#8 空っぽの彼の中に残った最後の感情

 彼の視界に映ったのは規則正しく並んだ蛍光灯の群れ。それで目也は自分が仰向けになって倒れているいるのを理解する。


「え?ここって――」


 目也はその場所に三年程いた覚えがあった。体を起こすと周辺には自分のいた場所は穴が開いたようにして規則正しく並んだ机と椅子。正面にはロッカーの群れ。右に窓の群れ。左には両端に引手のドア。後ろには黒板。


「高校だ。でも何でここに……?」


  足元に視線を下す。するとそこには――


「これ……棺桶か?」


 彼は棺桶の中から起き上がっていた事実を認識する。

 棺桶は教室の中央に周りの机と椅子をなかったようにして、そこに置かれていた。目也はたった今そこから起き上がった。

「……ここで儀式をやるのか?にしても何で教室で?それにこの棺桶はなんだよ?」

 他に何かないかとあたりを見返すが教室内にはポスターや誰かの小物も机の端に下げられておらず、個性の群れが消失した場所で目也は考え込んでいるとある予想が浮かんだ。


「まさか……実はもう死んでるとかじゃないよな」


「いいや生きてるよ」


「え?誰!?」


 教卓のそばに何かがいた。それは目也がよく知っていた存在。というより目也が知らないなんてことは許されない存在。服装は今の目也と同じでジーンズに襟付きの黒いシャツ。そしてその顔と服から覗ける手足からは無数の切り傷の群れ。顔には額から左目を伝って顎近くまである火傷痕。緑波目也に似た顔の存在がそこにいた。


「生きてるって言ってけどね。それはこれからによるよ」


「どういう意味だ?それは!?」


 そこにいた『もう一人』はニヤリと笑った。目也は彼を見て後ずさる。『もう一人』はさらにあざ笑うかのように顔を崩すと目也に語りだした。


「俺は機会をもらったんだよ。神様からな」


「まさか……あの炎でか?」


「そうそう。俺はそこで生を、自我ってのを得たんだよ。ずっとここで殴られ続けて、爪を立てられて、今度は愚痴を聞かされてよお。いやになるよ。なあ?」


「……俺なのか?」


 なんとなくだが目也は自身の前にいる者の正体がわかってきた。緑波目也がこれまで受けた傷を主に嫉妬関係で得た妬み嫉みを基に神が与えた炎によってそれらは変成して一つの人格を持つに至った存在。


「ああそうさ。誰かのサンドバッグじゃねえんだよ?」


 サンドバッグ。それは両親、弟によって踏みにじられた目也の心の例えだ。


(こいつは……俺の分身なのか?)


 目也の目の前にいる『もう一人』はこれまで目也が受けてきた傷の集合体にして緑波目也を名乗る存在。『もう一人』の狙いは今この場所に来た緑波目也の本来の自我を消し、自分が主人格になろうとしているのである。

 そしてこの教室、もとい高校はあの日からずっと目也は自分のこう進みたいという願いをへし折られた目也にとって屈辱の場所でもあった。ここで始まった屈辱は何時からか自分自身をも傷つけるようになりだした。目也がこの場所にいるのは恐らくはその背景もあってなのだろうと推察する。


(ああそうか。段々とだがわかりかけてきたぞ。恐らく儀式っての目の前にいるコイツをどうにかしろってことか。この場所は自分の精神世界か何かなんだろ。それも自分が嫉妬か何かの原因になった場所で)


 そこまで考えているうちにまた別の疑問が浮かんだ。


(だとしてもだ……何でここが出てくる?妬み嫉みが始まったのはあくまでも――)


「おいおーい。自分の状況分かってますかー?」


 思案する目也をよそに『もう一人』が気だるそうに語りかける。そして左手の親指を自分自身に向けの全身の傷跡の一つを指す。それは知らず知らずのうちに目也がつけていたものの具現化で顔の火傷痕もその一部。


