#3 神の教唆
緑波目也がまだ高校二年生だった頃。彼は進路の為に教科を選択した。しかし、その選択は最後まで認められなかった。放課後、当時の彼がいたクラス担任の教師である球磨崎に職員室に教科選択の件で呼び出された。普段そこまで校内で怒鳴ることのない彼であったがその日、声を荒げずにはいられなった。職員室は俺の出した怒声で静まり返った。
「なんでダメなんですか?!」
「いやだって君の場合はこの教科はいらない。そうじゃないか?」
きっぱりと言い放って真顔でこちらを見て返答してくる球磨崎に静かに苛立ちの表情を見せる目也。握りしめた拳から焦りも怒りも溢れだす。
「だから何であんたが……!」
「あんたって……ハア」
『あんた』という呼び方に眉をひそめて拳を机の上で固めた球磨崎先生だったがため息を吐き、落ち着いたそぶりを見せてから彼を諭そうと語りだした。
「いいかい緑波君。君が何を考えているかはわからないがね、こんなおかしな選択をしなくてもいいんだよ?変わろうよ。もう君は大学受験を控えてるんだ。先生の意見は素直にき――」
「だから変えたいって言ったじゃないですか!帝都電工大学じゃなくて京一工業大学にしたくてそれで――」
「やめろ!!」
職員室に大きな声が響いた。それは周囲の教師とほんの少し残っていた生徒の注意を引いた。こわばった雰囲気のまま球磨崎は話を続ける。
「確かに君の学力はそこそこあるよ。でもね、今から地学やってもねえ」
「だから地学なんですよ。化学じゃなくて地学なら自分の得意の暗記で済むって前に友達に聞いたんです。だから――」
「ダメダメ。先生は認めません」
彼は両手で罰のサインをピシッと出して目也の意見をブロックする。目也の目の前に座っている球磨崎はくたびれたスーツを着ていた。でっぷりと出た腹に中年さも相まって他の生徒にあだ名として「課長」なんてものが付いている男。
「緑波君。先生はね進路選択は慎重にしてほしいって言ってるの。わかる?」
ペンを机にコンコンと鳴らしながら彼は目也に高圧的にせまる。
「今は君に選んでほしい帝都電工大学の偏差値は五十一に対して君の志望しようとしているこの大学の偏差値は六十三だ。『絶対』に失敗するよ?」
『絶対』という箇所で彼はアクセントを強めて更にその態度を高める。
「私の長年の、自慢するようで悪いが当たる勘が言っているんだ。こうした高望みはね、決してやっちゃいけないんだよ?落ちこぼれが超一流ってのはよく聞く話だけどあれはアニメや漫画の話。わかるかい?それにねえ……」
くどくどと古臭い説教を垂れ流す球磨崎の言う長年の勘。確かに球磨崎はこの高校で三十年以上勤めている経験がある。
自分の人生を我が物顔で変えようとしているのだろうか?
