#22 燃える、焼ける、灰になる

「いいねえ!!これ!」


 緑波目也は声高らかに心を躍らせていた。彼の眼前にあるテーブル上の円状の網の上では大小の肉が大きな音で燃えあがる。その身の油で香ばしいにおいと共に激しく燃えあがる。焼き上がった網上の肉をトングで皿の上に取りつつ彼は自分が手にかけた憎きものを肉の出来具合を見つつ口元を歪めながら思い出していた。


「いい感じに焼けてるわね」


「ハフハフ……ええ」


 神様の前で目也は肉を頬張りながら目一杯噛みしめてその味を楽しんでいた。

 彼とメセキ神はとある焼肉屋で神様と共に食事を摂っていた。時刻は既に深夜を回っている為か、店員以外人気はほとんどなかった。


「にしても唐突に焼肉屋さんに向かうなんてね」


「ええ。だってお金貰っちゃいましたから」


 父の葬儀の後、彼は親戚の湯島夫妻からお金を受け取っていた。額にして二万。これで何か美味しいものでも食べてじっくり休んで来いと渡されたそのお金は父の死がきっかけに渡されたもの。しかもその死は彼によって引き起こされたものだ。だが湯島夫妻がその事実を知ることは当時にはなかった。


「あ、ハラミとカルビ追加していいかしら?」


「どうぞどうぞ」


 父の緑波光示が死んだあの日から今までに二週間以上が経過していた。二回目の葬式では目也の前で自信と尊厳に満ちていた母も何も話すことなく葬儀の手順をロボットのようにこなしていた。時折涙を流し止まっていた。


――あの母が膝を折ってあんなにわめくなんて!


 あの光景を思い出す度に彼は拳を握りしめて心の中でおおいに笑う。


「上機嫌ね、目也君」


「そうですね。あんなの親じゃないんですから」


――殺されて当たり前だ!だから大いに笑ってやるよ!ギャハハハハハ!!


「ああ……俺の人生にはもう何もねえから楽でいいなあ」


 目也はビールジョッキを飲み干しながら同時に渇いて笑いながらつぶやいた。


――なにより他人の不幸で飯がうまい!俺を認めなかったバカ共にふさわしい罰だ!


 『収穫なき砂漠の時代』を若き年で過ごした彼には今、目標も何もなかった。ただ毎日を漠然と生きることで十分になってしまっていた。復讐を除いては。彼を覆うは世界を欺く醜い炎。その炎を起こすためにくべられる嫉妬と憎悪だけが彼を今一度大きく動かす。そして彼の手にはもう何か新しい自分を探すといった未来を創るという考えも何もなかった。だからこそ彼には誰かを蹴落とし、地獄に追いやることにためらいがなかった。


