#14 牙

 緑波目也が宿す嫉妬の本質。それは『認められた者たち』への嫉妬。

 宿していた彼がその正体に気づいたのは彼が嫉妬魔人の炎を宿す前の事だった。自分より劣っていたはずの弟の卓明の将来が煌めいて見え、そして彼が自分の居場所を奪おうとしたあの日に否応なしに気づかされた。対して自分の人生は沈みゆく船であると知った。生きることにおいて全てを失くしたのだと感じた。だから彼はあの日、嫉妬の神の差し出された手を掴んだ。自らの人生に足を引っかけて希望を奪い、思うがままに生きて死のうとする奴ら全てを棺桶にぶち込む為に。


――目也、お前の受験は終わったんだよ。諦めなさい


――そうよ。あの大学だって悪くはないと思うわ。滑り止めとはいえ


――浪人にいくらかかると思ってるんだ?うちは裕福じゃないんだぞ?


――あなたはね、自分が優秀だと思ってるだけ。現実を見なさい


――とにかく浪人は認めないからな?滑り止めの大学受かってるんだからそこ行きな


――だって、このままだと卓明が可哀想だろ?


――そうよ。貴方だけ楽しい大学生活ってわけにもいかないでしょ?


――確かに二浪させたけどお前の時は大学受かってたしもうよかったろ?


――そうよ、それにあなたにもストレートとは言えいくらかかったと思ってるのよ。それに卓明はいい大学入れたんだしこれから卓明には目いっぱい働いてもらえればいいのよ






「ハハハッ……。やってやったぞクソッタレが」


 あの日からの出来事をしつこく思い返している目也。あの日から続いた妬みに決着がついたと理解してから彼はずっとその傷を復讐によって癒せたのがとても嬉しかった。

 緑波卓明の葬儀が一通り終わったその日の夜。彼の仏壇は彼の実家のリビングに置かれた。仏壇の前には骨壺と彼が生前好きだったお菓子が備えられており、遺影は大変きれいに撮れていた。


「あー線香くせったらありゃしない」


 線香の匂いに顔をしかめ、その遺影を見つめ続ける涙すら枯れた両親を見ることも、喪服を着るのも嫌になった目也は二階の自室に久しぶりに入った。

 部屋の中のベッド、机、タンス、テレビを久しぶりに見た。ベッドは今日来ることを想定してかシーツは整っており、机とテレビには埃はかぶっていなかった。


(俺は明日には自分の家に帰るのにご苦労なこった)


 両親のどちらかがしたその行いに呆れてため息を吐くと、目也はタンスの中にあった服を取り出して喪服から着替えると、部屋のベッドで横になってうずくまってはあの日の復讐劇を振り返っていた。


(さて次は……どっちから行くか?)


 残っているのは両親の緑波浩二と緑波弘美。そしてあの教師。どちらも彼の人生に苦痛を残し、嫉妬の花を咲かせるきっかけになった存在。順番としてはまず両親への報復を行うことを計画していた。現在は父と母どちらから報復を行うかを選択の途中である。


(両方ともやっちまえば楽だが、どうやって『事故死』に見せかける?それとも『ご不幸』か?)


 今、目也の前に『壁』はなかった。己が身に宿した嫉妬の炎がその壁すら燃やし尽くせることを実証したがためだ。


――あとは残った憎い奴らを殺していくだけだ。


(さてどうするか……)


 ベッドの上で転がる目也は計画を思案していたが、段々と何かに引っ張られるように眠気に引き寄せられていたについていた。


(まあ、焦らなくてもいいか……どうせ最後にはみんな死んでいくんだ。それが自ら棺桶に入る形でなければ俺はそれでいいから――)






「よお。ご機嫌?」


「ああ。って――」


 目也が瞳を開くと『個性の消えた教室』が写る。目也は自分の内的宇宙にいつの間にか入り込んでいたらしくその教室の椅子に腰をかけていた。そして目也の目の前に目也の精神から乖離した存在、『嫉妬側』が座っている。


