第99話 言うべきこと

「リリスもう少しで帰ってくるってー」


 甜狐てんことの入浴を終え、髪をドライヤーで乾かしてあげているとそんな事を言いながら彼女は手に持ったスマートフォンの画面を背後の私にも見えるようにしてくれる。


 結局、彼女の提案による身体の洗いっこは背中を流したところで切り上げようとした私に対し、当然のようにこちら側へと身体を向けようとしてきたのだが、それは押し留めることに成功した。さすがに前は自分で洗って欲しいし、私が洗えば当然こちらを洗う口実を与えかねない。その代わり妥協案として頭を洗ってあげて、湯上り後このように髪を乾かしてあげているのである。


 普段はホワイトブロンドの髪をひとつに束ね左肩前に流している彼女であるが、こうやって真っ直ぐに梳かしてあげるとその長さは想像以上に長い。普段の髪型だとどこかおっとりとした印象を受けがちであるが、……まぁ中身はともかくだ。まだ水気を含んだしとやかな髪も手伝ってまとめている時より一層美人度が上がっている気がする。


 私なんかは襟足が少し長いくらいであとは短めにまとめているのですぐ乾いたのだが、もし黒惟まおのような長髪であったら毎回お風呂上がりは大変だったであろう……。そう思うとVtuberとしての姿と同じくらい髪が長いリーゼなんかは苦労してそうだ。


「お昼は食べたん?っと……おべんと出たみたいやねぇ。なら、こっちはこっちで食べた方が良さそうや、食べ終わった頃には帰ってくるやろ」


 そんな事を思っているうちに手早くリリスとのメッセージのやりとりを終えた甜狐からの言葉を受けドライヤーのスイッチを切る。


「それじゃ服着て向かおっか」

「んー?これで全部やけど」


 私は寝ていた時と同じく浴衣が用意されていたのでそれに身を包んでいるのだが、目の前にいる甜狐はというと上はキャミソールで下は下着のみである。


「いや……流石に寒くないの?」

「平気やよー、なんならお風呂上がりはいっつも裸やしー」


 暑がりというか基本的に脱ぎたがりであることは知っていたつもりであったが、まさかこの季節になってもそれを貫き通しているとは思わなかった。というかこの口ぶりでは、基本的に裸族なのではないかとも思えてくる。


「甜狐の家だし、寒くないならいいけど……」

「……あっ、なんか寒うなってきたわーまおちゃん温めてー」


 ニヤリと何か良からぬことを思いついた顔でこちらに抱きついてくる甜狐をひらりと躱そうとするが、筋肉痛のせいでどうにも動きにキレがなくなってしまっている。


「馬鹿やってないで、ほら行くよ」

「はーい」


 抱きついてきた甜狐を引き剥がそうにもそれだけでまた痛みに悩まされそうだったので、そのまま脱衣場から出るように促す。実際のところ温める必要のないくらい甜狐の身体は温かかく、これならば本人の言う通り平気なのだろうと思うのだが……。


 大して抵抗を見せない私の言葉に素直な返事で答えた甜狐は私を抱きしめる力を緩め、腕を組み上機嫌で歩きだす。彼女の方が少しだけ背が高いので若干歩きにくくはあるのだが……、色々と気を回してくれているお礼と言えるほど大したものではないだろうが喜んでくれているならいいだろう。


……


 リリスが帰ってきたのは甜狐の予想通り私達が遅すぎる朝食を食べ終わって少しした頃だった。


「おかえりリリス」

「おかえり~」


 食後に入れてもらったお茶を飲みながらそろそろだろうか?なんて甜狐と話しているところにリリスは帰ってきて、そのまま無言で私のもとへと静かに向かってくる。

 配信中以外はいつも言葉数も少ないリリスであるが、大和撫子然とした容姿だけ見ればまだ少女の様に見える彼女が無言で迫ってくるのだからなんだか迫力がある。


「……リリス?」


 私が呼びかけても反応は示さず、もしかしたら面倒をかけ更に心配かけたことをとても怒っているのではないだろうかと思わせるような無言の圧。心なしかこちらに向けられた視線も険しいような気がしてしまう。


 座布団の上に座っている私の元にたどり着いたリリスは膝立ちの格好になって私の手を取り自らの胸元に寄せそのまま目を閉じる。いったい何をしているのだろうかと困惑しつつ甜狐の方へと視線を向けるが、曖昧に笑うのみ。


