#13 何もない。だから彼はその道を行く

 百十万円という額を想像してほしい。

 それだけの額があれば何が出来ようか?

 新車の購入や家財道具一式の調達、キッチンや風呂場の改修と生活に豊かさを促すのに十分なものだろう。

 ちなみにその額はこの国では生活の終焉を厳かに執り行うための平均額でもある。


「なんでまあそれだけの額用意してまでアレを送り出そうとするかね……」


 その日、『転落事故』によって亡くなった緑波卓明の葬式が執り行われていた。


「まあ、大切にしてたからなあ」


 その場を想像しながら目也はゲラゲラと笑って見せた。

 葬式は家族葬と呼ばれる家族と親戚一同のみの参加による形式で執り行われていた。

 そして現在、葬儀は亡くなった彼の火葬に入った。葬儀スタッフには一時間ほどかかると言われ、目也は外の空気を吸ってくると言って現在は外に設置されたタバコと飲料水の両方が並んで販売されている自販機コーナーの近くで一人静かにコーヒーを飲んでいた。その周囲には葬儀を行っている家が他になかったのか誰もいなかった。

 一方、目也の両親はあれからずっと泣いたままで現在はラウンジにいる。両親には親戚の湯島夫妻が付き添っている。先ほど目也がその場から『一人になりたい』と言って離れた。その時に湯島夫妻の妻、湯島ひかりが目也に火葬の終了時間にまで戻ってほしいと伝えており、目也はその時間まで外に設置された自販機コーナーまでいることにした。


「ビービーうるせえからこっちにいることにしたが、大正解だったな」


 卓明の両親が泣くさまを見るのも聞くのも、あの場所にいるのも嫌になって目也は外の自販機コーナーに隠れる道を選んだ。


「にしてもまあ綺麗なお空ですこと」


 立ったまま喪服に身を包んだ彼は飲んでいたコーヒー缶を片手に綺麗な青空を見ていた。空は雲一つなく、そこに上る煙も含めて彼はそう言い放った。現在火葬場の周囲には何とも言えない匂いが広がっている。


(今頃アイツは焼かれてんのかな。あれはひでぇ匂いだからな)


 その匂いを彼は寡金山で一度嗅いだことがある。丸焼きにされる人間の匂いを。


「……傑作だったなぁそれにしても。あの顔ときたらよ」


 目也は葬式の途中でご遺体と向かい合ったあの両親の顔は実に見物だったなと思い出す。むせび泣く母にごめんな、ごめんなと嘆いて泣く父親。彼らの崩れる様に見ていられなかったのか湯島夫妻がそれぞれを支えるようにして式は進んでいく。


「ま、俺が先に死んでいたらあそこまで泣いてくれるとは思えないけど」


「そうかしら?案外ワーワー泣くかもよ?」


「……唐突ですよね。貴女が出るのって」


「そうかしら?」


 その隣にメト・メセキ神が現れる。服装は相変わらず黒のゴシック調のドレスにアゲハチョウのブローチを首から下げており、片手には傘を持ち、今日はトランクではなくポーチを肩からかけていた。


「思うんですが神様。その衣装動きづらくないですか?」


「ぜーんぜん。慣れっこだから」


 そうですかと目也が返し、彼は空になったコーヒー缶をゴミ箱に入れる。


「ずいぶんあっさりと計画進んだね?ご両親かなり滅入ってるし」


「そうでしたね」


 火葬の直前に卓明の遺影を見たシーンが目也の頭に浮かぶ。

 棺桶の中にしまわれた遺体にただ声を上げて泣いていた二人をよそに彼は声を押し殺して下を向いていた。祖父と祖母は涙を静かに流しながら泣き、湯島夫妻は彼らの真後ろで沈黙せざるを得なかった。

 一方、飾られていた遺影を見た目也の感想はこうだった。


(この遺影と言い俺とは違って全くいい面してるよな。何で同じ親から生まれてこうも差があるんだ?彼女まで持ってて、妬けるぜホント。俺もいい面してたらちったあなあ……)