「で、次はどっちからやるよ?それとも両方か?」


「……俺は今、どうしたらいいかな?」


「あぁ?何言ってんだ?」


 しかめっ面をする『嫉妬側』の表情とは対照的にどこか目也は落ち着いて笑っていた。そして彼は語りだす。 


「満たされちまってる。そんな気がしてよ。精神的満腹なんだ。そういえばわかるか?」


「おいおい。そりゃあねえだろ」


 嫉妬側は不敵に笑った。


「お前、?」


 嫉妬側のその時の笑みは不気味で、目也もそれにつられるように笑う。


「ああ、知ってるさ。こないだの電話で俺と卓明に将来の自分たちの面倒を見てもらおうと画策してみたいだがそうはさせねえよ」


「生きてりゃあ穴が開いてるわけでもないのに財布から金が出てっちまう。忘れんなよ?」


「ああ。そうだな。世界は金で動いてる。奴らはあのバカな弟への無駄な投資の果てで、金を失っただけじゃなくて自分たちの将来の布石を失った」


「俺が奪ったのさ。この力でよ……」


 紫に瞳を輝かせ、機嫌よくニタニタと笑う目也に目を細めた嫉妬側がくぎを刺すように言い出す。


「ご機嫌なところ悪いがもう一つやらなきゃいけないことがあるぜ?親への復讐以外にな」


「……あいつか」


 彼の脳裏に浮かんだのは高校時代の憎き教師、球磨崎。彼がいなければそもそも目也は大学受験を何事もなく過ごせた可能性があった。目也の未来を狂わせる程の影響を与えた人物でもある。『嫉妬側』は話を始める。


「お前は嫉妬を実らせる前に受けた屈辱を、嫉妬を実らせる土壌を作った者たちを消し去ることで晴らすことを忘れちゃいけねえ。根絶やしにするんだよ。お前はもっと煌めいて……それで認められる存在になれたはずだった。あいつのせいでお前は――」


「夢を失った。そして尊厳を潰された。もう一度夢を、尊厳を取り戻すチャンスすら与えられずにな。その先では尊厳を潰した奴らが俺の選択を嗤うようにして卓明に二度のチャンスを与えやがった。俺には頑なに認めなかったくせによ……親になればわかるって言ってたなあアイツら」


「ならねえよ。絶対にな」


 苛立つように返す嫉妬側。そして彼は語りだす。


「俺はな、家族なんざ持ちたかねえ。このご時世で家族もって何になる?人生の中でいらないものは持たされるだけ無駄ってのは大学受験の時に理解した。おまけにあの馬鹿両親は大学受験を邪魔しただけじゃなく、俺から浪人の機会を奪った後に俺にそう言ったのさ。てめえらだけ叶えたいように生きて俺からはその願いを叶えさせる機会すら奪った奴らが言ってんだぜ?」


「ああ、そりゃひどい。自分たちは好きなように生きて親になったのに、お前だけはだめだと屈辱を浴びせといてそのセリフを言うなんざ酷いねえ」


「復讐が終わって傷が完治すれば家族を持つ道も選ぶかもしれない。だけど、俺の心に内側につけられた傷はどうもな……」


 胸に手を当てて目也はあの日の出来事を振り返っていた。そして不敵に笑う。


「今ならネットに上がっていた両親への復讐劇をした奴らの気持ちがわかるよ。家族なんていらないって言ってる奴らの気持ちがな」


 自分が熊崎の姦計で両親からあられもない暴力を受けた日を。どれだけ言っても聞かず、高望みはするなと何度もぶってきた父を。怒鳴りだす母を。そして奪われた人生の未来図が奪われて挿げ替えられてから今までに何度も何度もちらついていることを。そのちらつきは彼に家族と教師に憎悪を呼び起こすのに十分だった。


(俺は……高望みなんて思っちゃいない。良い大学に入ってその先で良い生活を掴んで充実した人生へ進める確率を上げたかっただけなんだ。なのにあいつらは――)


「さてさて、暗い顔して申し訳ないが」


「あ?なんだよ」


「お前、全部壊したらどうするんだ?それで終いか?」


「……さあな。一つ言えるのは頂いたもんで残りの人生を進んでいけば何れは死ねる。ならそれで終わりでいい。復讐は済んだ。進めるだけ人生を歩んで終わり。夢なんざ掴みに行く年じゃねえし、もうそれしかねえんだよ」


