#17 敬う人、憎い人(2)

「お、戻ってきた」


 信明が車の近くに立っている。その手には四角い箱の何かが入っている白いビニール袋を持っていた。


「なんですかそれ?」


「これ?そこの売店で売ってたカステラ。目也君好きでしょこれ?」


「ええ、まあ」


「家に帰ったら食いな。旨いからさ」


「……ありがとうございます」


 差し出されたそのカステラ入りの袋を受け取る。暖かい気持ちになっていた目也には彼らが優しい人に見えるのは必然で、同時に悲しみもあった。

 目也は再び車に乗り込む。その時、気になったことがあって夫婦に質問をした。


「あの……今更なんですが、父さんと母さんの所に行かなくてよかったんですか?」


「ん?ああ、先に目也君送ってからでも遅くないんじゃないかと思ってな。ひかりもそう言ってたしよ。なあ?」


「そうね。確かに光示君と弘美も心配だけど、目也君も心配だったのよ。で、先にあなたを送ってからでも遅くはないかなって。何より昨日、明日には早く帰るって弘美に言っちゃったから……」


「そうですか。なんか、すみません」


 あの二人よりも自分を優先してくれた。目也はその事にどこか嬉しさを感じ、同時に悲しみも感じる。


(この人たちこそが俺以上に幸せになるべきなんだよな。なのに何でなんだ――)


 その脳裏には醜い嫉妬魔人となった今でも彼らを悼む嘆きが走りながら。

 彼が乗り込んでいた時、視界には車のバックミラー近くにぶら下がった古びた三匹のテディベアが映りこんでいた。一匹は水色、もう一匹はピンク色、そして小さな一匹はマリーゴールドのような黄色のテディベア。

 三人を乗せた黒い車はそのままパーキングエリアを出ていき、目也の住んでいるアパート、『クレセント船上』へと向かい出した。


「どうした?」


「あ、えっと、その」


 たじろぐ目也にどこか笑いを浮かべて信明は車に乗れるか?と聞いてくる。目也はとりあえず乗ることにした。


「……すみません何から何まで」


「んあ?ああ、気にすんなって。弘美さんに何か言われたら俺たちが乗せたからって言っておけばいし。な?」


「……はい」


 目也の視線は再び三匹の熊に写る。


「気になる?コレ?」


 目也の視線に気づいたのかひかりは彼に問いかけた。その顔はにこやかではあった。


「ああ、昔からあるなって。とても大事にしているんだなって」


「おう。コイツは……俺が立派な父ちゃんだって教えるためのものさ。目也くんも…卓明も俺から見れば大事な凜々花(りりか)の従兄弟なんだからよ」


 卓明の名前を挙げる瞬間に一瞬信明が言葉を詰まらせる。


「最後にあったの……確か正月だったか?お盆はなんか卓明君、サークルか何かのイベント行ってたんだっけ?」


「ええ……貰ったばかりの車でみんなを乗せて行ったそうですよ」


「そりゃあいい。車が動かせるってのは頼りがいのある先輩だったろうな」


 一定のペースを落とすことなく車は高速道路を駆け抜けていく。その車内には沈黙が満ちている。


「なのによぉ……なんで死んじまったんだ?」


 今にも泣きそうな声で信明は卓明の死を悼む。

 卓明の突然の死を悲しんだのはこの湯島夫婦も同じだった。たった一人の死、それも自分が嫌いな存在で悲しむ人間が家族以外にもいるのかと目也はその時は怒りを感じていたが、それがこの夫婦にとっては二度目の子の喪失であると理解すると彼らを悲しませてしまったのは想定の範囲外であると同時に反省の念を持った。最も反省の念はすぐに消えたが。


「なあ、卓明君って本当に事故死だったのか?」


「え?」


 思わず大きな声が出た。


(まさかこの人たち気づいたのか……?)