目也の心の内には燃え上るマグマのように急激に不満が高まっていた。
「いいかい?私の意見を聞いた子は少なからず良い人生、あるいは大学で頑張っているんだ。何年か前にね、君みたいに偏差値がそこそこな子がいたが今は凄いシステムエンジニアで社会で活躍している子がいる。だから私を信じて――」
「嫌だって言ってるじゃないすか。自分の人生は――」
自分で決める。そう続けざまに言おうとしたその時だった。
球磨崎は机を勢いよく叩いた。彼はもう怒りを抑えられなかった。球磨崎ははあと大きなため息と細めた目をしつつ、こっちを見ていた。
「いい加減にしろ!君の母さんと父さんがどれだけ苦労して君を育てていると思っているんだ!折角のチャンスを不意にするんじゃない!どうして君はそう視野が狭いんだ?」
堪忍袋の緒が切れた球磨崎はボールペンを目也に投げつけて唾を飛ばしながら怒鳴り散らす。
しかめた顔にひるんだ姿勢だったが、負けじと目也も反論の姿勢を取る。
「折角のチャンスを不意にするんじゃない?大学なんて少し勉強すればどこにだっていけるじゃないか!視野が狭いのはどっちだ?大学を変えることの何がおかしい?偏差値が低い?勝手に不合格と決めんな。どうして俺に行動を起こさせてくれないんだ?」
目也が球磨崎を恨めしそうに睨んでいると球磨崎がやれやれとため息を溢して両手を上げて近くの眼鏡を掛けた痩せた男性の水野先生に意見を求めた。
「水野先生。彼どう思います?困ったクンですよねえ?」
「そ……そうですね」
気の弱そうな水野先生に意見を求めた時点で生徒の緑波と教師の球磨崎、どっちに転ぶかはある程度緑波の中では予想はついていた。水野先生に対し意見を述べようとしたその時チャイムが鳴りだした。
「すみません球磨崎先生、私は部活動があるのでこれで失礼します……」
「ええ。頑張ってください」
『すみませんね』と球磨崎は水野先生に挨拶を怒りに満ちた顔から一転して謝りだした。水野先生がそそくさと職員室を出ていくのを目也はただただ見ていた。あんなのに頼っても多分どうにもならないだろう。
「そんなに地学が取りたいか?」
「もちろんですよ」
「なら他の高校に転校しろ。うちじゃ教えないぞ?」
「何でですか?」
「私の意見を聞かない子には地学は渡せないね」
にやけ面でこっちを見ている球磨崎。目也は震えながら拳を握りしめていた。
「……親に相談してみます」
「そうかい」
目也は職員室を早足で出ていった。ドアを力いっぱい開け閉めして大きな音を立てて。
その日、家に帰ってきた緑波に待っていたのは両親からの暴力だった。どうやら職員室で揉めた件に対して球磨崎から報告があったらしくしかもその内容はこう伝わっていた。
――お宅の息子さんがですね。大変申し訳にくいのですがその私に対して暴言をふるったのです。しかも自分の思い通りにならないといって聞かず、怒号を飛ばしておりました。彼は夢見がちな性格なのは知っておりますがこのままでは受験もままならないでしょうね
その後のは殴られ、ののしられ、反発すれば殴られる。多分人生で一番殴られた回数の多い日だろうか。ついには球磨崎が学校でクラスメイトや知り合いの教師達に言いふらしたらしい。緑波目也は受験で頭がおかしくなったと。
話を鵜呑みにしたクラスメイトや友人に距離を置かれ、受験も予定を大幅に狂わされ、しかも勝手に第一目標にされた大学に落ちて俺の高校最後の一年となる三年生の生活は酷い物となった。「終わり良ければ総て良し」と言われるのならば、「終わり悪ければ総て悪し」とも取れる一年だったのだ。
「…おーい、おーーーい」
「…あっ」
「大丈夫?なんかぼーっとしてたみたいだけど?」
「ああ、大丈夫です」
視線がどこか虚ろになっていた目也の目をこちらに向けようとして神様が語りかけてきた。
目也が座っている椅子を挟んだテーブルの向かいには神様が座っていた。
彼の昔の話が聞きたいと言い出し、目也は何故か話したくなかったはずの昔話をしていた。そして彼は自分の過去の出来事を淡々と語りだし、ついには現在までで一番大きな傷を負った高校時代の話をすることになった。
