#9 『無敵』の嫉妬魔人、生まれる

――言うなればさ、強い悪党になりてえんだ。そうして塵一つ消えてなくなる。要は後腐れなく死にてえのさ


 彼が言ったその言葉。そしてその道へと導こうと多くの何かが彼を包む。それは紫色で煌く光。否、炎の群れだった。


――ああ、そうだよ。君の願いを汚した奴らを潰そう


 その炎に包まれて、死にかけていた彼は勢いよく燃える。よく燃えるようになっていた彼は塵となって、そして塵は集い新たな人へと形を成した。


 一部の塵を残しながら新たな存在になっていった。






「うぉあっ!?」


 それまで寝返りもなく指一つ動かすこともなく死んだように固まって眠っていた目也は勢いよくその瞼を開き体を起こす。辺りを見返し自分の部屋のベッドで寝ていたということを確認する。


「あ、あれ……?俺死んだんじゃ?」


「生きてるわよ」


 部屋中央のテーブルでその手に週間誌程の大きさのアルバムを開いていたメセキ神が困惑した目也ににこやかに答える。


「おめでとう。これで力を得たわ」


「力ってもしかしてっ……!?」


 その時だった。目也は突如腹の奥底から何かが自分の喉に向かって走っている感覚を感じ取った。そして一目散にトイレに向かって駆けだした。


「ああ……そういや忘れてたわ」


 汚い声を上げながら便器の前で膝を折り、そこに向けてその胃の中にあったものを全て絞って吐き出す。涙が零れ、まだあるぞと言わんばかりにその腹の中のカス一つまで吐き出す。


「うぇぇ……」


 しばらくしてその吐き気が収まるのを感じると水を流し、今度は洗面器に向かって手と口内を何度も洗い始める。


「本当にこれで――」


 今度は洗面器についていた鏡を見て驚愕した。そこに映し出されていた緑波目也の両目にはそれまでは炭のような黒い色をしていたのだが今両目に映し出されていたのは薄い菫のような色合いの紫の瞳だった。暫くその瞳の色を見つめているとその横にふらりと神様が写る。


「ええ。とっても綺麗でしょ?」


「確かにそうですけど……これ他に人の見られたらどう説明すればいいんだか……」


「それは心配ご無用。その瞳の色は一定の条件を満たすか私や眷属以外には映らないようになっているから」


「眷属?」


「ええ。あなたはたった今私の眷属になったわ。要は部下って言えばいいのかしらね」


 眷属とは一般的には従者、配下、家子、所従などの隷属身分の者を指す言葉で目也はこの場合嫉妬の神の配下に生まれ変わったのだ。そしてこの瞳は眷属の証なのだという。


 さらに神様曰く、嫉妬魔人とは神様の力の一部を授かった存在であると。


「あーでもその瞳もね、今はその色だけど今日の夜には元に戻っちゃうわね」


「え?それじゃあ眷属の証ではなくなるって事じゃ」


「そうでもないわ。力を使えば勝手にそうなるから。魔人として生まれ変わったあなたはその力のコントロールがまだ上手くいかない状態、言ってしまえば魔人の赤ちゃんに近い状態よ?」


「魔人の赤ちゃん……ですか」


 自分の両手を広げてその手のひらを眺める目也。本当にそうなったのかと思い、手から炎を起こそうとする。この時は念じてはみたもののやはり上手くいかなかった。しかめっ面の目也を見て神様は口元を緩くして彼の方に手を伸ばす。


「慌てないで。ちゃんと手順をふめば――」


「教えてください。今すぐあいつらを血祭りにあげたいんです」


 見開いた目に閉じた口、笑っても、泣いても、怒っているようにも見えないその目也の表情を見て確信を得た神様は今すぐにでも大きく笑いたくなったがそれを抑えて彼を今一度、儀式の前の時のように自分の胸の内に寄せる。


「焦らないで頂戴。大丈夫だから。ちゃんと全てはあなたの思うがままに鉄槌を下せるわ」


「だったら今はどうすれば?」


「まずはティータイムにしましょうか。私、喉乾いたし」


「……はい」

 

 注がれたレモンティーの香りを楽しみつつ神様は片手にあったアルバムを広げてみていた。目也はその魔人としての力を振るえる時を今か今かと待ち望んでいた。スマートフォンを傍らに足をゆすり、指で机を小突いて待つ。

 そんな時視線を神様に移すと彼女が持っていたアルバムの中にあった写真の一枚に気を取られた。


「アレ……?その写真って?」


「ああ?これ?見てみる?」


 トランクケースの中にあったのだろうか。そのアルバムを目也が受け取ってその気になった写真に目を移す。そして彼は大きく目を見開く。


「やっぱりそうだ……この人見覚えがあります!」


「知ってるのかしら?」


「知ってるも何も……この女性歴史の教科書に載ってますよ?この人とのツーショットって凄くないですか?」


 その写真には目也曰く都内某所の、それも百年以上前の風景が写っており、縦向きにとられたその写真には神様と一人の女性が写っていた。二人の女性の服装は所謂『モガ』と呼ばれる当時では最先端の服装で麦わら帽子のようにつばの長い帽子に長いスカートを履いていた。


