第80話 ズルい

「では午前はここまでにしましょうか、午後は黒惟さんが合流しだい開始しますね」

「わかりました。では休ませてもらいますね」


 インカム越しに午前の予定が無事に終わったことを告げられ収録スタッフたちに小さく頭を下げ近場にあったストローの刺さったペットボトルから水分を補給する。

 自覚はあまりなかったが色々と動いて汗をかいていたからか喉を通る冷たい水が身体に染み渡っていくようで心地いい。

 水を飲み終わりふぅと息を吐き出し目の前のモニターに視線を向ければ、その中のリーゼ・クラウゼが淡い碧色の目でこちらを見返してくる。


 その姿は普段配信で使用している2Dモデルと比べても遜色のない出来栄えであり、こうやって止まって正面を見ていれば僅かな差こそあれど違いを探す方が難しいのではないのかと思えてしまうほど。

 まお様と共にSILENT先生のデザインを崩すことなく極力再現を目指したその3Dモデルは技術スタッフの情熱と思いがこもっているだろうことは想像に難くない。


 当然、デザインを担当しているSILENT先生からの監修も受けお墨付きをもらっているというのだからスタッフの3Dお披露目配信にかける熱意は我々タレント以上なのかもしれない。もちろんそこの部分で負けるつもりは一切ないのだが。


 スタジオの更衣室に下がりトラッキングスーツを脱ぐと開放感があってついつい周りに誰もいないこともあって薄着で伸びをする。


 最初に3Dでの収録をすると聞いたときはいったいどんな仕組みで行うのかと色々と調べてみたものだが、便利な世の中になったものですぐにとあるゲーム会社のモーションキャプチャ風景の動画がヒットし多少の差異はあれど体験してみれば内容はほぼ同じ。

 おかげである程度どんなものかはわかっていたし、心構えもできていたのだが実際に3D化された画面の中のリーゼ・クラウゼの姿を初めて見た時はなんとも不思議でしばらくリーゼわたくしと見つめ合ってしまった。


 その様子がどうにもおかしかったらしく、笑いが混じった声で「リーゼさん動いてください」と言ってきたスタッフ曰く、まお様とまったく同じ反応を見せていたとの事。その後とりあえず片手を上げたところまで一緒だったようで複数人のスタッフが笑いを堪えていたらしい。


 まお様の初めての3D見たかったなぁ……。


 仕事の都合でどうしても立ち会う事のできなかったまお様の初めての3D体験会。あまりにそのことを恨めし気にマネージャーに言っていたせいか、その時に撮った映像を特別に見せてもらえる。という話もあったのだが……、ここまでくると初めてを映像で済ませるのはなんとなく負けたような気もしたので断り続け、今日ようやくまお様と合同での3D収録がこのあと行われるのだ。


 このあとまお様と会うのだし……。


 不快というほどではないが多少汗もかいてしまったしインナー姿で汗臭くなってしまっていないかどうしても気になってしまう。幸いなことに更衣室には小さなシャワー室が併設されているのでありがたく使わせてもらおう。


 手早くシャワーを済ませて大き目のパーカーを頭からかぶり、下もスカート風のハーフパンツ。先に3Dでの収録を経験したまお様からのアドバイス通りに服装はゆったりとしたものにして正解だった。

 社交の際にドレスと共に着用するコルセットに比べれば可愛いものだがトラッキングスーツはどうしても全身ピタッとしているので休憩時間くらいはゆったりと過ごしたい。


「ふぅ……」


 さっぱりしたところで身支度を終え荷物を小脇に抱えて更衣室からリフレッシュルームへと向かう。あとはお昼のお弁当を食べながらまお様の到着を待つばかりだ。たしか今日はダンスレッスンがあると聞いているので終わり次第こちらに向かってくるだろう。