「とまあそんな事があったんですよ」
「……ひどい話じゃないか。あんまりだよ。会社の話はともかくそれはちょっと理不尽ね」
今の過去話を機にしてさっきまで朗らかにはなっていたであろう雰囲気は雲が覆い隠される。同情してきた神様は縮こまっていてその顔は悲しげだった。
神様に出された一口サイズに切られたカステラを話しながら食べていたがその手が止まった。部屋の中にの空気はそれまではあったかいものだったがあの日の出来事を語りだした途端に重くなった。目也もまた過去を思い出して目に力が入らずどこか虚ろを見ていた。やはりこの話を聞きたいという彼女の意見を無視するべきだったろうか。
ティーカップから上っていた湯気は消えていて、出ている香りはかすかに残っている。長い時間話をしたせいだろうか。冷めたカップの中身を目也は一気に飲み干した。
「にしてもそんな過去があったとはねえ。しかもその時から続く傷が今も響いては離さないときたものだと……」
「……ええ。大学時代は楽しい事があってそれである程度は隠れていたというか。その、会社に勤めてからですかね。周りと言い、将来の事といい。なんかよくないことがあるたびに追い打ちをかけられている気がするんですよね」
神様は目也の過去を聞きたいと聞いてきた。目也はなんとなくだったが目の前に現れた嫉妬の神に話をすることになった。嫉妬とは言うが神様だ。もしかしたら傷を癒す手がかりを持っているかもしれないと心の何処かで思っていたからだ。
「それからしばらくして弟の卓明が受験を受けたんですよ。最初の時は何処も受かりませんでしたが。うちは浪人したら高卒で働けっていう決まりがあったはずなんですがね、あいつは二年浪人して志望校に受かったんです。おまけに取りたい教科は自分とは違ってちゃっかりとってましたし」
「……それでかしら」
ポツリと神が呟く。それは目也には聞こえなかった。
「あの、何で神様は家に来たんですか?」
「気配がしたのさ。嫉妬に苦しむ声がね」
神様はそれまできょとんとした顔から一転してニヤリと目也を見つめた。
「俺が卓明を妬んでいると?」
「うん。自覚はないかい?」
「え?ああまあ確かにそうですけど」
「嫉妬に苦しみながらでも……若いうちなんだからまだまだ何とかなるとは思うわよ?」
「そうですよね普通」
「でもね――」
音を立ててティーカップを置き、一息を入れると神様は目也をじっと見た。そして重く言葉を放つ。
「君の場合は違うわよ?」
「え?」
「私は長い事生きてきたわ。その中私はいろんな人間を観察してきたの。君は多分このままだと『破滅』するわ。それももう秒読みの段階でね」
「……は、はい?」
神様に冷ややかな瞳で見つめられていた目也はそのまま椅子に力なく座りこんでいた。
目を開き、困惑した。『破滅』という単語に。そしてそれが近づいているという事実を。
「本当に……その通りなんですか?」
「確率が高いといったのさ。『破滅』する確率がね」
「その『破滅』ってのはなんですか?」
「言ってしまえばやけになって自殺とかくだらない犯罪に手を出すことかな。あとは引きこもって終わりとかね」
『破滅』に関して心当たりがないわけではなかった。多分実家に戻らされることなのだろうがあの家からなら自分の将来が破滅になるという可能性が大きくなるのは彼自身感じ取れていた。
「仮にそうだったとしても何とかして理由付けて家を出て――」
早口で返す目也を神様が落ち着かせる。
「落ち着いて考えて。それからどうする気なの?」
「えっ。それは……仕事して――」
「仕事、ねえ。詳しくはないけどさ。見つかったかい何か?今の状況を打破できる何かが」
「こ、これからですよ。それにまだ実家に戻るって決まったわけじゃないんです。面談だってまだ残ってますからそこからが勝負ですしそれに――」
「待ちなさい」
変わらずに早口で答える目也に神様が突如として待ったをかける。
「なんですかいきなり……」
