#16 敬う人、憎い人

「だから、何度も言ってるだろ!?俺はもうちょっといい大学に行きたいんだよ!!」


「先生に暴力振るってもか?あぁ!?」


「う……」


 ある日の夜、リビングの食卓にあったいくつもの皿がひっくり返って地べたに料理とともに無残に飛び散っていた。そこにいたのは剣幕を見せる父の光示。彼の前に負けじと立ち向かおうと目也は自分を奮い立たせようとしていた。

その近くの椅子では母の弘美が座っており、鼻水をすすりながらもその目は赤かった。

 当時彼がまだ十七歳で大学受験の前の頃。彼は教師の球磨崎と受験に関して揉め事を起こし、父はそんな目也を責めていた。言い争いになる前、かかって来た電話で球磨崎は困ったように話した。


――お宅の息子さんがですね、その、なんというか自分に自信があるのはいいんですが。夢見がちで大事なこの大学受験を失敗すると思ったんですよ。だから私としても優しく言ったつもりなんですが彼が私を殴ろうとしましてね。正直色々と参っているんですよ。なんとかその場を治められましたが彼になんとか言ってほしいのです。お父さんにもお母さんにも


 球磨崎が言った内容に間違いはなく、目也も自分を夢見がちな人間なのだろうとは思っていた。それでも人生を出来るだけ有意義に、それも後悔なく進みたいと願っている。そんな彼にとって最良だと思っているこの選択を侮辱されて通せんぼされるのは我慢がならず、球磨崎に食って掛かった。その結果が今この場を作った。


「いい加減にしろ。目也」


「……なんでだよ。俺の人生なんだから――」


「誰が受験費用出すと思ってんだ?おい!?」


「……それは」


「母さんからは?」


「……そうね。先生に噛みついてまで、問題を起こすような事してまで受験をやれとは言ってないわよ」


 弘美は泣きながら手を握りしめてそのまま固まったままだった。


「とりあえず受験の教科選択だったかしら?そこは球磨崎先生に任せましょう。あとは――」


「だから俺は――」


 反論しようとした次の瞬間、目也の視界は大きく傾いた。父の平手打ちに吹き飛ばされ、その予想ができない攻撃に目也は体のバランスを失って地面に崩れ落ちる。


「もうやめろ。受験なんて。高校出てから働いたほうがいいよ。お父さんの世代もそうやって頑張って生きている人が多いから」


「何でそうなるんだよ!おかしいだろ」


「おかしくないだろ!今は先生の言うことを聞いて受験するかやめるか選びなさい。母さんだってさっきまで泣いてたぞ!」


「……なんでだよ。何でみんな揃って通せんぼするんだよ」


「お前の言う通り、受験も大事だぞ目也。だけどな、何も一流大学に行けとまでは言っていないぞ?大学に入ることだけ大事なんだよ」


「……どういう意味だよ?」


 跪く目也の前で父の光示は鼻息を鳴らして会話を続ける。


「いいか?確かに一流大学に入ればその後も楽かもしれない。だけどな、どこにも入れなかったら悲惨だろ?担任の先生の話を聞いてみたけど今のお前にあそこまで言うってことはきっと相当なんだよ」


「それでも俺は自分の進路を曲げる気はない!」


「ならお父さんもお母さんも受験のお金は出しません!」


「……っ!」


 栄光への挑戦を、認められるかもしれない最後の意志は『赤の他人の悪意(アドバイス)』の前にとうとう膝を折った。そして彼は今日まで痛みを引きずることになる。

 未来へと伸ばす目也の手を切り落としにかかる父親の光示。そしてその為の策をふるう母親の弘美。二人の足止めを止める術はその時の目也にはなかった。あの教師を殺すか、受験をやめて高校を出て働き、自分の手で稼いだお金で『自分の受験』を実現するか。

 この出来事によって目也の心に後に悔しさと怒り、そして後に来る弟への嫉妬もあった。まだ彼はその時はそうした感情に、嫉妬を除いて自分が支配されるだろうということはわかってはいた。それ以外、その時分かったことは彼の挑戦しようとするその手が切り落とされたことは確かである。

 





「目也君、目也君……?」


「う……うん?」


 しかめた顔をして目をつぶっていた目也が瞼を開くとそこには通せんぼするものはなく、彼は車の中にいた。具体的には彼は後部座席の右側、運転席の真後ろに座っている。


(……夢か。なんであんなのを――)