「それにしてもまあ中々滑稽な生きざまになったもんだよ。俺も」


「そうかしら?」


「そうですよ」


 コトリと箸をタレ皿の上に置き腹をさする。


「それにしてもゴスロリ目立ちますねえやっぱ」


 今更ながら目也は神様のその衣装と目立ち具合に感想を述べる。神様は苦笑いを浮かべた。


「これは……アイデンティティというやつね。そうそう別のジャンルに変えるつもりはないけれど」


「あ、そういや質問なんですが」


「どうぞ」


「ゴスロリがなかった頃って何着てたんです?ドレスとか?」


「その時代と場所によるけど高い服を、とりわけ貴族ご用達の衣装を着てたわね。たまに一般の流行衣装を着てたわ」


「貴族ご用達っていうと……例えば十二単とか?」


「ええ」


 首を縦に振って神様は箸をおく。そして窓の向こうの遠くを見つめだす。


「特に昔のあの頃は……私は神様として『愛されて』いたわ」


「愛されて、いた?」


「今より多くの眷属魔人がいたのよ。数百人ほどね。ある孤島に」


「孤島?」


 眉を潜める目也。


「それって何処です?日本から離れてますか?」


「もうないわよ。跡形もなく消したから」


「え!?」


 瞳を大きく開く。


「け、消した?」


「……そうよ」


「孤島を、そのままですか?」


 体を震わせる目也をよそに神様は悲しげに語りを続ける。


「……殺し合いが起きたのよ。私に認めてほしい『ただ一人』になってほしくて」


「な――」


 固まる目也をよそに勢いよく網の上の炎が燃え上がる。


「それで、魔人を……全て島ごと自分の手で?」


 静かに神様はうなずいた。手に持ったコップの水をゆっくりと飲み干しながら。

 先ほどまで嬉しそうに肉を食べていた神様はその話を皮切りに顔を下に向け、瞼をピクピクと動かしながら今にも泣きそうだった。網の上の煙はどこ吹く風で登っていた。






 店を出て暫く歩いた帰り道、二人の間には重い沈黙が流れている。聞き出してしまったと思い込んでいた目也は頭を抱えていた。隣の神様はこちらにも目をくれずにたうつむいた表情で歩いていた。あの泣きそうな顔の裏にどんな凄絶な出来事があったのかを、どんな悲しみを背負ったのかを聞く気にはなれなかった。一介の畜生となり下がった彼にでも叩けないドアはあった。


「あの、俺なんかまずいこと聞いちゃいました……よね?」


「大丈夫。たまにあるのよ。思い出したくないことが嫌でも思い出す時が、ね」


「それ、俺にもありますよ。つらい時に追い打ちをかけるように思い出すことがあって、今もそれに縛られているというか」


「それは高校が終わってからかしら?」


「はい」


「気を付けなさい。多分それ一生続く可能性があるわ」


 メセキ神の忠告を聞いて目也は歩みを止める。


「それは神様の経験としてですか?」


「ええ。本当に辛いものは永遠といってもいいくらいに心にあり続けるから」


 神様は月を見上げる。


「もう五百年以上も前の話。ある島の人間達を魔人に変えてみた時があったの。その島の人間のほとんどが嫉妬を抱いていたから」


「え?島中の人間が嫉妬していたんですか?」


「ええ。美貌も才能もあって、それでいて全てを持っているようなものにね――」


 近くの公園に入り、ベンチに腰掛けながら神様は話を続ける。


「その島はまるで人に妬みを抱かせるかのようにあったの」


「人に嫉妬を抱かせる?」


「宗教のようなそんなものがあったの。嫉妬を認めよ。さすればお前も獣のようになれるってね」


 首にかけていた揚羽蝶のブローチをそっと手ですくいながら、話を続けた。


「獣。とくに大地を駆ける犬やオオカミ。彼ら信者はそれを妬んでいた」


「何故そのような宗教があったんです?」


「端的に言えば彼らは願いを持っていた。考えなく生きれる明日を。それを持てない人間として生まれた自分と獣たちを比較していつしかそねんでいた。やがて彼らは獣を妬みだした。大地を駆けるあの足を。獲物を切り裂く牙と爪を。自らを猛り示す遠吠えを」


「はあ、そういう考えもあったんですね……」


 大昔の人間達の考えにどことなくついていけずにいたが次第に理解が追い付いてきた時、目也はふと思い出したように神様に問う。


「あれ?神様はなぜそんなことをしたんです?全員魔人にした経緯って?」


「……『欲しいもの』があったのよ。それは結構な人数がいるものだと知ったから」


「『欲しいもの』?」


「ええ。でもそれを求めて後悔したわ。だって――」


 言いかけた時に涙ぐんだ声に変わる。


「ああ、えっと無理して話さなくても――」


「ごめんね……ごめん――」


 顔を隠して地面に伏せるように泣き声を上げる。謝罪の言葉を流しながら。落ちる涙が大地に後を残していく。そんな神様に目也はただ何と声をかけていいのかわからなかった。


(どうすればいいんだろうか……?)


 神様の泣き声の響く公園で目也はただ呆然と立ち尽くす。


(助けてくれた方に何もできないのか?俺は……)


 自分を救ってくれた存在に何もできずにいる自分が嫌いになりそうだった。頭の中で彼女に何かできないかと思いながら。

 夜もさらに更けて暗闇が増しそうな中、目也が写した視線の先には公園の街灯はただ灯っているだけだった。




 父の緑波光示が死亡してからしばらくが経過した。父の死亡状況は車で海に突っ込んでそのまま死亡。そこから警察は入水自殺と断定。原因としては息子の一人である卓明を亡くしたことがきっかけではないかと推測。父はその日から数日前、幻聴や不眠に悩まされていた。

 しかし、この幻聴と不眠は緑波目也がもたらしたものである。ちょっとした悪戯感覚で彼の周囲で騒音や幻覚を起こすように細工を行い、父がおかしな状態にあるように仕向けていたのである。抜け目なく父が自分から苦しみから逃げようとしたように見せかけるために。