「いい?貴方は一度失敗しているのよ?それも過去の傷が原因で嘗ての職場でその傷が原因で自分が変われない人間であり、またその心にダメージを負っているの。多分次の職場に向かってもそのあたりでつつかれて終わって――」
「そんなことないですよ!」
テーブルを勢いよく叩く目也。
「まだ……まだなんですよ……」
「確かにまた『変わるかどうか』という点でつつかれるかと言えばないとも言えない。君の気持ちはわかる。だけどねえ、多分ほぼ詰みの状態ね。破滅までもう秒読みかもしれない。もちろん実家に帰ってから良い人生を掴むチャンスってのあるかもしれないけど、今の君にはそれがあの二人がいる最中で出来るとは思えないのよね」
「……俺はここに残りたいんですよ。どうしても」
「それよりちょっと話を話を変えたいんだけどいいかしら?」
「何です今度は?」
飲んでいたお茶の入ったカップをゆっくりと置き、息を吐いて神様は目也に提案した。
「私の儀式……を受けてみる気はない?」
「儀式?」
「ええ。」
儀式という単語を神様から聞き、目也は眉を潜める。
「なんです……その儀式ってのは?俺に何をさせようってんですか?」
「儀式を無事に終えて私の力を一部持って人生を進めて欲しいのよ。そしてその後に君を陥れた敵全てを君自身の手で殺す。勿論、そう簡単には痕跡の残らないやり方よ」
「殺してって……?!」
神様の提案。それは自分を陥れた敵を皆殺しに出来る力を与えるのだという。その突然の殺戮者への変貌を提示してきた神様に対して目也は声を雷が落ちたように荒げて答えた。
「出来ませんよそんなの!仮に殺したとしてなんになるんですか!?第一人殺しって―」
「その通り、どう考えても悪い事。だけどそれに足りうる原因を行った人間を貴方は許せるのかしら?」
「――それは」
神様は不敵に笑い首を縦に二回軽く振った。
「君の人生論を聞くに恐らくその教師といい、両親といい、君に嫉妬と言う感情を持たせた存在であることに変わりはないと思うよ?それに何より――」
神様は間をおいてさらにその顔を歪ませて言い放った。
「やられっぱなしは癪だと思わないかい?」
何も返せなかった。目也はただ沈黙していた。
(出来ることならあいつらに復讐したい。だけどそんなことまでしてどうなる?俺は殺人を犯した人間になるんだぞ?でもここで行動を起こさないと現状は悪化して神様の言うとおりに成りうる可能性だってあり得る)
深く、深く深呼吸をして目也は神様に質問をした。一つだけ気になる事があったから。
「でもそれって儀式とやらを越えないとダメなんですよね?」
「そうそう。儀式を越えたらね」
「儀式って何をするんです?」
「君自身の心、いわば内的宇宙に向かってもらうのさ。そこにある君自身の嫉妬を受け入れるのが儀式の内容さ」
「それをやったとして、リスクは?どんなメリットがあるんですか?」
「リスクは死ぬことかね。メリットは――」
また神様は目也の前から姿を消した。そして目也の隣に姿を現して左手を目也の前に差し出した。
「こういう事ができるようになるよ」
「これが……与えられる力……」
突如として神様の左手から火がゆらりと、そして溢れ出すように燃え上がった。その炎は右手で紙切れをその中に投じ、その紙が中で燃え尽きていった。これは普通の物体を燃やす炎、要は普通の炎である。色がオレンジ色というよりルビーのような赤色であることを除けば。
「これに加えてもう一つ力がある。つまり三つの力でやつらに報復が出来るの。どう?」
「赤い炎、青い炎、そしてもう一つの炎があると?」
「そうそう。もう一つは…試練を越えてのお楽しみね。これはなかなか面白いわよ?」
「殺人の提案をしてきているのに面白いって――」
さすがに冗談が過ぎていると思ったその瞬間に神様はすっと立ち上がり、そっと目也に顔を近づけて問う。
「緑波目也、君はどうやって死にたいんだい?」
「――えっ」
突然、がらりと雰囲気を変えて目を光らせる神様は目也に問いかける。彼の最期を聞こうとしてきているその理由を目也ははっきりと予想していた。
――最期までもうあんな思いはしたくない。奪われ、書き換えられるのはもうごめんだ!