 レッスンのあとに3Dでの収録とはなかなかハードなように感じるがそれだけまお様のスケジュールが詰まっているということだ。


 今日のお弁当は何だろうなぁ……。


 昼食は外に食べに行ってもいいのだが、今日のように一日収録予定だったりお昼も事務所にいることが確定しているときはマネージャーがお弁当を用意してくれている。このお弁当というのが近場の様々なお店から選んでいるらしく、そのマネージャーのこだわりもあってか味もよくて毎回違う物が出されるので一種の楽しみになっているのだ。


……


 リフレッシュルームでマネージャーが現れるのを待ちながら、暇つぶしだったり打ち合わせの際に使えるように用意されているタブレット端末でなんとなく配信サイトを覗いてみる。

 共用のアカウントであるので普段見るのとは多少おすすめされる動画や配信は違うのだが、まぁそこは使う人が限られている場所に置いてある端末だ。必然ほとんどがliVeKROneライブクローネないしVtuber関連のものばかり。


『皆様、まお様と天使あまつかさんとのラジオ同時視聴御覧になりました!?えぇ……えぇ……。そうです!天使さんのことを下の名前で呼ぶ時のまお様の表情ですよ!あれは反則です!あんなの目の前でやられてしまってはわたくしだったら暫くは平静を保てそうにありませんね……。しっかりと突っ込みの出来る天使さんは流石まお様と長いだけあると思い知らされました……。え?わたくしの時ですか……、えっと……そうですね。最初はリーゼさんと……呼んでくださっていたのですがとあるきっかけでリーゼと呼んでくださるようになりました。きっかけを知りたい……?それはええと内緒です……』


 ふと目に入った「リーゼ・クラウゼによる今週の黒惟まお情報」という切り抜き動画を再生してみると、いきなりわたくしがすごい勢いでまお様について語っている場面が字幕と演出付きで流れだす。そこにはコメントの反応も抜粋して紹介されており、「今日のまお様情報助かる」「いつもの」「ノルマ達成」なんてコメントが面白おかしく紹介され。動画自体についてるコメントも似たようなものだ。


 これは確かまお様と天使さんのラジオ同時視聴があった翌日に配信した時に語った記憶があるのでそこから切り抜かれているのだろう。横に並ぶ関連動画に目を向ければ、だいたい毎週わたくしがまお様について語っている内容をまとめて切り抜き動画化しているらしい。


 ずらりと並ぶ動画たちを見ればいかにわたくしが配信内でまお様について語っているのかが透けて見えるようで……先週に至っては十五分程度の動画が五つもある。

 これを見ると流石に少しだけまお様について語りすぎているのかもしれない。ともかくこの切り抜きがまお様の目に入らないことを祈っておこう。


 それからも配信サイトにオススメされるがままにいくつかの動画を視聴していたが……、いつもならとっくの前にマネージャーがお弁当を楽しそうに持って来てもいい時間なのだが一向に現れる気配がない。なにか急な仕事でも入ってしまったのだろうかとメッセージアプリを確認しても特に連絡はなし。


 これはいよいよ急用が入って連絡もできない状況なのだろうかと思い、自身の足で昼食を確保しに行こうと席を立ったところで扉が開きマネージャーが現れる。

 さては人気のお弁当屋さんを選んでしまったか、遠くまで足を延ばしたのかとからかうように声をかけようとするが手元を見れば手ぶらでありその表情は焦りと後悔が滲みだしているようで、とてもいつも笑顔でお弁当を持って来てくれる姿には似つかわしくない。


「……なにかあったのですか?」


 おそらくここまで走って来たか、それでなくても速足で来たのだろう。汗で張り付いた髪の毛を手で払いのける様子から嫌な予感を受けつつも訊ねざるを得ない。


「実は黒惟さんが……ダンスレッスンで倒れたと連絡がありまして……」

「まお様がっ!?」


 普段とても明るい口調のマネージャーから暗めの声色で黒惟さんが……と言われた時点で、嫌な予感は確信へと変わり続いた言葉に身を乗り出してより詳しい情報を求める。


「幸い大事ないと病院に向かったスタッフからの連絡はあったのですが、倒れたということもあって念のため精密検査を受けられるとのことでした。ですので午後の収録についてはリーゼさんのみでやれる部分に変更になります」