 昼下がりのその日、目也は実家のリビングで湯島夫妻二人と今後の話をしていた。その話も終盤に差し掛かっていた。


「じゃあ……こっちには残れないの?」


 心配そうな目で見てきた伯母の湯島ひかりの視線の痛みに耐えながら目也は答える。


「ええ。そういう訳で僕は向こうには戻りませんよ。母さんもいずれは……立ち直れると思います」


 元凶はどこ吹く風で、にこやかに夫妻に話を続けていた。


「そう……なら弘美に関しては私達で見守ることにするわ。時々でいいから顔を出してね?あの家に一人じゃきついから、ね?」


「そうだぞ。いくら何でも今回は……な?」


「わかりました」


 それから残った問題があった。母の弘美である。彼女は立て続けに家族を失い、ここ最近おかしくなったのだという。親戚の湯島夫妻は目也に実家に戻ってほしいと懇願するが、目也は将来のこともあって今は戻らないと言った。一人静かにいられるあの場所を手放したくなかったためだ。当初、目也はこの話は上手くいかないから早めに母にも散ってもらおうと考えていたが結果としては意外にも夫妻にあっさり承諾された。自分のことも案じ、更には母の現状も案じた夫妻の采配に感銘すら覚えそうになった。


「あの……もし何かあったら連絡ください」


「おう。目也君も仕事やら奥さんやら見つけて戻って来いよ?それが多分弘美おばさんに効くからさ」


「お、奥さんですか……」


 信明の意見に苦笑いをこぼす。しかし彼の胸中は違っていた。


――すみませんね。僕は一人で生きていくことにしてるので。孫の代わりはいませんよ?


「こらこら。目也君を焦らせないの。女って本当に怖いんだから」


「女のお前が言うか?」


「言うわよ」


 夫婦漫才を目の当たりにして笑顔から一転して深呼吸を決めると目也はすっと立ち上がる。


「すみません。そろそろ帰ります。出来るだけ戻って様子を見ようとは思っていますので」


「ええ。そうね。私たちもここに来るつもりだから」


「困ったことがあったら相談しな。力になるぜ」


「ありがとうございます」


 夫妻の暖かい声に元凶は軽やかに玄関へと足を運ぶ。


(さて帰ろ――)


 玄関で靴を履きなおしていたその時だった。


(っ!?なんだ!?)


 冷たい感覚が目也の背中を覆った。後ろを振り返るとそこには――


「……帰るの?」


「え?……ああ、うん」


 かすれた声の主は母の弘美だった。リビングから分けられたその空間には今、目也と弘美以外の人間は存在しない。階段に立っていた彼女の見た目はあまり良くなかった。髪の毛は長くまとまりがとれておらずボサボサと無造作に伸び、その目は虚ろで片手には封筒を抱えていた。


「……何?もしかしてして手続きとか?」


「……いいえ。今じゃなくていいから」


 視線の先に捉えていた封筒を気にはしたがそれからは特にどうとでもせず玄関のドアに手を伸ばす。


「ねえ……ここには戻らないの?」


「……ああ。戻らないよ。時々は戻るけど――」


「何で?」


 泣きそうな声で目也に問いかける弘美。目也は問いにこう返す。


「自分の将来があるから。もう邪魔されたくないから」


 勢いよくドアを開く。そして一歩を踏み出した。目也は振り返り際に見た母の顔は、見えなかった。俯いていたから。


(まあ、親戚の二人がいるし大丈夫でしょ)


 今度は違う。あの時とは。球磨崎も、父も、母も今ならこの力で薙ぎ払い、思うさまに生きていけるから。だけど今の彼にその力があったとしてもそれはほぼ持ち腐れと言っても差支えがなかった。肝心の場所では持っておらず、結果的に彼はまだ苦しみの中にいる。それでもまだ死にたいとは思わず、生きて笑い続けたいと彼は願っている。


「今度はお前が奪われる番なんだよ」


 少し離れた先で家を見上げて彼は重く呟く。その家をそのまま見るのが最後だと知らずに。






 だがしばらくして、その時は唐突に訪れた。


「え!?母さんの家が燃えてる!?」


「そうなのよ!家には多分弘美が、母さんが、ああ――」


 駆け足で待ち合わせの場所に向かう。電話先のゆかり伯母さんからの突然の連絡に驚きを隠せずにいた。そして来た信明の車に乗り込み、実家の倉佐へと大慌てで向かっていた。

 この日、母の緑波弘美は亡くなった。後に死因は実家の放火した事による自殺だと断定される。

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