震えていた。自分の最期について。このままいけば恐らく後悔しながら死んでいくのだろうと。それは目也自身避けたかった道である。
しかしそれでも目也は神様の提案に対し、あっさりとした答えを出す。
「すみません。やっぱり殺すなんて無理です」
「そう。やはり殺人は出来ないわよね。……ではこの話は無かったことにしましょ」
あっさりと神様は目也の意見を飲み込んでスッと立ち上がり、飲み干した目也のティーカップとお皿をそそくさと入っていた箱の中に片し、神様はそれを持って来た鞄の中にそれをしまった。広げていたテーブルクロスも丁寧に畳み、むき出しのテーブルの上に今度は鞄から取り出した紙袋をそっと置いた。
「あの……何をしに来たんですか本当は?」
「なにをって?」
「殺人まで犯して生きようだなんて普通の人間は思いませんよ。ある種の追い詰められた人間が行う蛮行以上におぞましい行いだと思うんです。そんなのを提案するなんてあなた一体なんなんですか?」
目也に背中を向けつつ、振り向き際に神様はその目をぎらつかせて話し出した。
「嫉妬の神、メト・メセキ。私はただそれだけの存在よ。ある種の愛を求めて人に光と道をもたらしたい。そのやり方がちょっと歪んでいるように見られているけどね」
「歪んでるってもんじゃないでしょう。それに俺の嫉妬がどうこうって言ってましたけど。どっちかっていうと、その……憎悪じゃないかって思うんですよ。自分で言うのもなんですけど」
神様の目的を聞いて震えた声で返す目也。神様は笑ったまま話を続ける。
「そうね。憎悪から生まれた羨望。そしてそれは嫉妬に生まれ変わっている。私は今までいろいろな人間を見てきた。君も彼らと同じように私の力を扱える存在だと思っているの」
「彼ら?」
「ああ。私の力を受け継いだ人間は結構いてね。昔はそれなりの間で増やしてたけど今は世間が情報社会とかになってるせいで情報が常識を逸した速さで広まるだろう?昔、一度派手に大火災が起こったのよ。そん時はまあ噂やらゴシップ程度で収まったからいいけど。もしこれが今だったら大変なことになるでしょうね」
「つまり、神様の力が現実にあると知った大衆が何かを起こしかねないと?」
「そうそう。私もさ。君のように努力で切り開けない道はないという考えをずっと人間に持ってほしいのよね。それが一番なのも知ってるけど。やっぱ現実は非情というか――」
「努力……ですか」
努力と言う言葉が目也に刺さる。かつて受験で自分が浪人を志願したときに母に言われた言葉があった。
――努力が足りないのよあなたは。球磨崎先生の時もそうだったけど夢見がちで自分を過大評価している。それがあなたなのよ。現実はどんな大学でも努力して、会社に入って汗水たらして働いて立派な人間になるのが理想なのよ。いい大学に入るのは魅力的だけど――
「儀式受ける気がないのならそろそろ帰っちゃうけどいいかしら?」
「え?ああ、どうぞ」
また嫌なことを思い出していた。そのたびに心も体も止まる自分の存在が嫌いだった。
玄関前で神様を見送る目也は神様の後ろ姿をただ見ていた。
ゴシック調の服を纏った彼女が目の前に現れた時、最初は戸惑ったものだがこうしてみると確かにうなじといい、綺麗にかかったウェーブの黒い髪といいその女性らしい体つきと来て目也の心を揺さぶる。
「どうかしたの?」
「ああ、いえなんでも」
「あ、そうだ。メールアドレス交換する?たまにで良ければ相談乗るわよ?」
「え?あ、いや……遠慮します」
しょんぼりとする神様の手の内には折りたたみ式の黒色の携帯電話があった。
「これ気に入っててさ、デザインとか。スマホとかでもいいんだけど」
「ああ、デザインが好きなんですね。なんとなく気持ちはわかりますよ」
