第81話 心配
「何でもっていうのは流石に早まったかなぁ……」
「なんの話ですか?」
病院からの帰りに乗ったタクシーの中で不思議そうにこちらを見るマネージャー。どうやら、病院での検査結果待ち中に連絡をしたリーゼとのやりとりの事を思い浮かべていたせいで無意識に呟いてしまっていたらしい。
「あぁ、あの子と少し……」
「なるほど」
タクシーの車中であるため万が一の事を考え、"あの子"と呼んだのだがその意図は伝わったらしい。電話中にもそばにいたらしい相手ならば話の流れからある程度の事情は把握できているのだろう。
「連絡下さって助かりました。あの時はすぐにでも駆けつけようとしてらっしゃったので……」
電話をかけての第一声からして、普段冷静でおしとやかなイメージから一転ひどく焦りのある声だったなと思い返せば本当に飛び出す寸前だったのだろう。
「私のせいで本当にすいません、スケジュールも大変なのに」
スタッフやマネージャーなどを始めとした
「いえ……、元はといえばこちらの不手際のせいでもありますし……」
「それは……」
関係ありませんよ。と言ったところで納得はしてもらえないだろう。少なくともレッスンの休憩中にマネージャーから受け取った連絡で動揺し、それに気を取られたままレッスンを再開したところで私が倒れてしまったのだ。私自身、因果関係がまったくないと言い切ることは難しいし、自身の精神性の未熟さを恥じるばかりである。
「先方とも協議中ですがなかなか難しいかもしれません……」
「そうですか……」
受けた連絡は単純に3Dお披露目配信で歌唱する予定だったうちの一曲が歌えなくなるかもしれないということ。これも特段、誰が悪いという単純な話でもなく。ちょっとした話の行き違いからそのまま話が進んでしまい。誰かがどこかで気がつければ良かったのだが、今になって発覚したという仕事に限らずよくある話である。
そのあたりの話は忙しさを理由に事務所に任せっきりにしていてチェックが甘くなっていた私も悪いし、自ら不手際があったと認める事務所側や先方からもすぐに謝罪と報告が届いている分、事後対応としてはほぼ完璧だろう。なるべく早くとすぐ私に連絡してくれたマネージャーが気に病むことでもないし、おかげで次善策について考える時間が確保できたと、不幸中の幸いであったと思った方が建設的だ。
しかし、これが私一人にだけ影響があることであったのならここまでの事態にはならなかったかもしれないが。運の悪いことにゲストと共に歌う予定だったものでありダンスの振り入れも終わりあとは合わせるだけというところまで来ての報告だ。歌を変えるにしても振りはどうするのか、いまから新しい曲を覚えてもらうのか、練習時間はどうするのか等、考えなくてはいけないことが山積みなのである。
そんなことに気を取られながらダンスレッスンなんてしていたせいだろう、もしかしたらゲストパートを削らなくてはいけなくなるかもしれない。せっかくゲストに来てくれるのにさらなる負担を強いてしまうかもしれない。そんな不安に駆られてしまった結果、身体と心が引き離されたかのように身体が言うことを聞かなくなり倒れてしまった。……らしい。
そのらしいというのも、不安を覚えた瞬間までの記憶はたしかにあるのだがそれ以降の記憶は曖昧である。ダンスの先生曰く突然倒れた私を見てすぐにバイタルチェックを行い発熱と意識がない以外は特に異常がなかったようで、それでも意識が戻らないことから救急車を呼ぼうとしたところで意識が回復。
倒れた当人である私からしても必死にこちらを呼ぶ先生に応えながらも足首に鈍い痛みを感じるくらいで、他にはなんともなく連絡を受け駆けつけてくれたスタッフに連れられて近場の総合病院へと向かったのである。
「でも大事なくて本当に良かったです、今は本当に大切な時期なので……今日くらいは休んでくださいね?」