 葬式での出来事振り返っていると神様が目也に尋ねる。


「それにしてもまあスムーズにやったわね?」


 以前の復讐劇に現れた神様。目也曰く神様がそこに来た理由は目也が心配だったかららしい。


「そうでもないですよ。反撃を少し貰ったし、気絶するわで大変でしたから」


「体鍛えてるってあの母親言ってたからね。……にしてもまあ弟さんって顔つき良い方ね」


「ああ、そうですね……いや、そうでしたね」


 そう言いつつ彼は喪服の内ポケットから懐中時計を開いて時刻を確認する。まだ指定された時間ではなかった。


「ところで、神様は何故こちらに?」


「ああ、そうだ。あなたタバコ吸う趣味ある?」


 そういうと彼女はポーチから青と白のデザインが施されたタバコ入りの箱を取り出した。


「どうしたんですかこれ?」


「眷属からもらったのよ。所謂、『おすそ分け』ってやつかしら?」


「……お供え物をおすそ分けする神様なんて初めて見ましたよ」


 タバコの差出に少し困惑したが、懐中時計をしまって目也はそれを受け取る。


「久しぶりですね、タバコは。えっと……パルマネイト?」


「中々渋いでしょ?あの子の趣味っぽいんだけど」


「タバコはあんまり詳しくなくて」


「久しぶりって事は禁煙してたの?」


「いや。昔なんですがね、大学の知り合いから一本どうだと貰ったんですよ。そん時は確かエイトスターだったかな?」


「ああ。それはメジャーな奴ね確か」


「詳しいですね。神様ってタバコお吸いになられるんですか?」


「いいえ。全然詳しくないわよ。おまけにタバコも吸わないから。コレは気になってたら貰ったのよ。その子、絵のデザインの勉強で何となく買ったらしいんだけど」


「……お供え物にしては随分と変わった貰い方なような気もするんですが。てかそれっていらないモノを貰っただけじゃ?」


「そうかしら?私は供え物なんてあまり貰ったことないけど基本はこんな感じよ」


「はあ……。そう、なんですか」


 神様の実態に差し迫ったようでどう感想を言えば良いのかわからずじまいで戸惑う目也をよそに神様はまたポーチからジッポライターを取り出した。


「ちなみにこれもお供え物の一つ。オイルは入れてあるしちゃんと火は点くから」


「へえ…これもなんですね」


 そのジッポライターを目也が眺める。ちゃんと火は点くと言ったのはその見た目にあった。金色に輝くそれは側面に釣り針の模様が黒く刻まれており、所々に錆びていた個所や塗装が剥けている個所があった。目也にはそのライターがだいぶ前に造られたものであることはわかった。

 目也がタバコを箱から取り出すと、神様はジッポライターで火を点けだした。


「ちょっとタバコ加えてて?やってみたいことがあるから」


「はあ…」


 そういうと彼女はその火を目也のくわえていたタバコに持っていき、タバコに火を灯した。まるで往年映画の中のマフィアとそのボスのように。今の構図だとマフィアが神様で目也がそのボスではあるが。


「あの、やってみたいことってこれですか?」


「そうそう」


(……このお方、たまによくわからないんだよな)


 タバコを吸い始めた目也は視線を火を消したジッポライターに移す。


「しかしよくもまあ――」


 神様は妖しく目也に笑いかける。


「私の手を取れたわね?貴方」


 長く生き続ける存在のその問いに対し、目也はタバコの煙をゆっくりと静かに吐きながら答えた。


「……俺はあなたの炎に、その導きに手を伸ばしたんですよ。俺はそういう道を選んだんだ。この力でを……誇りを、願いを。それらを侮辱した奴らを殺し尽くすことを選んだんです」


「選べなくして目を塞いだものやもう一度すら与えなかった奴らを殺しつくしてそれで終わり?」


「終わりじゃないですよ。満たされながら死んでいく。それがゴールです」


「『生と死』とやらに拘るのはどうして?」


「……死のない神様には分からないかもしれませんが。死はどうあがいても人間には来るものなんですよ。多分俺がどれだけ年を食っても人類は不老不死を成就できない気がするんです。ならばいっそ飛び込めばいいって。できるだけ勢いよく」


「何故そんな考えに至ったのかしら?」


「……えーっと幼稚園の頃だったか。俺、卓明より早く棺桶に入ったことがあるんですよ」


「え?死んでたの君?」


「違いますよ。俺はその日、家族と一緒に葬儀に関するイベントに向かったんです。祖母の葬式の為に何がいるのかわからなかったから両親は俺を連れて行ったんですよ。幼い俺には何が何だかで。で、迷子になった時に展示されていた棺桶に入ったんですよ。近くにいたスタッフに蓋も閉じてもらったんですが俺にはそれが何をしているのかよくわからなくてただキャッキャ騒いでたみたいなんですよ。近くに他所のおばちゃんが立派に生きられるわねって俺に言ってたんですけど何が何だかでわからなくて。記憶に今でも残ってるんですけど」


 棺桶に生きている時に入る。これは一種の願掛けであり、長生きのお呪いであると目也が知ったのはそれから少し後だった。


「えらく無邪気というか。自分が何されてるかわかってなかったみたいね」


 全くですよ。と苦笑いをして目也はタバコから出る火を見送っている。


「……その暗闇の世界が人生の終点ってのを理解したのはだいぶ先なんですがね」


「ふむふむ。それで?」


 神様は目也の昔話に興味を示したのか目也をじっと見ながら続きを待つ。


「それから高校生の時ですかね。家族で旅行の時にお寺に行ったんですよ。お墓のある方角を見ていたらお坊さんが俺にお話をしてくれてそこで『生と死』について理解したんですよ。どんなに生きてても死は誰にでも来るものだと。自分にも、大好きな人にも、嫌いなアイツにもって」


 その時のお坊さんはこう語っていたと目也は思い出しながら神様に返す。


――全力を尽くして悔いなく生きて見せなさい。そうすればきっと貴方をを認めてくれる人はやってくる。そして棺桶に堂々入れるような最期にしてみなさい


「坊さんはそう言ってたですよ。俺が誰かに認められたいって願いもその時に見透かされてたのかな。でもその言葉に強く影響を受けたのは確かです。だから俺はその通りに生きようとしたんです」