 うつむく目也の表情はただただ暗い。それを見て嫉妬側は頷き続けていた。そして目也に提案を持ち掛ける。


「だったらよ。頂いたもんで新しいこと探さねえか?」


 嫉妬側が言う『新しいこと』というその提案に一瞬固まってしまう目也。彼は少し額に手を当てて考え、返答する。


「なんかあるか?」


「あるさ。趣味でもなんでもやりゃあいい。しわしわのおじいちゃんになったら出来ねえ事が多くなっちまうぞ?あのお方の恩恵を授かれるなんざそうそうないんだからよ」


「……考えとく」


「最後におせっかいを一つ。孤独は病気だ。仮面孤独になれ」


「仮面孤独?」


「おう。例えば仕事仲間だの趣味仲間だのでいいからよ。見つけておけ。退屈しのぎに何か持ってきてくれるかもしれないぜ?」


「……そうだな」


 沈んでいた表情が浮かび、嫉妬側を見る目也はふと疑問に駆られた。


「一つ質問いいか?」


「どうぞ」


「……お前は今、神様のことあのお方って言ったよな?もしかして何か知ってることあるのか?俺が知らない事でさ」


 嫉妬側はその疑問を聞くと視線を雄二から外し考え込む。そしてたどたどしく答えた。


「なくはねえぞ?でもな、あのお方に関して俺の知っている事以外は何も知らねえよ。生まれに始まってどこで何してたってのは眷属へと昇華させる俺にすらわからんのよ」


「何を知ってるんだ?」


 目也の体がぴくりと体が動き、嫉妬側にその質問を投げた。そして嫉妬側は答える。


「あーっと……名前とその力だ。まずあのお方の名はメト・メセキ。美しい見た目に多くの鮮やかな炎をまとい、妬みに苦しむ者の前に現れる嫉妬の神さ」


「嫉妬の神……なんでそうなる?」


「あ?」


 机の端を指でつつく目也の疑問に嫉妬側は首をかしげる。


「いやだってさ、俺の場合とかこないだ聞いた話とかだと嫉妬に苦しむものの一部に救いの手を差し伸べるわけじゃん?で、嫉妬の神ならば何で俺たちの嫉妬を解くような力を与えようとする?」


「あのお方は嫉妬を司る神じゃない。嫉妬に寄り添い、その心に蝕まれる人の一部に手を差し伸べているのさ」


「嫉妬をどうこうするタイプの神様ってことか?」


「おう。それから彼らの一部に儀式を持ち掛ける。そしてこないだの儀式でお前たち妬むものを眷属魔人に昇華させる。儀式に関してはその身を焼き、魔人になれるかを内的宇宙で問いただすのさ」


「眷属魔人?」


「ああ、そうさ。あのお方のくべる炎がお前を燃やし、魔人へと転生させた。あのお方の眷属、つまりは部下として。そしてその証に俺がいるわけだ。魔人は各々傷をベースに嫉妬側がいるのさ」


「儀式については?」


「儀式はあの炎を掴み、死に飛び込めるかの勇気を問い、そしてお前に俺を受け入れるかどうかを。後は覚悟を聞くだけだ。重要なのは死んでも叶えたい願いかどうかってのを伝えられるかどうかだからあの炎がつかめれば六割は突破したも同然だぜ?」


「あの炎か……」


 儀式を受けた日、彼は神様の手の上にあった紫色の炎を握りしめた時のことを思い出していた。身を引き裂かれるように燃やされる体と心。そして内的宇宙にて出会った自分から具現化し、自分を殺しに来た傷を。その傷は目也を殺そうとしてきた塊であったがやがて目也の生と報復の願いを聞いたのち、消えていった。そしてこの嫉妬側が生まれ、目也は魔人へと生まれ変わった。

 目也が儀式によって得られた炎は現在三つ。

 第一の炎、アルゲ・スィーレ。対象を焼き尽くすリンゴのように赤い色をした炎。

 第二の炎、イァーツォ・ルースァ。対象の存在を消し、世界から外す海のように青い炎。

 そして第三の炎、エリエン・ティレ。対象の傷を治す紫の炎。自分にも他人にも使えるが、対象が死んでいる場合は蘇生はしないとのこと。


(思い返してみると第三の炎だけ異質だよな?治すってのがなんかなあ……これって嫉妬の何と関係しているんだろうか?)