マネージャーや事務所、果てにはダンスの先生からも強く勧められ。倒れたのだからとレントゲンに留まらずCTやらMRIやら……色々受けさせられすっかり帰りが遅くなってしまったが病院での検査結果は足首の捻挫以外は身体的には健康体そのもの。その捻挫も腫れも少なくテーピングをして飛んだり跳ねたりしなければ歩くくらいなら問題ないし日常生活に差し障りはないだろうとのこと。
しかしそれは身体面に限った話であり、問診によって倒れた理由は間違いなく過労であると診断されてしまった。私としては働きながら配信活動をしていた時に比べればまだ随分マシであるし、そんな気は全然ない……と言ったところで。「みなさんそう仰っしゃられるんですよ」とたしなめられるように言われてしまう始末、こんなことなら馬鹿正直に最近の睡眠時間を申告するんじゃなかった……。
そんなことないですよね?と視線を向けた診断結果を聞く場にいたマネージャーの居た堪れなさそうな表情はしばらく忘れられないだろう。
「えーっと……ダメ?」
「ダメです」
「でも……」
「"あの子"に報告させていただきますからね?」
「はぃ……」
捻挫に関しては安静にしていればいいだけなので帰ったらいつも通り配信しようと思っていたのだが、その考えは見事に見抜かれていたらしい。さすが初顔合わせからここまで私とリーゼの担当マネージャーを勤めてきただけあって、どうすれば私を止めることができるかよくわかっている。過労と診断されてしまったなんてリーゼの耳に入れば今以上に心配されてしまうだろうし、彼女も私と同じく3Dお披露目配信を控えてる身だ、そちらに集中してほしい。
「じゃあ、今夜今後について打ち合わせを……」
「その件については関連する方に連絡は入れていますし、明日改めて方針を決めるように話を進めています」
「いつの間に……」
「だから、大人しく
「はぃ……」
……
「では安静にしていてくださいね?しっかり見てますからね?」
「わかりました、今日は本当にありがとうございます」
自宅のマンションの前でタクシーから降り、部屋の前まで送ろうとしてくるマネージャーにはさすがにエレベーターもあるのだし大丈夫だと断りを入れて別れる。これが以前まで暮らしていた部屋なら階段を使わざるを得ないところだったので、バリアフリーまで意識されている高層マンションというのはこういう時にありがたい。
エントランスからエレベーターに乗り込み、目的の階に降り立ったところで自身の部屋へと向かえば扉の前に人影がひとつ。その人物はエレベーターが到着した時点で待ち構えていたのだろうまっすぐにこちらを見ている。
「おかえりなさいませ、まお様」
「ただいま。リーゼ、いつから待ってたの?」
まさかこのように出迎えられるとは思ってもみなかったので若干驚きながらも、流れるような動作でこちらに向かってきて当然のようにこちらの荷物を受け取ろうと手を差し伸べてきたので思わずその手に荷物を渡してしまう。
「そろそろ到着すると連絡を受けていましたので」
「あぁ……それで……」
あのマネージャー、マンションにつくと同時にスマートフォンでなにやらやっているなと思っていたが、連絡先はリーゼだったらしい。さしずめ彼女は私が無理をしないための監視役といったところだろう。そんなに私は信用がないのだろうかと思うが、思い当たる節は随分あるので大人しく好意に甘えさせてもらおう。
そのまま私の身体を気遣うリーゼに先導されながら部屋の前まで行き、何を言うまでもなく私の部屋の鍵を取り出して扉を開けてくれるリーゼ。部屋に入ってからも電気をつけたり荷物をいつもの場所に置いてくれたり、何度も私の部屋に訪れているだけあって彼女の動きに迷いはない。
「ご飯は食べていらしたのですか?」
「そういえばお昼から何も食べてないや」
「お風呂はいかがしますか?」
「お風呂は控えたほうがいいって言われてるけどシャワーは浴びたいな」
「わかりました」
さも当然のように私をリビングのソファーへと導き座らせてから、尋ねてくる内容はまるで新婚のお嫁さんみたいだなぁとぼんやり思いながら素直に受け答える。ここで何かツッコミを入れるようなそんな野暮なことをさせてくれる隙が一切ない。