「うん……、そう。わかった……」


 やっとリリスが口を開いたかと思えば、それは私達に向けた言葉という訳でもなく何かを確認したようにも聞こえる。


「心配した……」

「……ごめんなさい」


 やっと目を開けたリリスと視線が合い手が離される、なんて言葉をかけたらいいかと思ったところでポツリと呟かれた言葉に胸の奥がキュッと締め付けられるような感覚。すっかり甜狐のペースに乗せられてしまっていたがこれが二人の偽りのない気持ちだったのであろう。もし、目の前で二人が突然倒れでもしたら私だって心配するし、他のことは何も手につかなくなってしまうだろう。


「大丈夫なら……いい」

「心配かけて……ごめんなさい」


 それでもリリスは私に怒るでもなく、文句を言うでもなくただただ私の無事を喜んでくれている。それがありがたくて……申し訳なくて、自然と頭が下がってしまう。


 リリスはそんな私を抱きしめるようにその小柄な身体で包み込んでくれた。


「謝らなくていい……」

「……リリス、甜狐。二人とも、本当にありがとう」


 そう、色々なことがあったし聞きたいこと、言いたいことは沢山あったはずなのに。本当に言わなくてはいけなかったことをすっかり忘れてしまっていた。私が顔を上げようとするとリリスは自然と抱きしめていた腕を解いてくれる。しっかりと二人に向かって謝罪ではなく、感謝を……目覚めてからずっと言いそびれてしまっていた言葉をやっと言うことができた。


「まおちゃんのそういうところほんま好きやなぁ」

「私も……」


 私だってそんな二人の事が大好きなのだ。


「それじゃあ、まおちゃんも色々聞きたいことあるやろうし甜狐のお部屋でお話しましょ。配信だって見返したいやろ?」


 甜狐のそんな言葉をきっかけに三人で甜狐の自室へと向かう。配信や魔力云々の話については三人揃ってからの方がいいだろうと思っていたのでリリスが早めに帰ってきてくれて助かった。……それに、周りの反応を見るに大丈夫だとは思うが一人で配信を見返す勇気は無かったのだ。


「そうだ、私が寝てた部屋にスマホ取ってきていい?そういえば充電したっきり置いてきたんだった」

「ええよー、なら先に行ってるわー」

「待ってる……」


 廊下で別れ、部屋に戻ってモバイルバッテリーと共にスマートフォンを回収する。


「あれ?電源切れてるし……バッテリーの充電もなかったかな?」


 手にしたスマートフォンはまたしても電源が切れており、ケーブルを挿し直しても充電を示すランプすらつかない。たしかに朝は充電できていたのだが……、バッテリーの方も残りわずかだったのかもしれない。


 とりあえずは二つとも甜狐の部屋で充電させてもらうことにして二人の待つ部屋へと足を向ける。さすがにお屋敷というだけあっていくつかの部屋の前を通り過ぎるがそれほどの時間もかからず到着、部屋を仕切る襖に手をかけ部屋に足を踏み入れる。


「いらっしゃーい、久しぶりやねぇ」


 迎え入れてくれた甜狐には今さっき別れたばかりと言いたいところだが、そういうことではなくこの部屋に訪れるのが久しぶりであろうと言いたいのであろう。


「それにしても相変わらず、かわいい部屋だねぇ……」


 部屋に入ってまず目に入るのがたくさんのぬいぐるみたち。クマにイヌにネコに……そして一番多いキツネモチーフのぬいぐるみ。そんな中に混じって甜狐が所属するLive*Liveのタレントたちが出しているグッズなんかもぬいぐるみを中心にいくつか混ざっている。


 私だって寝室には数体のぬいぐるみくらい置いてあるが、どれも貰い物ばかりで自分で集めているというわけでもない。甜狐からもいくつかプレゼントされているのだ。


 そして何よりも目を引くのはその部屋の内装である。


 それまでどこに行っても和風だった空間に突如としてファンシーで洋風な部屋に出迎えられたら誰だって驚くだろう。床はキレイにフローリングに張り替えられ、その上にはふわふわの絨毯が敷いてありどこからどう見ても最初から洋室だったようにしか見えない。私もリリスも和風な格好だったので先程まではキャミソール姿の甜狐が家主のはずなのにどこか浮いた印象であったが、この部屋の中に限っては和風な二人が場違いのように見えてしまう。


