自分の人生を〆た。やりたいようにやって死んだ。それだけのことなんですよ……!」


 拳を震わせながら目也は答える。


「そう……」


 深呼吸をして目也はゆっくりと立ち上がるとキッチンの方へと向かっていく。


「えっと、確かダージリンでしたっけ?それでも食べて落ち着いて――」


 落ち着こうとしたその時、インターホンが鳴りだした。


「あ、お客さんみたいですね。えっと……」


 ドアの方を向いていた目也はベッドの近くにいた神様の方に視線を向ける。


「じゃあ私は姿消してるからゆっくり対応していいわよ?」


「すみませんちょっと待ってて――」


 またインターホンが鳴りだす。そんなに時間も開いていないその鳴りにどこか違和感を覚える。


「宅配か?にしちゃあ、せっかちだなあ……」


「気を付けて。強盗かもしれないわよ?」


「……脅さないでくださいよ」


 ドアの前に立つまでにまた一回インターホンが鳴る。さらに強いノックが二回。目也は顔をドアスコープに近づけた。


「ったく誰だよ一体――」


 ドアスコープの人物を見る。目也はその先の人物を見て驚愕した。


「な、なに……!?」


 声が出て固まる。


「どうしたの?」


 姿を隠したままの神様が目也の焦りと不安の混じった声を聞いて思わず声を掛ける。


「何であいつがここに来てるんだ……?」


 居留守をしようとドアの鍵を掛けようとしたその時、彼と来訪者の境界は開かれた。開いたのは目也ではなく来訪者の方だった。


「何だ。いるじゃあないか。どうしてすぐに開けなかった?」


「あの……すみません。トイレにいたもので」


「ああ、そうか。お邪魔するぞ」


 丸く太り、黒のスーツを着た男が開かれたドアの前にいた。突然の来訪に驚きながらも目也は答える。


「で、ここに何しに来たんですか??」


 緑波目也の人生を狂わせた元凶の一人がそこにいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る