 座っている場所から助手席の方に視線を移すと一人の女性が心配そうな表情で目也を見ていた。現在車にはエンジンがかかっている様子はない。


「大丈夫?さっきまでなんかうなされていたみたいだけど」


「……大丈夫です。きっと良くなりますんで」


「そう?ちょっと信明さんが休憩するって言うから少し待っててね」



「わかりました。あ、ちょっとトイレ行ってきます」


 現在、彼が乗っている車は運転手が休憩するために高速道路のパーキングエリアに寄り道をしていた。運転手である湯島信明(ゆしまのぶあき)は現在トイレ休憩と近くの自販機で飲み物を購入しに向かっているのだと信明の妻である湯島ひかりは伝える。目也も自宅まで残り少ない距離ではあったが念のため、トイレ休憩に向かうことにした。


(うーん、なんか眩しいなあ……)


 降りた途端にに浴びる日差しがどうにも眩しかった。時刻は正午前。

 遡る事、一時間以上前。

 目也は朝早くに嫌いな実家を出て最寄り駅を目指し、家から少し歩いた先のバス停で立ち止まって時刻表を確認していた。しかし一日の中で最もバスが出てくる時間帯の朝早くにも関わらずそのバス停に来るバスの数は目也の予想以上に少なく、まだ時間にして十数分待たされることがわかった。


(バスは……当分は来ないか。なら途中のコンビニで買い食いでもしながら歩こう。朝ごはんまだだったし)


 バスを諦めて歩くことにした。

 しばらく歩いているとその道中、一台の黒い車が目也の奥の方に止まる。その黒い車には見覚えがあった。車の中から出てきたその人物にも。


「目也君……えっと、今から帰る?」


 助手席から出てきたしわもほとんどなく、綺麗に喪服を着た中年の女性が目也に言葉を選びながら話しかける。女性の名は湯島ひかり。緑波弘美の姉であり、目也の伯母である。彼女は心配そうな顔つきで目也に話しかけてくる。


「ええ、まあ……」


 車のそばまで近寄った目也は少々困惑しながらも彼女の質問に答える。


(……何でここにこの人たち居るの?帰ったんじゃ?)


「だったら乗ってけよ。家まで送るからさ」


 今度は運転席にいた男性でひかりの夫である湯島信明が目也に乗ってけと誘ってくる。


「あの、でもそっちの家と自分の家、こっからだと方向が逆じゃないですか。僕とそちらの――」


「気にすんなって」


 運転席の信明の操作によって後部座席のドアが開く。目也は少々困惑し、そこに飛び込む気はなかったが直後に夫妻の後ろから来る車を見てああ、いけないと思いそのまま飛び乗ることにした。そして奥の座席に自分を詰める。


「えっと、じゃあ船上市までお願いします」


「おう。任せろ」


 信明のその歯を見せる笑みにどう断っていいかわからず、目也はそのまま流れに身を任せて彼ら夫婦の車に乗ってしまった。正直一人の方が楽だったが帰りは電車よりも早いということと、彼らのせっかくのご厚意を無駄にするのは魔人となった彼には正直気が引けるものがあった。


――この人たちには昔から世話になっている。下手すればこの人たちは俺よりもつらい目にあっているんだ


(ってなって乗っちまったんだっけか……)


 男子トイレの設置された洗面上に移った自分自身の顔を見つめる。用を足して手を洗っている中、その顔はどこかあの夫婦に対し、申し訳ないという感情がにじみ出ていた。


「ホント、昔から世話を焼きたがる人達だよなあ……。悪くはないんだけど」


 トイレの外に出て近くの売店に足を運ぼうとしたその時、目也の持っていたスマートフォンが音を鳴らした。彼がスマートフォンを取り出し、画面に神様の電話番号が写っているのを確認すると即座に電話に出る。


「もしもし?」


「あ、目也君?ちょっと今、時間大丈夫かしら?」


「ええ、いいですよ」


 売店の入り口で神様の電話に応対する。


「目也君のお家にDVDプレーヤーってある?」


「ええ、ありますけど。何か見たいものでも?」


「そうそう。プレーヤーがなくてね。最初はもう一人の別の子に電話かけたんだけど彼、今は集中したいって言ってたから邪魔したらまずいって思ってね。それでどう?そっちで見てもいい?」


「ええ。ただ後数十分、多分一時間くらいかなあとは思うんですが。ちょっと別の場所にいまして」


「わかったわ。お家についたら連絡頂戴な」


「はい。畏まりました」


 電話が向こうから切られるのを確認してから目也も電話を切る。


「さてこっちも急ぐか」


 売店に入ってささっとコーヒー缶と二種類のパンを購入して車へと戻る。その途中で目也は神様がどんな作品を持ってくるのかが気になりだすがとりあえずは家まで我慢することにした。

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