「どこの病院ですか!?」

「それは……」


 とりあえずは大事ないという情報はありがたいがそれでも心配だ。すぐにでもその病院にかけつけてまお様の様子を確認しなければとても収録どころではない。

 病院を聞き出そうとするがマネージャーは言い淀むようにその口を閉ざしたままだ。

 おそらくは運営かスタッフから止められているのだろう、もしかしたらまお様本人からも言われているのかもしれない。であれば……あとはマリーナに直談判するしかないか。


 そう思ったところでこちらの狙いが自身から外れたことを悟ったのだろう、困ったようにこちらを見つめるマネージャーには悪いが動き出さなければと足を踏み出そうとした瞬間、机に置いてあるスマートフォンが振動で着信を伝えてくる。


 もしかして……と思い急いで手に取って電話先の名前を見ればまお様の表示、心を落ち着ける間もなく電話に出る。


「まお様!?大丈夫なんですか!?」

「わっ、びっくりした……って驚かせたのは私の方だよね。ごめんねリーゼ」

「そんな……まお様が謝ることでは……」


 電話口から聞こえるまお様の声は落ち着いていて普段通りのようにも聞こえるが、こちらも気が気ではない以上冷静な判断が出来ているのかと問われれば怪しいだろう。


「ええと、どこまで聞いたかな?今まで検査しててやっと連絡できたんだよね」

「レッスン中に倒れられたと……大事はないけど念のため検査を受けていると聞いています」

「ならほとんど聞いてるんだね、それじゃリーゼはきっと私のところに来ようとしてるかな?」

「それは……」


 まるでこちらでのやりとりを見られているのかのような言葉を受けて返答に詰まってしまう。この分だとまお様も病院を教えないように言ったのだろうというのは、声を聞いて若干落ち着いてきたこともあって理解できる。


「今は検査の結果待ちだけど、ほんと少し疲れが出ちゃったのかな。少し捻挫しちゃったくらいであとは全然平気だし、足の方は少し安静にしてれば治るだろうってさ。だからリーゼはリーゼに出来る事してほしいな?」

「そんな風に言われたら……まお様にそのように言われてしまっては……頷くしかないではありませんか……」

「ごめんね、心配してくれてるのはその声を聞けば痛いほどに伝わってくるし。声を聞く前からリーゼならそう思ってくれるだろうとは思ってた。それに……こういうのはズルいっていうのもわかってる、つもり」


 ズルい……まお様はズルい……。そのようにすべてに先回りされてしまえばもう返す言葉がなくなってしまう。すべてを見透かしたうえでこちらがどのような反応をするかまですべて彼女の手のひらの上だ。


「ひとつでも嘘があれば……まお様と言えど許しませんから」

「リーゼに嘘なんてついたことあったかな?」

「……だから信じます」


 精一杯の虚勢を張って言葉を返せばとてもやさし気な声色でいつものように、こちらを少しだけからかうようなニュアンスの言葉が返ってくる。無論それに返す言葉は決まっている。


「ありがとうリーゼ、せっかく私の3Dの姿を楽しみにしてくれてたのにお預けになっちゃってごめんね?」

「本当にそうですよ、まお様だけわたくしの3Dの姿を見ているなんてズルいです」

「それは……動画作るうえで仕方なく……ね?それにまだ生では見てないから」


 ようやく心が落ち着きはじめいつものように軽口を交わせるようになってきた。


「わたくしは我慢しているのに……まお様はズルいです」

「……じゃあ、今度お詫びに何か言う事聞いてあげるからそれでちゃらってことで」

「何でも?」

「何でも」


 あえて繰り返し同じ言葉を使った意図をくみ取ってくれたのだろう、言外に3Dの件だけではないんですよ?ということは伝わっているようだ。少しの間を空けて、仕方ないなとばかりに少しばかり笑みを浮かべ肩を竦めているまお様の姿が脳裏に浮かんだ。

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