「どうかしたか?」


「ああ、いやあの神様ってホント何者なんだろうなって」


「まあ、気になるよなそりゃ。俺も名前と力くらいしか知らんからな。生い立ちなんぞもたぶん誰も知らんだろうし」


「へー。……あ、そうだ気になることがもう一つ」


「なんだ?」


「その嫉妬側は個別にいて、お前は俺の嫉妬の面が意識を持った存在とみていいのか?」


「それでいい。お前の嫉妬とそれに連なる傷と膨れた憎悪が肉体で精神は炎から。そう考えるとわかりやすいと思うがどうだ?」


「ああ。何となく。で、俺に趣味を進める意図は?」


「退屈は死を早めるだけだぞ?おまけに生を腐らせる。それにな、お前が死ねば俺も消える。寿命による死は受け入れるが、つまらんことでは死ぬなよ?」


「俺が生きている限り、お前が消えることはないよな?」


「おう。現実では俺はお前と話せないが睡眠時やなんかの時にこの内的宇宙に生まれた教室で会話ができるぞ」


「現実まで干渉することはないのか?」


「ねえな。こないだみたくお前がしくじることがなければな」


「あれか……」


 山中での報復劇を思い返す。数発の拳をもらった点に関して我ながらひどいものだと目也は思い返していた。


「次はスマートにやれよ?せっかくの恩恵が台無しなんだからよ」


「わかってる。一方的に詰って炙って叩きのめすさ」


「そうそう。お前は例外なんだからよ。もうちっと胸を張りな」


「例外?」


「ああ、生きていりゃあいずれわか――」




「………あれ?」


 ふとした疑問に天井が映った。どうやら目が覚めたらしい。


 部屋の時計が示した時刻は朝の八時。窓から朝日が昇り始めていた。


「何だったんだ……さっきのは?」


 体を起こし胸に手を当てる。先ほどまで起きていた嫉妬側との会話を思い返す。


「最後に例外って言ってたよなアイツ?俺が?魔人として?それとも――」


 夢の中での考えこもうとしたその時だった。


「いい加減にしてよ!!」


 耳を裂くような女性の怒鳴り声が目也の耳に響いた。


「あ……?なんだ?」


 先ほどの声に慎重になったのか、青い炎で姿を消し、彼は部屋のドアをすり抜けて声のした夫婦部屋に向かう。


「いやだからいつまでも――」


「私たちの子が死んだのよ!?赤の他人じゃなくて!!どうしてそんなヘラヘラしてるのよ!?」


 剣幕を見せ、怒りの相で父の緑波浩明をにらみつける母の緑波弘美。赤くなったその眼には涙が溢れており、その眼で父の浩明を睨みつけていた。


「母さん、時計の針は戻らないんだよ。それにいつまでも泣いてたら天国の卓明に申し訳ないだろ?」


「卓明が死んだのよ!?私たちの子が――」


「わかったから!」


 怒鳴り散らす母を鎮めるように浩明は両手の手のひらを弘美に見せつけなだめようとする。泣き崩れる母の顔を見て目也は二ヤついていた。


「ざまぁみろ」


 目也の復讐への満足から零れたその声は届くことはなかったが彼を更なる絶頂に導くには十分だった。彼が得ることのできなかった未来をかっさらっていった弟への報復。そして消えることのない傷へ捧ぐ薬として。


「次はこっちでいいか」


 目也の視線は父の浩明に移る。失わせ続けて報復の果てに棺桶にぶち込む計画をしていた目也にとって父を狙ったのは彼なりの理由があった。


(老後の計画はたぶん母が主導者だろうし、それにコイツは…クソ親父は家でもずっと母の言いなりだったところもあるし……こっちから死んでもらおう。それで最後には―)


「残ったのは目也よ!?卓明と違ってあの子は――」


「あんまり悪く言うな。目也だって一生懸命やろうとしているじゃないか。だからそうやって悲観することなんてないだろ?」


「だって目也は……うう……」


 忌まわしい母の泣き声がする部屋を目也は顔をしかめつつ、後にして自室に戻る。


(誰もいなくなったこの家も頂けると考えると……慰謝料代わりには悪くないか?まあ、を頂いていくつもりだが……)


 そして荷物を取りまとめ、階段を下りる。降りた先の卓明の仏壇の前に向かう。


「じゃあなクソ野郎。向こうで俺が長生きしてる間、苦しんでろ。バーカ!」


 仏壇前で中指を立てる。その顔は依然笑ったままなので目也はおかしくなって目也は思わず笑ってしまった。


(しかしまあ何で兄弟でここまで差がつくかね?愛情で顔はイケメンになるとかって聞いたがあれか?まさかね……)


 卓明のその微笑みに妬みを覚えたその時、上から床を強く踏みつけるような音と怒鳴り声がした。浩明と弘美が言い争っているらしい。


「……そろそろ行くかな。うるせえし」


 目也は荷物を詰めたカバンを手に家を出た。


「しかしなんか知らんがあそこまで嫌がられると傷つくわホント」


 これまでの弘美の目也に対するどこか不信の態度を思い出すと目也はいら立ちを見せ、髪をかきむしる。

 外は寒かったが、太陽はしっかりと出ていた。ある程度歩いて目也は家を外から見る。そしてこれまでを振り返り次の復讐へと進もうと決意し、拳を握りしめた。


(もう何も失うものなんてないから。もう少しで全てが終わる。そうすれば俺もこの苦しみから解かれるんだ。選ぶことを奪われたあの日から歩かされ続けて、今までになってから、もう何も失うものなんてないから。だから残りの人生をせめて苦痛ではなく達成感と一緒に生きて……死のう。それが奴らへの最大限の復讐になるのだからな)

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