「女の子らしくてかわええやろー?まおちゃんもぬいぐるみ出してくれればええのにー」

「私も欲しい……」

「ぬいぐるみねぇ……、考えてみる」


 どうしても単価が高くなりそうだったのでそういった希望があっても避けてきたのだが……、今の私ならば出来ないことはないと思う。


「甜狐、スマホとバッテリー充電させてもらっていい?両方切れちゃったみたいで」

「ええよー、あそこのケーブル好きなのつこうてー」


 テーブルの上、無造作に置かれていたケーブルを二本手にとってそれぞれに繋ぐ。まぁ電源を入れるのは後でいいだろう。


「それじゃ、まずは配信見よか?まおちゃんもどうなったか気になっとるやろうし、その方が色々話しやすいやろ?」

「……任せる」

「うん……、その方がいいかな」

「パソコンだと二人に見せにくいしー、面倒やけどテレビにパソコンつなぐしかないなぁ」


 たしかに普段配信で使っているだろうスペースに置かれているモニター前に三人寄ってしまえば窮屈だし、そもそもパソコンデスクに合った椅子はひとつしかないのだ。であれば、今座っているソファーの前にあるテレビで見るのが一番であるが……。


「このテレビネットに繋がってるんじゃないの?」

「そうなん?」

「いや……、聞き返されても……ほらリモコンに配信サイトのボタンあるし」


 今どき、それなりのテレビであれば当然のように各種動画配信サイトにアクセスして動画を見れるようになっているだろう。私がリモコンを手にとって電源を入れいくつかのボタンのうち、普段配信しているサイトをものを押して見せる。


「ほら、繋がった」

「ほんまや、なんでそんなボタンあるんやろなぁって思っとったけど最近のテレビはすごいなぁ」

「……宝の持ち腐れ」


 パソコンやスマートフォンで開くのとは勝手も違い、少し表示がもたついているようにも思えるが配信のアーカイブを見るくらいなら十分だろう。慣れない入力をリモコンで行い黒惟まおの名前で検索をかける。


「へぇ……パソコンともスマホともなんか違うんやねぇ」

「たしか仕組み的にはスマホと似たようなモノだって聞いてるけど……え?」


 独特な画面表示に戸惑いながら、ようやく黒惟まお3Dお披露目配信のサムネイルを見つけるがそれを再生しようとしてリモコンを操作する指が止まる。


「どうしたん?」

「……再生数、すごい」

「ほんまや、えらいバズってるなぁ」


 普段見ている画面とは若干表示の仕方が違うのですぐには気が付かなかったが、目に入った再生数の数字は文字通り桁が違った。私の代わりに気づいたリリスがそう呟き、対する甜狐は呑気に素直な感想を口にする。

 たしかにliVeKROneライブクローネに所属してからは再生数もかなりのペースで伸びていたのだが、昨日の今日でこの数字はいまだかつて経験したことのないような伸びだ。配信中もスタッフからは今までにないくらい視聴者が集まっていると聞いていたがここまでのものだとは思わなかった。


「もしかしてだけど……」


 そう言って充電しているスマートフォンの電源を入れる。少ししてスマホが立ち上がると同時にものすごい勢いで様々な通知が画面に表示されていく。朝電源を入れた時は電源が切れていたため昨夜からの通知が一気に殺到したのだと、いつもの記念配信通りであれば午後にはある程度落ちついてくるだろうとは思っていたが、モバイルバッテリーに繋いでお風呂に行っている間も通知は殺到し、それによって充電が追いつかず再び電源が落ちてしまったのだろう。


 なんとか各種アプリからの通知を一旦無効にし、恐る恐る配信サイトのアプリを開いて黒惟まおのチャンネル管理画面へとアクセスする。


「うそ……」


 そこに表示されていた登録者数はいつも見ていたようなものとはかけ離れていて、思わず驚愕の声が漏れてしまう。


 それは今年中になんとか達成出来ればいいなぁなんて思っていた数字を軽々と飛び越し、いつか長く活動を続けていくうちに叶えられればいいなと夢のように思っていた数字にも現実的に手が届きそうなライン。


 そんな数字が私の目の前に表示されていた。

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