第82話 お姉ちゃんと妹

「全然元気そうやないの~てっきりもっとへこんでて色々付け入る隙があると思っとったのに」

「おあいにくさま、へこんでる時間も惜しいくらいに考えることも多くてね」


 私がレッスン中に倒れてしまい病院から捻挫と過労という診断を受けてしまってから数日後、訪ねてきた宵呑宮よいのみや甜狐てんこを部屋に迎え入れる。

 幸いなことに早めに病院で見てもらったおかげか、もしくはこの身に宿る魔力のおかげか捻挫はもうまったく気にならなくなっており、昨日からは足首を固定していたテーピングも外してしまった。念のためもう一度病院で見てもらう予定ではいるが、この分ならば随分はやく収録にも復帰できるだろう。


 そんな私の様子と返答を受けて、わざとらしく悔しがって見せるのは甜孤なりに気を遣ってくれているのだろう。これでリリスやリーゼのようにわかりやすく心配されてしまっては甜孤の性格からして何か裏があるのではと勘ぐってしまう。


「リリスは夜まで収録やろ?なら夜までは二人きりやね?」

「さっき少し早めに来れそうって連絡来てた。それにしても二人ともわざわざ来てくれなくてもボイチャでも良かったのに」


 モデルさながらなスタイルを持つ美女が思わせぶりな流し目を送ってくるというのは、同性から見てもなかなかドキリとさせられてしまうものだが、何度も似たようなことをされていれば流石に慣れてしまう。大した反応を見せずに片手に持ったスマートフォンを軽く掲げる。


「そりゃ、まおちゃんの様子確認しておきたいに決まってるやろ?最近は他の女ばっかりにかまけて甜孤の事ほったらかしなんやもん」


 よよよと泣き崩れる真似をされるのを見ながら、そういえば甜孤とこうやって顔を合わせるのは引っ越しの時以来だったと思い返す。なんだかんだリリスとはあの後、vpexマスター到達のご褒美と酔っぱらってしまったときのお詫びもかねてデートをしている。

 今回の件も考えればまた別途、何か埋め合わせが必要だとは思うがそれは目の前にいる甜孤にしても同じことだ。


「甜孤だって色々忙しいでしょ?クリスマスとか年末の準備とか」

「それはそうやけどー、甜孤はまおちゃんのためならいつだって予定空けられるんよ?手始めに今年のクリスマスは甜孤と過ごしてみーひん?」

「お互い配信あるでしょうに……、そっちは毎年恒例の企画あるんでしょ?」


 とりあえずは二人分のお茶を用意すべくキッチンへと向かう。甜孤は甜孤で案内するまでもなくリビングのソファーに腰を下ろしてすっかりくつろぎモード。クッションに顔を埋めておそらくは匂いでもかいでいるのだろう、しかしクッションカバーはしっかり取り換えた上に消臭済みだ。そのあたりは抜かりがない。


 甜孤といいリーゼといい、どうして私の周りの人物は人の匂いをかぎたがるのだろうか。


「他の女の匂いがする」

「そりゃ時々リーゼが来てるし」


 甜孤が座っているのは先日私がリーゼを抱き留めたソファーの上である。まさかそこまでわかってしまうのかと驚きながらも態度には表さないように平静を保って受け答える。


「ええなぁリーゼはんは、いつでもまおちゃんの部屋に来たい放題やろ?甜孤も引っ越そかなぁ」

「本気で考えるなら紹介してあげてもいいけど」

「でもなぁ……、どうにもこの高層マンションっちゅーのは柄やないっていうか」

「たしかに、あんな立派なお家あるんだし」


 ハーブティが入ったティーポッドと二人分のカップをトレイに乗せ戻るとそれをテーブルの上に置いてカップに注ぐ。彼女くらいであればここの家賃も十分払えるだろうし本気で言っているならマリーナ経由で紹介してあげてもいいのだが、あまり気が乗らないような言葉の通りたしかに柄ではないのだろう。見た目だけでいうならピッタリだとは思うのだが……。


 実際のところ甜孤が住んでるのはお家というよりもお屋敷と言っていい平屋の豪邸であり、有り体に言ってしまえば旧家のお嬢様である彼女はそこに複数人のお手伝いさんと共に暮らしているというのだからすごい話だ。


 初めてお家にお呼ばれした時など、門から入ってしばらく歩かないと本邸にたどり着かず。本邸だと思った建物がお手伝いさん用の別邸と聞いたときには驚きよりもむしろそんな世界が実在しているんだと感心してしまうほどだった。


「だいたいのあらましは聞いとるけど足は本当に平気なん?」

「足はこの通り、もうテーピングもいらないくらいだし。いちおう明日病院に行く予定」

「まおちゃんの大丈夫はなかなか信用できひんからなぁ……ちょっと見せてみー?」


 甜孤とリリスには包み隠さず、3Dお披露目配信でゲストと歌唱予定だった曲が使用できなくなってしまった事とダンスレッスン中に倒れて捻挫をしてしまったことは伝えてある。それというのもそのゲストというのが宵呑宮甜狐と夜闇やあんリリスであり、黒惟まおを含めた真夜中シスターズで歌う予定であったのだ。


