#15 無敵に叫ぶ

(早く、早くあいつらを殺すんだ!俺を見ないようにして生きてきたあいつらを!!)


 ポケットに手を入れて少し大きな靴音を鳴らし、眉を潜め、ブツブツと聞き取れない何かを言いながら実家近くのバス停まで歩く目也の風態は一目で言うなら今にも何か、爆発しそうな危ない存在の他にならなかった。

 だが彼はその風態を知っていた。自分がその姿で歩くのはなにも今に始まったことではなかった。


(残りの人生を苦しみで終えてたまるか…)


 そして決まってこう言った場面で、苛立っていると目也は何かしらの失敗をする。


「あ」


 上着のポケットを漁る。神様にもらったタバコを忘れていた。

 昔からこうだった。苛立っていると何かしら忘れる。辛い時も忘れる。感情に生活をどこか支配されているように見えるのが緑波目也という人である。


「あれは……さすがに忘れちゃいかんでしょ」


 神様からの賜りものを忘れるのは申し訳ないと思い、それまで爆発寸前に近い状態だった目也の感情は一気に冷え込み、ため息が出ると同時に全身から力が抜けて冷静になった。


「早く取りに戻ろう。バス乗れないし」


 バスの時間までまだ余裕が十二分にある中で家を出たのを懐中時計で確認しに早歩きで両親のいるほうの家に戻る。


「落ち着け。落ち着くんだ。時間はまだある。家に戻って飯でも食えば…」


 冷静になったと思えばまたあの家に戻らないといけないと思うとまた沸々と怒りの感情に押し出される。たとえ法の社会をすり抜けて彼らを葬れる力を持っていたとしても。

 すぐに家が見えた。その一軒家にカギを使って入り込み、そのままポケットにタバコの入った喪服がある二階の自分の部屋に足音を大きく鳴らしながら向かう。ドアを開いてサッと喪服からタバコを引き抜く。


「あったあった。ったくこれ忘れるのはちょっとな……」


 ――タバコとは言え神様からの大事な授かりものをこんなところに忘れるのは一人の人間としてどうなのか?

 肩に下げていた鞄に授かり物を入れて部屋を出る。そして階段を降りようとドタドタと乱雑に音を鳴らして降りた時だった。


「目也」


 階段隣の廊下の奥に父の光示が立っていた。というよりは立ち尽くしているように見える。

 髪の毛はぐしゃぐしゃで服も寝間着のままではなく昨日から喪服のまま。風呂には入っておらずどうやらそのまま眠っていたらしい。


「なに?」


 その様子に目也はちょっと目を見開いたが同時に心では彼を見下していた。ざまあみろと。


「目也。今日なんだが泊まって――」


「いかない。明日もバイトだし」


 さっと提案をかわすようにして靴を履こうとした瞬間だった。


「バイトなんざどうでもいい!!」


 いきなり怒鳴り散らす父に声に震えて恐怖を覚える。目也はなんでと思ったが彼のよれた喪服を見てそれがすぐに自分のせいだからとわかると我に返る。


(落ち着け。コイツがこうなったのは何もコイツ自身のせいじゃないか。先にあのバカを棺桶にぶち込んだのは大正解だったな!)


 光示に背を向けている目也のその顔は光示からは見えることはなかったが、少なくともその表情はおぞましいものではあった。人の死を喜ぶその表情はまさしく醜い以外の感情はない。


(やり返されてんだよ。お前は)


 そのまま靴を履いて外に出ようとした時だった。


「目也。お願いだから今日は泊まって」


 父と目也でもないその声は母の弘美だった。


「母さん……」


 光示の口からぼそりと声が出た。母も同じように服を喪服から変えていなかった。


「目也、お願い。今日はここにいて。お願い……だから……」


 俯いたその姿勢から彼女が相当参っている。そしてまたここにいてと呟く。


「……お願い」


 いまだに背を向けたままの目也は素っ気なく言葉を返す。


「嫌だ」


 そして玄関にドアに手をかけたその瞬間――


「なんであなたが生きてるのよ!卓明だってあんなに頑張っていたのに!なんでよ!!」


 勢いよく母の口から卓明の死を悼む叫びが怒りと泣き声を交えて出てきた。


「あの子だってあなたみたいに笑っていたくて――」


 ドアが閉まり、叫びを遮った。完全に彼と彼らを二つに裂く。


「……知らねえよ。ざまあみろくそったれ。こんな時だけ体良く大切な息子扱いしてんじゃねえよ!」


 向こう側にも、誰にも聞こえないようにして呟くと彼は玄関の階段を下りて再びバス停を目指した。

 自分の声を、この家を出ようとする意志を先ほどから立て続けに言葉を遮ってまで否定しようとする彼らはそれでも親である。だが緑波目也にとって彼らは自分の選択を烈火のごとく怒って否定した。そして弟の卓明に平然とではなくかわいそうと慈悲の心で渡してみせた憎むべき存在なのだ。

 そんな両親をよく知る目也にとって彼らの映り方は一つ。


「まったくもってそういう考えができるのが妬ましいんだよ……」


 同時に妬むべき存在でもあった。彼ら両親のそれまでを、親になる前までの知っているから。


「ってそれは今はいいんだよ……早く行こう」


 そのまま家を出てしばらくして爆発寸前の状態になることもなく、彼は道路の端ににポツンと立っていたバス停に着く。そのまま立って待っていると同時にバス停の時刻表を見ていると、ふと大学時代の日々が脳裏によぎった。最後にこのバスを使っていたあの頃を。


「……もうあの頃には帰れない。ずっとあの時代でとどまれるわけじゃない。それをわかっていれば」


 大学に入ってから、というより入れられてから暫くは不機嫌だった。自分の願いを折られた果てにあったその道は決して汚れているわけではなく、また周りも高校時代とは違い、目也に危害を加えたり、話しかけても無視をするような人たちでもなかった。一緒にいると楽しい仲間たち。それが彼らの前にいた。だから自分もいつしかその傷を忘れようとして生きていた。その日々だけは、四年間は笑って過ごしていた。それは目也にとっては薬のような存在あるいは概念だった。


「いや。もう遅いか」


 だが結局最後に分かったのはその薬が、通せんぼの傷の痛みを抑えるレベルの薬が切れてなくなって永遠に手に入らないということだった。

 同時に彼の傷はそれまで抑えれていた痛みの分を引き起こすように二浪していた卓明が大学に入学した。勉強もせずに遊んでいたろくでなしはいつしか自分よりもいい大学に入っていたのだ。約束された明るい未来と家族の希望をすべて横で奪っていったその事実を眺めるだけで心の傷はさらに深くなった。

 通せんぼで泣く泣く自分の本意ではない大学への入学、対して二浪という甘えの期間を経ていい大学への入学。比較すれば後者のほうが死ぬまでに傷にならなくて済むのは確か。目也の傷は時間を培養液にして成長すると本人が理解した時はそれはとても深い絶望だったという。


「今度は俺がお前らに絶望をくれてやる……どうせ死ぬしかないなら、自ずと棺桶に入るなら俺が棺桶にぶち込んでやる!」


 人生の終盤に差し掛かっている者どもに付けられた傷によってできたその怒りを胸にバス停から家のほうをその瞳に怒りで満たして見る。バス停からは家は見えなかったがそれでも彼には敵の城が不思議と映っていた。

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