「ところでこれなーんだ?」


「それって……」


 もう一人がどこからか取り出したのは額縁だった。ステンレス製でA4用紙程がぴったりと収まる程の大きさで目也の記憶が正しければ幼稚園児の頃に当時生きていた祖母の贈り物だと思い返す。何故それを送られたのかは正直分かっていない。ただ一言表彰されるような人間になりなさいと言っていたのは覚えている。


「結局コレ、空っぽのままだったな」


「ああ。いいとこの大学でも入れば、コイツに入れてそれであいつらからの扱いがちっとは良くなるって期待してたんだけどな……」


 額縁の中に名門大学の合格証書を入れて飾る。それで両親に認めてもらえる。彼はどこかでそう信じていた。


「ちなみにだけどな。俺さ、お前の存在を緑波目也の中から消して俺になるつもりだから」


「何だと……!?」


「後、俺を殺せばお前も死ぬぞ?」


――死ぬわよ。最悪


 その言葉の意味をたった今目也は理解した。


(死ぬというより最悪俺はコイツに殺されるってことか!?ってことはコイツを殺せってことか……?いやでもそれはできないよな?俺も死ぬってこいつは言ってたし)


 目の前にいる自分に似た何かは相変わらず歪んだ口で右手にいつの間にかに持っていたカッターナイフを音をゆっくりと鳴らしながら近づいてきている。さらに後ずさろうとするが目也は彼が教室のドアから離れさせる意図を読めず、そのまま窓際に立たされた。


――このまま死んでいくのか?


 そう思った矢先、一つの考えが浮かんだ。どうせ今いるのは死に際だ。思いきれ。そう思いつつカッターナイフをこちらに突き付けてゆっくりと歩くもう一人に目也は問いかけた。


「なあ、俺がここから生き残るとしたらどうすればいい?」


「何だ急に?命乞いか?」


――こいつに聞けばいいんだ!俺に!俺自身に!俺がどうすべきかを!


「お前は俺に代わって緑波目也として生きると聞いた。だけどそれは本当に可能なのか?俺という宇宙の中の底の底で……引きこもってただ震えていたお前にそんなことができるのか?」


「何だと?」


 別の方向に歪んだ顔からは今度は歯を見せる。そしてカッターナイフを握っていた右手は握りつぶすように力がこもる。


「俺が緑波目也なんだよ!お前もそうだが俺は最も苦しんだんだ!お前以上にな!ずっと見えない傷を自分だけ背負わされて!あいつに、卓也に持ってかれるのを指をくわえて見続ける痛みがお前にわかるか!?」


「ああ、わかるさ」


 目を凝らして前にいる『もう一人に』に目也は言う。


「俺はその苦しみから解かれたいからここで生きて力を得ないといけないんだよ」


「その力ってのはこれか?」


 『もう一人』は左手から炎を吹き起こした。勢いよく何かに向けて放たれたかのようなその炎は轟々と揺らめいて目也の視線をくぎ付けにする。

 その時『もう一人』はその炎が燃え盛っている片手を振り下ろした。瞬く間にその炎は散り散りになって教室の壁に届き、届いたその各所を燃やし始めた。


「……その炎を俺が手にするとしたらどうすればいい?」


「ああ?ねえよそんなの」


「何?」


――こうじゃない?なんだ?どうすればいいんだ?


「だったら俺はどうやって――」


 問いかけの最中に目也に向けてもう一人はカッターを目也の腹めがけて突き刺した。


「ぐぅ……?!」


「俺がお前になるしかねえんだよ?分かれよ」


「……わ、分からねえよ」


「あ?」


 刺された腹を、流れる血を塞ごうとする様に手でその箇所を覆いながら彼は自分の影に反論する。


「分からないって言ってんだよ。俺がお前になる?違う、お前は俺にはなれねえよ」


「あ?どういうことだよ?」


「……お、お前にはないものを俺は持っているぞ」


 突き刺したカッターナイフをもう一人がぐりぐりと腹の中で押し付けるように回す。当然目也の腹からは赤い血が噴き出すように流れる。


(……クソが。ここで死んだら全部終わりなのに――)


 視線がふと棺桶に移った。その時だった。目也の頭にある考えが浮かぶ。それはイチかバチかに近いが何かの突破口になるのではと本気で思っていた。というより溺れる者は藁をもつかむ状況に近いせいでそれが切り札だと思ってしまうほどに彼は窮地に立たされていた。