「だけどそうはならなかった」


 神様のその返しに目也は顔をしかめ、吸っていたタバコをぎゅっと握った。


「それから後は以前に話した通り、俺の人生の大事な局面であった大学受験の時に酷い失敗をしたんです。俺には無理だとか言われてまだ何もわかっていない俺の人生が……俺が好きに歩いていいはずのその道を身勝手に舗装をしたんですよ!それも進みたくない方向に!!」


 目也はそういうと荒々しくタバコの煙を吐き出した。


「その上で舗装した奴らの仲間は、両親は俺が最後まで手を伸ばした可能性への道をあのバカに託したんです。俺が見ている横で嬉々として」


「……そりゃあ悔しかったでしょうね」


「それからは知らず知らずのうちに嫉妬という醜い傷まで背負って歩いてたんです。あなたに、メト・メセキ神に出会うまでは」


「ところで、弟さんを討ち取って大分満足してたけど。それでも復讐は続けるのかしら?」


 その時、目也はタバコから煙を吐き散らすと不敵に笑った。


「当然です。あいつらは俺の人生を強く強く侮辱した。俺から二つとない大切なものを奪っていったあいつらをただ棺桶に入れるわけにはいかない。その最期を俺の手で、棺桶にぶち込んでやるんですよ。出来るだけの憎しみを力いっぱいこめたこの炎で」


 目也の瞳が紫に煌くと彼の左手から紅く燃え盛る炎が現れる。


「嫉妬が消えたとしても。憎悪が残っている。だからその分のお礼もしてやるんです。それが二つある復讐の内、第一の復讐です」


「第一の復讐?」


「第二の復讐は出来るだけ笑って生きる事。地獄に向かった時に奴らがいたらこう生きて死にましたって言ってやるんですよ。絶対に悔しがるでしょうね」


「へえ、儀式の時にもこんな感じの話聞いたけどなかなか良い趣味じゃない」


 その復讐の計画を聞いて神様は息を弾ませた。そして目也に尋ねた。


「ところで地獄がなかったら?」


「その場合を含めてこの復讐をやるんですよ。地獄がなければこの復讐をしても閻魔様のお咎めなしですし。第一、俺は地獄という死者の行きつく先があるのを想定してあなたの儀式を受けたんです」


 目也はそうキッパリと返した。


「地獄がある前提でっての、中々面白いわね。ここまで『生と死』にこだわる眷属は久しぶりね」


「そうですか?俺はただずっと……儀式の前からずっと悔いなく生きて死にたいって願ってただけの人間でしたよ。今はあなたの眷属の魔人ですが」


 目也は十分に短くなったタバコを設置された灰皿の上に強く押しつけて離す。不慣れだったのか灰皿の上のタバコから煙が昇っている。


「自分の死の為に他者を葬り去る眷属なんて珍しいわよ。でも――」


 何かを言いかけると目の色を変えて視線を目也に向けた。


「私の眷属になって、いずれ来たる最期。きっと、いや絶対に誰にも同情されないわよ、その生き方は。それでもいいのかしら?」


「構いませんよ」


 冷たい視線を送りながら放たれた問いかけに目也は瞬時に斬り返す。


「俺はね神様。誰かに『ああ、辛かったんだね』って言われて涙を流してほしいわけじゃないんですよ。ただ俺を満たすためだけにあなたの眷属になった。それだけですよ」


「竹を割ったように返すよねホント……すっきりとしてていいわよ、アナタ」


「ていうかこの力を、この道を進めたあなたにそんなことが言えます?」


「言えるわよ?私は人が仰ぎ見る神が一つよ」


 互いに剣を振り合うかのようなその問答。見下す視線と疑いの視線がぶつかり合った。


「やめておきましょうか」


「ええ。そうしてください。俺はできれば貴女とは争いたくない」


「へえ。もしかして私に惚れた?」


「急に茶化さないでくださいよ」


 苦笑いしながら言うと目也は立ち上がって懐中時計を開いた。もうそろそろかと思っていたからだ。


(向こうにいるなら指くわえて悔しがりながら見てろ。多分俺はこの日まで生きるつもりでいるからよ)


その時計盤に刻まれた五十年以上先の日付に視線を向けた。緑波目也はその日まで、あるいは満たされて死に至るその日まで生きると誓った。

 そして指定された時間は近づいていた。


「あ、そろそろ続きあるんで戻ります」


「そう。じゃあ行ってらっしゃい。私はこの先も見届けているからさ」


 手を振って見送る神様に目也は頭を下げる。そして彼は火葬場内の方向へと立ち去って行った。


「まあ何はともあれ。ここまで生と死に拘る彼ならロクな死に方になるかしらね?」


 火葬場を離れる彼女は誰かに問いかけるように言って青空を見た。その空には生者の起こした煙と死者が起こす煙が昇っていた。

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