雑談をしつつ神様は立てかけていた黒い傘を肘に引っ掛け、鞄を手に持ってポツリと話始める。
「そういや部屋のテーブルにあったあの懐中時計、なかなかいいデザインしてたやつじゃなかった?」
「え?ああそうですね」
「良い趣味してるじゃない、あなた」
「そう、ですか?」
意外なことに褒められ、困惑する目也。
彼の部屋にあるデスクトップパソコンの置かれたテーブルに置いてあった銀色に輝く懐中時計。表面には特にデザインがされておらず裏面には持ち主のイニシャルが刻まれているシンプルなデザイン。
「正直生きている間に……自分が後何ができるのか……それでどうなるのか……まずその限りを見えるようにすれば何か変わるかもって思ったんです」
「何か大きなことがしたいというやつかしら?」
「ええ。そうすれば俺は変われるって信じてたんです。どんなにひどい傷を負っても」
懐中時計のその蓋を開けると時計盤の中には持ち主の寿命が予測ではあるが刻まれている。その寿命は当時コラボしていたある企業のシステムによって算出されたもの。仮の寿命ではあるが目也には斬新なデザインに見えており手ごろな価格だったため、彼は新卒時代の初給料日に買った一種の記念品でもある。
困惑から一転して照れだした彼とは対照的に彼女の顔は悲しそうになる。
「……現実は厳しいし、君のような嫌な経験を受けた人達がいる。そうしていなくなっていくのさ。私はね、一握りくらいなら救いあげても良いと思っているのさ。まあ、私が救いたいと思っているのは嫉妬を抱いた人間のみだけどね」
「それであの提案を?」
目也の中で得心がいった。神様は自分のようなある種の妬みを持った存在が一握りなら救われたいと願っているのだと。
「確かにある種は魅力的ですよ。その……皆殺しってのは。でもその後の道が、その見えないっていうか」
「そこからはね、君自身の手で作ってほしいのさ。少なくとも現状よりかはましだと思っているよ。人が人をが殺すってのは君のような人間からはかなり狂ってるかもしれない。でも神から見ればそれはどうでもいいことなんだけど」
「ハハハ……本当に神様なんですね」
「ああ、私は嫉妬の神のメト・メセキ。好物は甘い物と敬愛の情さ」
すっと目也の前に神様の右手が差し出される。目也は一瞬戸惑ったがそれが神様が握手を求めていると思った時には彼もまた右手を差し出して互いの手を握り、握手をした。
(ああ、温かいな。嫉妬の神様とはいえ人間のようで―)
いつ以来だろうか。握手をしたのは。温かみのある手を何故か目也は話したくなかった。
「それじゃ」
だが突如として温かみのあるその手は消えた。
ふわりと溢れた青い炎の群れは目也に人魂の群れを思い起こさせる。
――もしかしてあれが神様を慕う人達とか?
不意に目也は思った。
「……帰っちゃったか」
「ああ、そうだ」
「うぉあっ!?」
突如現れた神様の姿に目也は目を見開いて驚く。二回目とはいえ流石に突然出てくるのは驚きを隠せなかった。
「さっき置いた紙袋の中身、君が気に入ったカステラなんだけど消費期限案外近いから早めに食べちゃってね?」
「ご、ご丁寧にどうも」
それだけ言って神様はまた姿を消す。今度こそ本当に姿を消したらしい。
しばしの間、沈黙が流れる。
「神様、か。どっちかっていうと女神さまだけどまあ細かい事はいいか」
テーブルの上に置かれたカステラ入りの紙袋を目也は流しの上にある収納スペースにしまった。
「ああ、もうこんな時間か。明日もバイトだし風呂入って早く寝ないと――」
部屋の時計を見ると気が付けば時刻は零時を指している。
突如目也の前に現れた謎の女神、メト・メセキ。彼女と目也が再開するのはそう遠くなかった。
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