#11 比較は嫉妬を研ぎあげる

 ――神様、以前に聞いた醜真の詩をどうして花って例えるんですか?


 少し前、目也はメト・メセキ神に対して醜真の詩の中で疑問に思った点があったので質問を投げた時があった。


「それはね、嫉妬する人間のほとんどを『出来るだけ』それで例えてあげているの。嫉妬は醜いなんて言い方があるけど、実際はその通りな場合も多いのよ。だからね、文字通り花を添えてあげてるのよ」


「え?花を添えてるってどういう意味です?」


 その答えは目也にとって引っかかる物言いであった。


「………いつか教えてあげるわ。教えてもいい頃になった時だけどね」


「はあ……」




「花を添える……ねえ」


 昼下がり、神様の答え方にまだつっかえが残る目也は弟が通っている私立大学『電子工業大学』にいた。

 大学のキャンパス内には体育館や図書館を始め、多くの校舎や施設が並んでいる。体育館の隣にはビルがあり、その中には体を鍛えられるフィットネスもあった。

 彼は今、食堂にいる。大学の食堂ではお昼なのか学生で溢れており次のレポートやらに苦戦する者、学生や互いにゲーム機を持ち込んで遊びに興じる者、一人静かに食事をする者と様々な学生で溢れている。


「何というか不思議な感じだよな……こう、いるんだけど視線すら向けられないってのは」


 賑わう学生の群れ。誰もこちらを向かないことに違和感が湧く。目也のその違和感をが薄れたのは仲間と食事をする卓明のいるテーブルの近くに向かった時だった。

 緑波卓明。現在大学二年生で二浪して偏差値の良い大学に入学し、現在は兄と同じように工学部に在学している。顔つきは目也よりかは整っており、良い方である。しかし成績は目也の方が勝っていた。球磨崎に苦い思い出を作られたあの日までは。

 当時高校生だった卓明の成績は下から数えた方が早い方のレベルであり実際、大学進学は難しい方と当時の担任に言われるレベルだったと目也は母から以前に聞かされていた。目也から見た卓明という存在は所謂ロクデナシにしか見えなかった。一浪の頃はバイトもせずに引きこもってゲームで遊んでいたからだ。そして彼の二浪は決まった。


――ざまあみろ


 目也は弟の一浪の頃から卓明を見下しては彼に言葉すらかけていなかった。というよりわざと会話をしなかった。弟の浪人自体そのものが許せずにいたからだ。二浪が始まる頃には、理系だった目也は研究室に実験の為に寝泊まりする日が増えた。加えて休みの日も目也は大学の仲間と一緒に最後の学生としての思い出作りの為に遊びに繰り出したり、その時に使うお金を用意するためにバイトに出たりしていたので普段自宅か予備校にいる卓明とその顔を合わせる機会はなくなっていった。

 そして彼が二浪した二月のある日、目也の身に衝撃が走った。卓明は二浪の末に目也の通っていた大学よりも幾分か偏差値の高い大学に入学したのだ。それは当時大学四年生でまだ就活が終わらない目也にとっては信じられず、自分が実は弟より劣っていると思わされた。


――兄さん!電子工業受かったよ!


 久方ぶりに話したときに満面の笑みであっただろう弟のその顔を見た時、目也は無表情で答える。


「ああ、そうかい」


 その時、心の内には弟に対する怒り以外以外の感情は消えてなくなった。少なくともそう思っていた。





 

「……何でこいつはここにいるんだ?なんでこいつだけは浪人を認めてもらえるんだ?」


 昔のことを思い出し、嘆くように吐きだれた目也の疑問は誰にも届くことはなかった。例え彼が卓明の近くにいたとしても。


「ていうか緑波さんって体つきいいから体育会系サークル入りつつでも良かったんじゃないっすか?」


「えー……なんかその言い方ヘンタイっぽーい」


「うっそー!?どの辺が!?」


 ワイワイと騒ぐ卓明を含む複数人の男女で構成されたグループ。その中心にいた卓明に目を向けて目也は話を流れるように聞いていた。彼らの話を聞いた感じではどうやら彼らは委員会本部と呼ばれる組織に所属しているものらしい。委員会本部と言うのは大学に存在する各種サークル活動に対して支援や処罰といった所謂管理を行う組織らしい。


(うちの大学にもあったなあ。俺はサークルの方に入ってたけど。そういやみんな元気にしているかな――)


 脳裏に浮かんだのは過去の仲間たち。紹介してくれた先輩方。気の合う同期たち。

 昔の思い出に馳せていると彼らの内の一人が卓明に元気よく話し出す。


「てか緑波さん凄いっすよねー!毎朝車で来ているんですから!」


「そう?車通学は最近になってだけど。めんどくなったらやめるよ」


「えーもったいないっすよそれ」


 目也は今朝に偶々知ったのだが卓明は今現在、どうやら車で通学しているとのこと。


「どういう事なんだよ。一体……。そんな大学存在するのかよ……」


 今朝がたの事、大学近くの駅から降りて歩いてくるであろう卓明を待ち伏せしていた。しかし実際に目也が見たのは車で通学してきた卓明だった。それを見た時、目也は弟の中々のリッチさに思わず頭を抱えた。だがその直後に彼の頭に怒りがこみ上がる。それを抑える気はなかった。


「なーんで大学に車で向かうんだか。別に電車でいいだろうよ」


 吐き捨てるように言うと、次に近くから見える線路のかかった橋に視線を向けた。目也もかつては大学にいた身だったが、毎朝早くに狭い空間の満員電車に長い間揺られて通学していた。そんな自分と弟を比べると自然に羨望を向けざるを得なかった。


「って妬んでる場合じゃねえんだよ」


 髪の毛を掻いていると彼の視線は引っ張られるように卓明たちのグループに移った。


「でもアスリート同好会の田中さんって二浪でしたよ?緑波さんの一つ年上でしたけど」


「ああ、そういやそうだったね。でも俺はいいよ。兄さんみたいにテーブルゲーム同好会とかに所属する気はない」


「えー何でです?」


「兄さんはストレートに大学に進学出来て毎日仲間と遊びに繰り出しててさ。同年代の仲間が結構増えたみたいなこと言ってたの覚えてるんだ」


(あー……そういや大学一年の時に俺そんなこと卓明に言ってたな。確か家でメシ食ってた時か?)


 仲間の一人と話をする卓明の会話を聞いているとそんなことを思い出した。昔の思い出を思い出していると卓明は仲間に今度は嬉しそうに話しだす。


「まあ仲良くできる自信はなかったってのもあるけどさ、こう裏方に勤めるっての?そういうのでいいかなって思ってさ」


「結構仕事やってくれますもんね。こないだの書類整備助かりましたよホント」


 卓明が委員会の話をし出したとき、グループ内の眼鏡を掛けた男子がお礼を言いに来た。


「今はバイトやってないからね」


(やれよクソが。殺すぞ)


 目也はブチ切れそうになる。


「仕事とか書類確認とかやること多くて大変だけどこっちにいる方が楽しい時もあるじゃん?キャンプファイヤーした時とか飲み会とか」


「キャンプファイヤー楽しかったっすね!緑波さんが車運転してくれてセット一式も持ってきてくれたおかけで大盛り上がりでしたよ!おまけに設置も後片付けも全部してくれてホント大助かりでしたよ!」


「そ、そうかな?でも後片付けは皆でやったじゃないか」


「ほとんど緑波さんがやってたじゃないですか」


「てかアレ男子さぼってたじゃん!緑波さんの分だけパンパンだったじゃん!」


 元気のいい男子と卓明の会話に突如女子が割り込んでくる。長い髪にシュシュを付けた女子だった。


「えーそうだっけ?」


「おいバカミントン」


「すみません」


 元気のいい生徒はシュシュの女子の威圧の声に屈した。目也も思わず後ずさる。


「てか緑波さん妙に手馴れてませんでした?」


「たまにだけど家族とキャンプ行くからね」


「へー、そうだったの」


(ああ……そういや帰るときも一人帰りたくないと大粒の涙をこぼして泣いてたなそういや。あのババアが帰りにケーキ買う約束してどうにか泣き止ませたんだっけ?)


 目也は昔のことを思い出した。自分が小学生の頃にキャンプに連れて行ってくれた思い出を。卓明がその時目いっぱいはしゃいでいたのを思い出していた。


「今度は別の場所にしようか?」


「いいっすねそれ!ぜひ連れてって――」


「オイ」


「はい」


 シュシュの女子と元気のいい男子の漫才にグループ一同は爆笑した。

 それから話を聞くと呆然とする事実が分かった。どうやら卓明はそのグループだと年上なせいもあってか慕われているらしい。

 そのほほえましい光景あるグループは一般的には大学生が集まってわいわい騒いでるように見える。彼の大学生活とはかけ離れた違う世界が大きく広く存在し、目也は自然にかつての自分の大学生活を比較していた。


(……なんでだ?何でこいつは浪人が出来てここまで楽しい大学生活を送れているんだ?)


 目也にはそれが卓明を中心にしてできたグループだと理解した途端に血管が浮き出そうになった。只々その光景が羨ましかった。目也にも大学生活はあったがあそこまで慕われることはなかった。当初、目也は彼が大学生活を二年浪人したために楽しい大学生活にはならないだろうと彼が入学した時に思っていた。だが蓋を開ければこの風景といい、車を貰ったことといい、バイトすらしていないその事実の群れが目也の大学生活に突き刺さっていく。まるで自分がバカを見たかのような結末に膝から崩れそうになった。


(……ああもうへこんでる場合じゃねえ。さっさとコイツに落とし前を付けてもらわないとな!)


 気持ちを切り替えて卓明の行動観察を続ける。

 それから放課後。日が落ちかけてきたその時間帯になると授業を受け終えた卓明の所に先ほどのシュシュをつけた女子が来る。委員会の話をしつつそして一緒に歩き始めた。


「……ん?何だ?そっちは駐車場だぞ?」


 駐車場に向かうその二人に姿を消したままの目也は近付き、聞き耳を立て始めた。話を聞いた感じだと彼女の名前は浅島というらしい。


「そういや卓明ってさ、兄貴居るって言ってたじゃん?」


「ん?名前呼び?」


 姿を消していたが目也は声に出た。それまでの相手の女性がさっきとは違って態度がガラリと変わっていた。


「ああ、兄さんいるよ。今は仕事。唯は一人っ子だっけ?」


(……マジかよ)


 まさかこいつらと思ったがどうやら付き合っているらしい。目也は大学時代に顔もそこまで良くなかったせいか彼女作りが上手くいくことはなかった。女性のサークル部員の何人かとはよく話をしていたが結局はそれまでだった。


「そうなのよねえ。で、お兄さんって今何やっているの?」


 雑談なのか兄について、目也について浅島は卓明に質問をし出す。


「どうしたの急に」


「ほら、こないださ、ケガして委員会室来たじゃん。心配になったのよ。お兄さんにやられたって言ってたじゃん」


「今は仕事辞めちゃったみたいでさ。それで実家に帰るって言ってた」


「大変じゃんそれ。え?てかそれってもしかして八つ当たりされたの?」


「うん。まあ気にもしてないし。兄さんなら大丈夫だと思うよ。ストレートに大学入ってるし、それに実家なら父さん母さんいるし」


「兄さん上手くいくといいわね。あたし加勢しようか?ねじくれたの直すの得意だから」


(……何も知らねえくせに割り込んでくるんじゃねえよ)


 ねじくれたもの。それは恐らく自分の事だとわかると目也は彼女に殺意の視線を向ける。


「兄さんどこか可哀想だからさ……」


 その時はなった卓明の呟き。それは目也を固まらせた。その目は大きく開き、震え出す体。

 『可哀想』。その一言を聞いた時、彼は自身の中で人間としてのランクを自分が上で卓明が下にいると自然に思っていたがその一言を発せられた時、その自然が崩れかけた。というより崩れてしまった事実に目也はただ目をふさぎたくなった。


(冗談じゃねえぞクソが!!何が「可哀想」だ!てめえ何時からそんな偉そうな口きいてんだよ!)


 激昂した目也は彼女と楽しそうに話す卓明に今すぐにでも伝えたかった。


「で、どうする?今日も乗ってく?」


「今日は遠慮しとくわ。バイトあるから」


「あっそう。じゃあ……」


 そういうと周りに視線を飛ばし、誰か見てないかを確認しだす卓明。そして次の瞬間卓明は浅島をそっと抱きしめた。


「……もう。誰か来たらどうすんのよ」


「大丈夫よ。ここ、車で死角になっているから」


 死角の中で二人は今度はキスをしだす。その光景に目也は呆然としていた。長いキスの後、二人の唇が離れる。


「ところで今日明日ってどう?」


 今度は卓明が彼女に予定を聞き出した。

「明日がバイトで……てか一日だけにして。最近バイト多くいれててさ」


「じゃあ明後日だけなら?」


「明後日ならいいわよ。我慢してってもう」


 どこか執拗に見えた卓明の質問に疑問を覚えたが、我慢してという彼女の言葉に大体察した。

 じゃあねと言って帰っていく彼女を尻目に卓明は車に残念そうに乗り込んだ。目也も体を貫通させてその車の後部座席に乗り込む。


「はあ……まあいいか。おさがりだけどもうすぐ兄さんのいる家貰えるし」


(……こいつ今なんつった?)


 脚を組んで後部座席に偉そうに座る目也はそのぼやきを聞き逃さなかった。目が血管が浮き出るほどになったその顔には憎悪が満ちていた。そして卓明のスマートフォンが鳴り出す。彼は電話相手と楽しそうに語る。


(……クソッタレ)


 先ほどの兄が可哀想という意見に加え、弟の今日の大学生活と現在の状況が彼に今一度流れ込む。それは目也が上で卓明が下だと思っていたその考えを逆転させるに十分だった。青筋を浮かべ、その右手からは自らすら焼かんとする炎が溢れ出す。


(落ち着けよ。ここで殺すんじゃない)


 今ここでケリをつけても良かったが、計画の事を考え怒りをしまい込もうと自分の胸に手を当てる。


「え?ああ、いいよ。寡金山(カガネヤマ)でしょ?いいよ、今から見に行くから」


 寡金山。その言葉を聞いた時に目也はやっと来たかとなる。


 そこは少し前に目也のスマートフォンに卓明から送られてきた場所だった。どうやら今度は仲間内でバーベキューか何かを計画していたらしい。目也のスマートフォンに場所を送った理由は此処行ったことないかという質問の意を込めてのものだった。


(ああ行けよ今すぐに。事前に調べて分かったが、目出度いてめぇの最期にはふさわしい場所だと思うぜ?)


 目也がニヤリと笑った。持って来た鞄の中にある工具用のハンマーを構える。


 それからしばらく卓明は電話をしていた。それが終わると今度は母に向けて明日に帰るという旨を電話で伝えた。どうやら一人、車中泊をするらしい。


(おいおい。渡りに船ってか?)


 卓明は鼻歌交じりにカーナビを操作して目的地を寡金山にし、そのまま車を走らせ始めた。

 目也は不敵に笑っていた。惨劇の幕は上がり始めた。

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