「この頃を勉強していたってことはもしかして当時の状況詳しかったりするのかしら?」


「いやあんまり。歴史の授業で出てた人ってくらいで」


「なるほどね」


 その写真に神様は視線を移す。


 そんな話をしているうちにレモンティーが丁度いい温度になったのか神様はそれに手を付けて飲み始める。


「ちなみに最初のページ見てごらん?」


「え?…あっこの男の人ってまさか!?」


「以前テレビで特番やってた人ね。桜島の近くで撮ったんだけどまさかあんなことになるとは思ってなかったわよ…」


「た、確かに……」


 どうやって写真を撮ろうと取り付けたのか?そんな疑問が目也の頭に浮かんだがそれは目也の知るところではなかった。


――本当に長い時を生きているんだ。この方は。もしかしたら写真に写ってないだけでもっと前からいたのかもしれない


 アルバムの写真の群れを見て目也は改めて目の前のメト・メセキという存在に神秘さを感じた。嫉妬の神という不穏な名を名乗っているが。


「そろそろいい時間かしら」


「あ、もうこんな時間ですか」


 神様の言う『目也が力を使えるタイミング』が来るまでそれからは目也は気を紛らわしつつ神様と著名人の昔話を聞いていた。それは目也にとって興味が湧く内容であったが、神様が壁の時計を見るとその目にあったキラキラは何かを悟った途端にその光は一瞬で消える。確認すると時計の針は二十二時を指していた。ちなみに彼が儀式を受けたのが十五時で目を覚ましたのは十九時である。


「さてそれじゃあ使い方について説明しましょうか」


 神様が席を立ち、それに続いて目也も席を立つ。


「とはいってもそんな難しくはないから大丈夫よ?」


「どうやるんです?」


「呪文よ。それも心か口のどちらかで言えばいいのよ。後は精神が真っ当ならそれで使えるわ」


「真っ当な精神ですか…」


 その言葉を笑いたくなった。あの儀式の後から目也は儀式前の自分を憎んでいた。何故もっと早くこの儀式を受けなかったのかと。そしてこの儀式を受けていればあいつらを八つ裂きにするのはもっと早くに出来たのにと強く後悔していた。


――憎くても人を殺すことなんて出来ない


 魔人として転生した後、転生前の自分が持っていたその感情は何処かで焼き切れていた。それはかつての自分が持っていた何かで「疎ましいリミッター」というよりかは「呪い」に感じている。人が他者を殺せないように仕向けたのならばそれを仕向けた存在がいるのなら今すぐにでも叩きのめしたいと思うほどに。


「で、その呪文と言うのは?」


「三つあるわよ」


 それからは神様に教わった通りに呪文を唱えた。そして呪文についての効力を一通り教わると休憩に入り、新しい紅茶を、今度はアールグレイを神様が注いでくれた。そして神様も自分の空になったカップに注ぐ。直後、それの香りを少し楽しむと彼女はそれをグイっと飲み始めた。その光景に目也は自分が掴んだカップとその光景に視線を見比べつつその目を凝らす。


「…まだ熱いのに凄いですね」


「あら、そうかしら?」


「今の俺でもこの熱さじゃあごくごくとはいけませんよ」


 目也は苦笑いして手に伝わるカップの熱さを感じ取っていた。


「それも神のなせる技……ってわけじゃないか」


「…どうかしらね」


 目也から視線を外し、遠くを見るようにして神様は答える。

 少しの時間が流れ、目也は彼らをどうやって壊してやろうかと考えている。ふと目也は神様に向けて気になった事をポツリと聞き出す。


「……一つ聞いていいですか?」


「なにかしら?」


「何で俺にこの力を授けようって思ったんです?」


「どういう意味?」


「それは……その。ほら、いろんな人が妬み嫉みを持って生きているじゃないですか。全員に振るわけにはいかないっていうのはなんとなくですがわかりますよ?神様は一部の人間のみに愛されていればそれでいいっていうのは以前聞きましたし。最終的に俺が選ばれた理由っていうのは…あるんですか?」


「ふむ。それはね、簡単よ。あなたは偶然選ばれただけだから」


「偶然?」


「ええ。例えるなら嫉妬が一つの応募条件の懸賞があって、あなたはその権利を得た。そしてその後にプレゼントを受け取る資格を得たのよ。一回は先送りにしちゃってるけどね」


「そうですか。ついでにもう一つ。今俺と同じ眷属の魔人は何人くらいいるんです?」


「うーん……各地に散らばってるけどあなたを含めて今は七人くらいかしら。全盛期は百人くらいだったと思うけど」


「ひゃ、百人ですか……?」


 目を見開く目也をよそに神様は話を続ける。


「そう、情報社会って言うのかしら?万が一私についての情報が噂程度ならいいけど蓄積やら実在が証明されると厄介なのよね。私は一部の人間に神様として見てもらえればそれでいいから」