 それまでの軽い口調こそ崩さないが、ちらりと私の足へと視線を移して首を傾げ心配の言葉をかけてくれる甜孤。その顔を見れば本気で心配してくれているのだろう、安心させるように軽く足を浮かせて足首を動かして見せる。

 それでも、まぁ色々前科があるためか簡単には信じてもらえないようだ、安心してもらうために片足を体育座りの要領でソファーの上に上げる。一言断りを入れて私の足に触れる甜孤の指先が思いのほか冷たくて思わずぴくりと反応してしまうが大人しくその手に足を委ねる。


「ほら、大丈夫でしょ?」


 ぺたぺたと何事かを確認するように足首を触る甜孤の指がくすぐったい。


「んー、まぁ甜孤が見てもよーわからへんのやけど……この湿布の匂いは癖になるなぁ」

「……蹴るよ?」


 好きなだけ触っての言葉がそれかと脱力しかけるが、続く言葉に足を跳ね上げ蹴り上げるような素振りをしてみせるがすでに甜孤の手は足から離れ軽く身も引いているので足は空を切る。当てる気はなかったのだがなんだか悔しい。

 たしかに昨日までずっと湿布は張り付けていたけどお風呂には入っていたし……匂いなんてしないとは思うのだが。犬並みの嗅覚を持っている疑いがある相手にはわかってしまうものだろうか、もしくはただからかいたいだけなのか。


「まぁそれだけ動くなら平気みたいやね、良かった良かった。そんで、曲の方はどうするん?」

「いくつか候補はあるんだけど……、二人にはまた曲も振りも覚えてもらわないといけないし相談したいなって」


 結局、病院に行った日の翌日に行った関係者を集めての会議の結果、予定していた楽曲の使用は諦めることとなった。幸いだったのは収録ではなくライブで披露する予定であったので今からでも変更が効くということだが……、自身はともかく一緒に歌う二人にも負担を強いてしまう結果になってしまう。


 テーブルの上に用意してあったタブレットを手に取り、候補曲の一覧を表示して甜孤に差し出す。少しでも二人の負担が減るように改めて二人の歌枠だったり記念配信だったりをチェックした上で更に個人的に行ったカラオケの記憶までをも総動員したリストだ、これならばなんとかなるのではないかという思いがある。


「この中なら……、ってだいたい歌ったことある曲ばっかりやね。これなら振りさえなんとか出来れば……」

「振りはまぁ、一応お願いできる人を探してるけど……厳しそうだったらなしかな」

「それこそ振りはリリスにお願いしたらええんやないの?」

「それは……」


 曲ももちろんそうだが、振り付けというのも無断で原曲のものやネット上で発表されているものを使う訳にはいかない。きちんと許諾を取れるのならば話は別だが、そもそも三人用の振り付けがある曲ならまだしも、そうではないものならばどうしたって考える必要が出てくる。


 元々予定していた曲も三人用の振り付けはなかったので、きちんとリリスに振付師として依頼をしていた。この三人の中では飛びぬけてダンスが上手いのはリリスであり、自身が3Dで踊るだけではなくオリジナルの振付を考え指導まで行えるレベルなのだ。

 私が知っているだけでもアイドルに振付を提供していたり、同じように3Dで行うVtuberのライブに彼女の名前がクレジットされていたりする。


「どうせまた変な遠慮してお願いしてへんのやろ?そのほうがリリス悲しむと思うけどなー?」

「さんざん前の曲で我儘聞いてもらってそれがダメになっちゃったから……」


 せっかくの真夜中シスターズでの3D初共演なのだからと私も力が入り、色々と注文を付けたしリリスもそれに応えてくれた。それがこちら側の不手際でダメになってしまった、日の目を見ることがなくなってしまったというのは、動画と振付たとえ作り出すものが違ったとしても同じクリエイターとして悲しさはよくわかってしまう。


 そのうえまた別の曲で……というのは都合が良すぎるのではないか……。


「あーもう、ほんと相変わらず一人で全部なんとかしようとするんやから……」


 仕方のない子だなと、まるで末の妹を見るかのようなそんな視線を向けられ、なんとなくすわりが悪く視線をテーブルへと落としてしまう。そんな私に向けて甜孤はスマートフォンを取り出し何やら操作してからその画面を私の視線の先に滑り込ませる。


「これは……」

「二人がかりでせっかく作ったのに先にあんなもん見せられるんやもん、ほんとはリリスが来てから見せようと思っとったけど」


 そこには私が夜通しで作ったのと同じような曲名のリストが並んでいる。いくつも見覚えがあるのはリストを作る際にチェックした曲名であるから、更には私のリストになかった曲名も何個か……それらはだいたい私が歌ったことはあるが二人が歌えるか不明だったもの。