 信明の急な疑問に目也は焦燥の念に駆られ、嫌な汗が噴き出そうになる。


(いやそんなはずはない。嫉妬魔人の存在は誰にも知られていないはず。ならば普通に俺にたどり着くなんて事はないのに――)


「事故死よ。正確には転落事故による死亡。私ね、弘美から聞いたんだけど。なんでも警察の意見を聞いた時には確かにそう言ってたんですって。あたりに誰もいなかったし、人もあの日の深夜以降は寡金山には卓明君以外いないって話だったし。目撃者も朝になって出てきたって言ってたみたい」


「警察とか第一発見者とか付近の人間が言うからにはそうなんだろうけどよ。でもさ、あそこで落ちて死ぬなんて。まだ若くて、健康で、これからだったのによお……」


 やりきれないという感情を信明が言葉の端々から滲み出している。


(……もしここで俺が奴を殺したって言ったらどうなるんだろうか?)


 ふとそんな疑問に駆られた。少なくとも拳を数発分貰うのは確かだろうが。


「目也君、大丈夫?」


「え?」


 自分の首が、視線が床に向いているのに目也は気付いた。


(事情を知らぬ世間や外部から見れば俺は大事な弟を亡くした一人の兄と見られるのだろうが、自分から見れば法の社会どころかこの魔法の存在すら疑い嗤う世界において、最高のアリバイを持った一人の殺人鬼であることに変わりはないんだろうな…)


 深呼吸という一つの平常心を取り戻そうとするフェイズを得て彼は二人の夫婦に向けて答える。


「大丈夫です。今は。このまま船上まで、お願いします」


「あいよ。飛ばすぜ」


「やめなさい。捕まったらどうすんの。あおり運転だの運転がどうこう言われる時代なんだから」


「……安全運転でお願いします」


「ほら、目也君だってこう言ってるんだからさ。ね?」


「おう!」


 一瞬三匹の熊に信明の視線が届く。そしてそのまま車は事故なく高速道路を降りていく。


「あ、テレビでも見るか?」


 信明の提案に断る理由もなく車内のテレビを付けてもらった。テレビには今日の経済、スポーツなどの情報が映し出されていく。


「あーっと……グラシャス船上だったか?」


「グレイト船上じゃなかったかしら?」


「ださいから違くねえか?その名前」


「クレセント船上ですね」


 テレビの代わりとなったカーナビの上に設置されたスマートフォンがカーナビとして機能し、運転しながらの操作は危ないと思ったひかりが代わりに操作をする。


「あ、このまま道案内は俺が――」


「受験シーズンも佳境に入った今の季節。今日は話題の進学校、久野陰高校にインタビューをします!」


 目也が道案内を買って出ようとしたその時、目也の言葉が突然止まった。

 彼の視界にあるテレビの中に目也自身がよく知っている建物が映り、テレビの中のインタビュアーは嬉々として高校の紹介を始める。


「え……何で?」


 彼は目を大きく見開いた。


「どうした?」


 湯島夫婦も揃ってテレビを見る。そこには緑波目也の母校、『久野陰高校(くのいんこうこう)』が映し出されていた。

 テレビの中に表示された高校の風景はかつて彼に刻まれた苦い過去を思い起こさせるには十分だった。失敗した受験、離れた友達、今も引きずるあの日の言い争い。全てが彼の中で駆け巡り、元気よく学校紹介をするキャスターとは打って変わって目也はただ俯いて黙り込んでしまう。


――もう思い出したくなんてなかったのに


「あの、チャンネル変えてもらってもいいですか?」


「え?何で?」


「それ、は……えっと」

 そしてテレビの中に目也が思い出したくもない存在が姿を現す。八年以上経っても消えることのない忌まわしき存在、球磨崎敏明(くまざきとしあき)。あの時とほとんど変わらず、その存在は緑波目也にとって憎悪の対象でもあった。突き出たお腹に黒縁の眼鏡。そして頭部の髪の毛はやや白髪が混じっている。


「なんでこいつが出ているんだよ…!」


 握りしめた拳に眉を顰めて怨敵の振る舞いをただ見ていた。

 球磨崎敏明。緑波目也に忘れない傷を与え、彼の妬みの原因の一つを作った存在である。

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