「復讐を……なしたとしてもだ。お前は多分何もないんじゃないのか?」


「何が言いたい」


「その先をどうするかがだよ。どうする気だ」


「さあな」


 その返しに目也はピクリと眉を動かす。


「俺はな。ここで死にたくはねえんだよ」


「それがどうした?」


「……あ、あそこに棺桶があるだろう?俺はあの棺桶に堂々と、それで盛大に入りてえんだよ」


「どういう意味だ?」


 その返しを聞いて目也は疑惑を持った。


――こいつは外見は俺だが、もしや


「ガキの頃にな、棺桶展示会か何かに家族で行ったんだよ。確かおばあちゃんの棺桶を探そうって話がきっかけだったか?で、そこで俺は棺桶に入ったのさ。もちろん死んだわけじゃねえ」


 痛みを食いしばりながらさらに目也は話を続ける。


「その時は何も考えが浮かばなかったけどよ、死の恐怖ってのか?あれにさいなまれた時があったんだよ。わかるか?」


「……ああ、あの時か――」


 そのほんの小さな静寂の瞬間で目也は電撃が走ったかの如く確信を持った。


「俺の偽物め!」


 咄嗟に刺されていたカッターの手を両手でつかみ、もう一人だったものに頭突きをかます。その手から離れたカッターを今度は目也が掴んで腹から抜き出して倒れていた偽物へ向けた。刃は彼に深く突き刺さる。


「な、何で俺を偽物っていうんだ……」


 先ほどまで込められていた殺意の相は消え、か細い声で泣き出した偽物と呼んだもう一人へと目也は続けて答える。


「お前が俺なら未来はどうした?もし本当に俺であり続けているものなら、例えどこまでも俺であり続けるのならどうして未来の話をしない?棺桶までの未来を。それに俺を、より緑波目也であるだか何だか知らねえけどよ、だったらあの時棺桶に入ったときに真っ先に何が浮かんだのかをなぜ話さない!?」


「……ああ、そうだよ。俺はお前の心の傷に神様から受けた炎が混ざってずっと前からいた『緑波目也の偽物』という怪物だよ」


「そうか……っ」


 地面に崩れる目也。流れる多量の血は彼の最期へのカウントダウンを示す。


「ここまで……か?」


 結局儀式はままならずに終わり目也が死にかけていたその時だった。


「……君はどうしたい?何がしたい?」


 偽物はそれまでの獣のような瞳と牙を伏せてまるで客に付き添う店員のような態度で突如として問いかけてきた。薄れゆく意識の中、目也は答える。


「今の俺の願いは……あいつらを棺桶にぶち込みたい。できるだけみじめにな。それでやりたいことを見つけてそれらを……腹を満たすように片っ端からやって……死にてえ」


「ではこれを」


 偽物が今度は彼の右手を両手で祈るように握りだす。何か温かいものを腕の中を伝う感覚を感じていると偽物は更に目也に問いかける。


「あなたは自分自身を愛せますか?」


 先ほどとは違い、穏やかな感情を持って偽物は目也に問いかける。その変貌に驚いたが目也は答えを出す。


「さあな。俺には憎んでる奴らがいる。妬んでる奴らもいる。嫌いな奴がいる。それら全てを殺してやる。そうして誰よりも笑って生きてやる。傷を上書くようにしてな。それが今の俺の願いだ」


 それが終わると目也は何も話さなくなった。


――結局これは何だったんだ?あの嫉妬の神は俺に何をさせたかったんだ?


 目也のその場所での最後の疑問だった。偽物はいつの間にか消えていた。

 燃え行く教室の中で横にうずくまったままで目也は瞳を閉じる。彼は何かが落ちてくるような大きな音がしたのを耳にした。それから次にどうするかを考えていた。


(……生きてたら神様に報告してみるか)


 そして地面が崩れたらしいのか今度は自分が落ちていく感覚を感じていた。

 沈んでいくその感覚にその身を任せ、彼は瞼を閉じた。

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