「これとか……これとか、まおちゃんが歌ってるとこ見たことないんやけど」

「……それはこれから練習しようと思ってて」

「ただでさえ他の事でも忙しいんやろ?お披露目のゲストは甜孤たちだけやないんやし」


 甜孤が指さすタブレット上の曲名はどれも二人は歌ったことはあるが私は歌ったことが無かったり聞いたことはあっても練習が必要な曲たち、この分だと全部お見通しなのだろう。


「それに振付なしなんて、それリリスが聞いたら絶対怒るで?まおちゃんと一緒に踊るの一番楽しみにしてるのあの子なんやから」


 そう、今回の3Dお披露目配信で二人に話を持って行ったときに一番喜んでいたのはリリスだった。私や甜孤のように企業に所属してから3Dの身体を手に入れたのではなく、個人勢のまま活動を続け3Dの身体を手に入れた夜闇リリス。

 一番最初の自己紹介動画で「歌や踊りをみんなの前で披露するのが夢っ!」と語っていた彼女は夢を叶え、次の夢として真夜中シスターズで、夜闇リリスと宵呑宮甜狐と黒惟まおで同じステージに立ちたいとずっと言ってくれていたのだ。


「そうだよね……」

「遠慮せんでお姉ちゃんたちに頼ればええんやって、一生に一度のお披露目なんやから」

「うん……」


 いつのまにかぽんぽんと頭を撫でられている事に気付き、俯いたままおとなしくされるがままに撫でられ続ける。いつもなら恥ずかしさもあって照れ隠しついでに逃げたりもするのだが、今日ばかりは妹として素直に姉達に甘えてしまってもいいのかもしれない。


……


「……それでこれは何?」

「もう、リリスがうるさいからまおちゃん起きちゃったやないの」


 いつの間にか寝てしまったのか、頭上からかけられた若干の冷たさを感じる声と視線に身じろぎしゆっくりと目を開ける。ソファーにしてはやけに枕が柔らかくて暖かいなと思いつつもその冷たい声の持ち主を見上げれば私を見下ろしている夜闇リリス。そしてなぜか同じく私の頭上から甜孤の声が聞こえる。


 状況を把握すべく横を向いていた顔を天上へと向ければ、何かに視界が遮られ見えるはずの天井が少ししか見えない。そして私が頭を動かすとなぜか枕まで僅かに動き、身体を起こそうとしても誰かの手によって頭を押さえられ起き上がることができない。


 冷静に状況を考えれば、今私が頭を預けているのはソファーなんかじゃなく誰かの身体……それも膝なのだろう。そしてその人物は目の前に立っているリリスを除けば一人しかいない。


「せーっかくまおちゃんが甜孤の膝枕で気持ちよう寝てたのに、もう少し遅くても良かったのになぁ?」


 たしかに、最近は夜通し色々や作業やら考え事やらでなかなか寝付けなかったり、そもそも寝る間も惜しんでやっていたので睡眠不足気味だったのだろう。そして、大きな心配事であった真夜中シスターズでの歌という問題に対してある程度の見通しが立ったことで安心し睡魔に身を委ねてしまった……ところまでは理解できる。


 そこまで考えて、そんな無防備な姿をこの狐娘の前に晒してしまえば当然このような事態も想定できたはずだ。それにしたって、ではどうやってリリスはこの部屋に入ってきたのだろうかという新たな疑問が浮上するが、起き上がらせてもらえないため仕方なく再び顔を横に向ければテーブルの上には開錠に使ったであろうインターホンの子機が置いてある。


「ずるい……」

「え?」


 私としてはいつまでも膝枕をしてもらっているのをいくらリリスとはいえ見られるのは恥ずかしいので甜孤からの解放を手伝ってほしいのだが。


「……宵呑宮だけずるい」

「リリスさん……?」

「しゃーないなぁ……、じゃあ次はリリスの番やね」

「二人とも……?」


 私の意思なんて関係ないように私の処遇が勝手に決められていく、どうやら私に発言権はないようだ。


「かわいい妹を膝枕しながら、お願いされたらお姉ちゃんとしては聞かざるをえないかもなぁ」

「ふふっ……、お姉ちゃんにお願い……あるの?」


 流れるような動作で二人が入れ替わり、膝枕の主がリリスへと代わる。交代の隙に抜け出そうとも考えたがどうやったのかそんな隙は与えられなかった。


「ええと……二人にお願いがあって……」


 どうやらこの恰好のまま様々な事を二人にお願いしなければならないらしい……。


 そのおかげかどうかは定かではないが、無事に選曲も終わり振付についてもリリスに再びお願いするということで話がまとまったのだった。

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