「それで……良いんですか?」


「いいの。アイドルみたいにモテモテになるのはもうこりごりだから」


「はあ……」


 過去に何かあったのだろうかと推察する目也だったが、神様の浮かない顔を見て推察を辞める。


(地雷踏むわけにもいかんしなあ)


「それよりどうするか決まったの?」


「ああ、えっとですね……」


 目也は一しきりまとめたその復讐計画について淡々と神様に話始める。


「ああ、それは良いわね。じわじわと追い詰めて生きる意味を奪う。最高じゃない」


「でしょ?」


 悪党の語りを聞いた神様が上機嫌でアールグレイを飲み干すと悪党は更に語りを続ける。


「ここを守ったら今度はあのクソッタレを叩きのめすだけです。それで全部が終わる」


「終わったらその後は?」


「え?えっと、それは――」


「自殺は認めないからね?言っとくけど」


「それはしませんよ。でも何か探した方がいいんですか?」


「神様である私が言えた義理じゃないけど人生は短いわよ?以前、眷属の一人がそういってたわ。結婚も

せず、友達を作らずに、おまけに睡眠をロクに取らずに刀鍛冶に没頭していた子なんだけど。何でそんなこと言ったのか聞いたら刀なんて時代遅れの中で刀鍛冶になった彼なりのセリフなんだけどね。時代遅れの鍛冶師でも一人でも多くのお客さんにありがとうとかいい刀ですねって褒められたいって」


 熱弁する神様に対し、『それ、俺に関係あるか?』と思ったがその話の中で気になったのは「人生は短い」というワードである。目也にはそれは初耳だったが、その言葉の意味は早くに理解できた。彼なりだったが。


「そうですよね。若い時なんて尚更だから……」


 カップの中身を勢いよく飲みつつ気の抜けた笑みを見せる目也を見て、突如神様がカップを皿の上に音を立てて置き、そして目也にそれまでの人をやさしく包むような声色を変えて語りだす。


「復讐だけやって燃え尽きて死ぬってのはロクな死に方じゃないわ。腹に飯を詰めていくようにやりたいことをやって見せて死になさい。いいわね?」


「は……はい」


 突然彼女の変容にカップを持っていた手が震えたが、その眼の色を見て目也ははっと目を見開いてその言葉を肝に銘じると背筋を伸ばして姿勢を整えだす。彼の対応を見て神様は何かを呟きだした。


「その醜に人は苦しみ怒るるが」


「ん?」


「このまま聞いてちょうだい」


 そして彼女は目也の前でその呟きの続けた。呟きの全文はこうだった。


 その醜さに人は苦しみ怒るが

 水面曰く醜は永遠純粋の花でありて

 無邪気にて愛する者を悠久に閉ざす海を持ち

 紅に染まるその激焼の心は情を掠める全てを焼き尽くし

 永遠を願う紫の願いを注ぎ給う

 花は果てには輪の外で咲き誇り

 羨みを注がれる存在となる


「それは……何です?詩ですか?」


「そう。『醜真の詩』ね」


「しゅうまの……し?」


「妬みとはどういったものかそれを表す詩。そして同時に私が君に与えた力を遠回りに伝える詩でもあるのよ」


「力ですか……」


「そうそう」


 それからは神様が目也に与えた力について教え、三つの呪文とその力についてコーチングを受ける。それら全てが目也が使えることを確認したその時、彼は純粋に、笑っていた。

 それから目也はメセキ神と他愛ない雑談をしていた。やがて夜がさらに更けていくと神様が帰ると言い出したので玄関まで見送ることにした。玄関に向かうと神様は目也の方を向いて神妙そうな顔つきで話し出す。


「言い忘れていたけど不老はないから――」


「ああ、それは聞きました」


「失敗はしないでよ?」


「……勿論ですよ」


 手から伸びるそのリンゴのように赤い炎を神様に見せつけると神様はにこりと笑った。


「電話したくなったら何時でもどうぞ?あ、メールアドレスはこれね?」


「どうも」


 トランクケースから一枚のメモ用紙を取り出して目也に渡す。


「じゃ、またいつか遊びに来ていいかしら?」


「……どうぞ」


 苦笑いしつつも神様に返答するとドアを開けることなくその場から海のように蒼い炎を纏い、姿を消した。一呼吸置くと目也は振り返ってベッドになだれ込む。


(そうだ。ここを守るんだ。それであいつらを――)

 その表情を彼自身はみることはない。だが誰が見ても醜いといえるその表情の下には底知れぬ憎しみの海が広がっている。

 緑波目也は今日を持って神様の眷属に、嫉妬魔人(ジェラ・フィエンド)となった。同時に彼の復讐劇の幕は開いた。

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