「なんだか新婚さんみたいだね」
「……っ。わかってて言ってますよね?」
であるならばツッコミよりはボケを入れたほうが効果的であろうと思いボソリと呟いてみせればその効果は絶大だったらしい。リーゼの動きが止まり、ひくっと小さく身体を跳ねさせてから恨めしげな視線を向けてくる。
「……まお様の言う通り収録頑張りました」
「うん」
「……とっても心配しました」
「うん」
「何でも言うこと聞いてくれるって言いました」
「……それはちょっと迂闊だったかなって思ってる」
ゆっくりとソファーに座る私の方へと向かいながらポツポツとひとつずつ言葉を紡いでいくリーゼ。そのひとつひとつに頷きながらも、交わした約束については微苦笑を浮かべおどけて見せる。
「本当に……本当に無事で良かった……っ」
目の前まで来たリーゼは私を見下ろし、その顔を見れば瞳は潤んでいて今にもその雫がこぼれてしまいそうだ。相変わらず綺麗な琥珀色をした瞳だなと思ってその瞳を見つめていると、とうとう耐えきれなくなったのか涙となった雫が頬を伝い落ちそれと同時に私に覆いかぶさるように抱きついてくる。
「わっ……と、……心配かけてごめんね?」
突然の抱擁に驚きつつも勢いはそこまでないあたりこちらの身体を気遣ってくれているのだろう、リーゼの身体を受け止めて嗚咽を漏らす彼女の背中を優しくぽんぽんと撫でてあげる。
その身体はとても冷たく、連絡を受ける前から随分長いこと部屋の前で待っていたことは疑いようがない。その身体を温めてあげるように少しだけ抱き返す力を強める。
部屋の前で会った時は思ったよりは落ち着いているなと感じたが、溢れる思いを懸命に堪えていたのであろうリーゼが落ち着くまでしばらくそうしてあげよう。
……
「落ち着いた?」
「はい……突然申し訳ありません……」
リーゼの嗚咽がおさまり背中を撫でていた手はさらさらの銀髪を弄びながらその頭を撫でている。おそらくは収録の名残なのであろう、いつもと違ってポニーテールに結ってある髪型もイメージが変わって大変可愛らしい。
頃合いを見計らって改めて声をかけると私の肩あたりに埋めていた顔を上げ、申し訳ないような困ったような表情を見せてくれる。
「あっ……そうだ、私レッスンの時から……。ええとリーゼその……私着替えてないから、汗が……」
ふわりと、リーゼから自らも使っているシャンプーのいい香りがしてきてハッとする。ダンスレッスンで倒れてから当然シャワーはおろか着替える余裕などあったわけもなく、インナーもその下もそのままなのだ。彼女からシャンプーの香りがしてくるということは……そんな私に抱きついている以上その逆もしかり、当然の帰結である。
「……。全然、いい匂いですよ……?」
「やめて、スンスンしないで」
私が余計な事を言ったせいだろう。少し黙ってから口を開いたところを見ると確認されてしまったようで、よく見ればリーゼの鼻がひくりと動いたようにすら見えてしまう。
「むしろいつもよりまお様成分が……」
「それ以上言ったら、この足で蹴るからね」
決して聞きたくない余計な事を口走りそうなリーゼを黙らせるべく、自爆上等の言葉を投げかければ私の本気度が伝わったのであろう。その口を閉じたリーゼがしぶしぶ私の身体を解放してくれる。
「では先にシャワーにしましょうか、その足だと大変でしょうからわたくしがお手伝いを……」
「大丈夫だから、歩けるから!シャワーくらい一人で浴びれるから!!」
「冗談ですよ、ではわたくしはご飯の準備をしておきますね」
どこまで本気か冗談かわからない提案をしてくる相手に畳み掛けるように言葉を浴びせると、軽く笑いながらリーゼはキッチンへと向かっていく。ああは言っているが、あの目を見て本気で冗談だとそう思えるほどに浅い付き合いはしていない。
結局その日は、寝るまでの間リーゼの満足行くまでお世話されてしまうのだった。
もちろんシャワーは一人で浴びた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます