第62話 Álfheimr

「お姉さんたち今日はお休み?これからどこいくの?」

「これからデートだからお兄さんたちとは遊べないなー」


 これで何人目だろうか、二人で歩き始めてから数十メートル置きに誰かしらから話しかけられている気がする。ナンパにスカウトなどの怪しげなものから雑誌のモデルスカウトっぽいもの……。

 普段、少ないとは言え声をかけられたときは相手にせずに立ち去ってはいるのだが、今日は連れ立っている相手が人当たりのいい笑顔で一言二言交わしていくので余計に捕まっているのではないかと思ってしまう。


「この子よりイケメンになって出直してきなー」

「つかさ……」


 何人目かの相手をいい笑顔で撃退し、退却していく姿を一瞥しすぐにじゃれつくように私に腕を絡めてくるつかさ。ペロリと舌先を口元から覗かせながら紡ぐ言葉を聞いて私はため息をつく。

 これでいて黙って立ち去るよりあっさりと引き下がっていくので、彼女の対応が正解なのではないかと思ってしまうのだが私には到底できそうにない。


「昔からだけど相変わらずなのね」

「あー昔から思ってたけどそれ勘違いだからね?あたし一人だとこんなに声かけられないよ」


 今更何を言ってくるのだろうか、学生の頃から二人で出かけるとこの手の声かけはいつもの事だったし対応に慣れているのだってそういうことだと思っていたのだが。


「だって、二人で出かけた時はいつも……」

音羽おとはは一人でいると付け入る隙なさそうなんだもん、昔からなんていうか大人びてたしさ。だからあたしを出しにして声かけられてるって訳」


 おわかり?と首を傾げながらこちらの顔を覗き込む表情はからかっているようにも見えず、その言葉の意味を考えてみても思い当たるところは全然ない。


「そうだったの……?」

「あーもう、久しぶりに会っても全然変わってないんだね。こっちこそ"相変わらずなのね"って言いたくなっちゃうよ」


 そういうところだぞと言いたげに呆れる彼女は肩を竦め大げさにため息を吐いて見せる。それから少しだけ表情を引き締め口調まで変えているのは私の真似をしているつもりなのだろう、あまりの似て無さに吹き出しそうになってしまう。


「なにそれ」

「音羽の真似ー」


 ころころと笑いながら人懐っこそうな笑みを浮かべる様子を見れば、最初に感じていた芸能人然とした雰囲気はすっかり感じなくなり二人の時間がすっかり昔に戻ったような気がしてくる。


「でもさーこれは受けてもよかったんじゃない?ちゃんとした雑誌の取材っぽかったし」

「あんた事務所はどうすんのよ……」

「そういえばそうだった」


 ジャケットの内ポケットから指先で挟んだ名刺をぴっと取り出してひらひらと振りながら見せてくる。声をかけてきたのはたしかに見覚えのある雑誌名だったしこちらと同じ女性二人組で対応も丁寧だったが……、本人が忘れてしまっているようだが事務所に所属している人間が勝手に取材を受けるのはどう考えてもダメだろう。この調子だと彼女の担当をしている人はとても苦労しているんじゃないかと他人事ながら心配してしまう。


 しかもその取材内容が……。


「でもお似合いのカップルって言われたら悪い気はしないじゃん?」


 確かにオーバーサイズぎみのパーカーにミリタリージャケットで身体のシルエットがわかりにくい上にマスクまでしているのだから、勘違いしてしまうのはわからなくもないがそんな風に見られているんだろうか……。

 つかさからして面白がって男の子っぽい声で受け応えていたのだが、あれならば私のほうがまだそれっぽい声に聞こえるだろう。


「何が付き合ってまだ三か月なんですーよ……まったく……」

「ごめんごめん、もっと付き合いは長いもんね?」

「はいはい」


 そういう問題ではないんだけど……、と言っても真面目に取り合うだけ無駄なので適当に流しながら街中を歩いていく。


「それであとどれくらい?」

「……」


 そんな気心の知れたやりとりを交わしながら歩いていると目的地はまだだろうかと訊ねてみてもさっきまで賑やかだった相手からの返事はなし。不思議に思って再度呼びかけながら様子をうかがえば、何事か周囲を気にしているようにも見える。


「……つかさ?」

「えっ?あっ、あそこの店変わっちゃたんだ」


 ようやく私の呼びかけに気付いたらしい彼女の言葉を聞けば問いかけは耳に入っていなかったらしい。たしかに目線の先のお店は結構前に撤退してしまい、いまは別のテナントが入ってしまってはいるのだがどうにも様子がおかしい。


「どうかした?」

「……ごめん、事情は後で話すから少し急ごう」


 さっきまで無邪気に振舞っていたのとは打って変わって若干刺々しい雰囲気を発する相手を見れば、無理に聞き出す訳にもいかず大人しく手を引かれながら歩みを進めていく。

 お店が立ち並ぶエリアを抜け少し行ったところにある小奇麗な雑居ビルのエレベーターに乗り込んだところでようやく足を止めることが出来た。足早に歩いてきたせいだろうか握られた手はお互いに少しだけ汗ばんでしまっている。


「ここのお店はいつもあたしが使ってるところでさ、業界の中でも知る人ぞ知る隠れ家的スポットなんだぞー?」


 ふぅとお互い一息ついて目的のフロアに到着すると、先ほどまでの刺々しい雰囲気がすっかりなくなったつかさから説明を受ける。お店といってもエレベーターから出た先には扉がひとつあるだけでただのエレベーターホールにしか見えないのだが……。扉にしても簡素なものでその先にお店があるようにもどうにも思えない。


「えーっとなんだっけ、よいしょっと」


 困惑する私を置いて扉の前に立ったつかさは小さなキーパッドに何桁かの暗証番号を入力しているらしく、入力が終わればピッと短い電子音が鳴り扉が開かれる。

 これが噂に聞く会員制のお店かと若干の興味をひかれつつ招かれるままに彼女の後ろについていく。こういった会員制のお店はなんとなくバーだったり薄暗いものを想像していたのだが予想に反して通路は明るく白を基調に観葉植物の緑によって落ち着いた雰囲気だ。


「あるふ……へいむ?」


 短い廊下を進んだ先にはまたしても扉、しかし今度の扉はアンティーク調で植物をイメージした木彫りの意匠が美しい。そして扉の横には控えめに店名だろうか……『Álfheimr』とこちらも扉と似たデザインの看板が掲げられている。


「そう、アルフヘイム。ねーさんが言うには発音がなってないらしいんだけど。みんな気にせずアルフって呼んでる」


 アルフヘイムというとたしか……北欧神話の九つの世界のひとつであるはずだ。アルフ……またはアールヴ、はエルフの語源とされていて光の妖精の住む世界……だったはずだ。


「音羽こういうの好きでしょ?ねーさんとも話が合うんじゃないかなぁ」


 たしかに神話系統の話は大好きだし、家には創作のための神話辞典のようなものも数冊置いてある。そのおかげですんなりと店名を読むことが出来たのだが、"ねーさん"と呼ばれている人物もそういった人種だったりするんだろうか。


 普通ならその雰囲気に躊躇しそうなものだが特に気にした様子もなく扉を開ける様子を見れば通いなれているのであろう。つかさの後ろに続いて店内へと足を入れる。


 店内に入ってまず感じたのは緑が多い事、明るい店内には観葉植物が多数立ち並び頭上からは木漏れ日のように光が差し込んできている。屋内であるはずなのにまるで森林の中にあるようなそんな雰囲気。まさしくアルフヘイムというのはその通りだろうと少し感動したところで奥の方から小柄なメイド服を着た少女が出てくる。


「いらっしゃいませ……ってなんだつかさか」

「お客様にむかって、なんだとは失礼な奴だなー。あれ?ねーさんは?」


 クラシカルなメイド服を着た少女の髪は見事なプラチナブロンド、腰まで伸びているにも関わらずサラサラで木漏れ日を浴びて光り輝いてさえ見える。つかさの姿越しに見える顔立ちはとても整っていて、これで耳の先が尖っているならば間違いなくエルフか光の妖精かと思わせられるだろう。


 どうやらつかさとは顔馴染みのようで軽口を叩き合っているようだが……店員の子だろうか。


「マスターは所用で外出中、どうせいつもの部屋でしょ?お好きにどうぞ」

「今日は連れがいるから二人分お願いな」

「連れ?あんたが連れなんて珍しい……っ、いらっしゃいませ」


 どうやら"ねーさん"ことマスターは外出中らしく、連れという言葉でようやく私の存在に気付いたのであろう。少女の顔がゆっくりとこっちを向き、気まずそうに姿勢を正して挨拶をしてくれる。


「……よろしくね?」


 おそらくまずいところを見られたとでも思ったのだろうか、若干笑顔が引きつっているようにも見える少女になんて返したらいいものかと考えるが無難に気にしていないよと言外に表しながら言葉をかける。


「それでは来嶋くるしまさま、いつものお部屋までご案内いたします」

「えっ?」

「あっ」


 本来の接客態度に戻ったらしい少女がスカートの裾を軽く持ち上げ片足を後ろに下げ腰を落として行うカーテシーも実に美しく、その動作に気を取られていたのだが……不意に私の名前が告げられ思わず声を漏らしてしまうと、隣からも同じタイミングで声が上がる。


 そんな私たちの様子を不思議そうに見ていた少女だったがすぐにくるりと振り返り、言葉の通り部屋まで案内してくれるらしい。どういうことなのだろうとつかさの方へと視線を向けるが誤魔化すように苦笑するだけ。


「ご注文はいつものものでよろしいですか?」

「音羽もハーブティーでいいよな?」

「ええ」


 どうして初対面であるはずの少女が私の名前を知っているのだろうという謎を抱えたまま個室へと案内され、注文を受けた少女が退室していく。通された部屋は先ほどまでいた店内と同じく緑に囲まれていて椅子も机もかなり年季が入ったアンティークだが手入れがしっかり行き届いているのであろう、いい雰囲気を演出している。


「えっと……あの子、どうして私の名前を……?」


 色々と聞きたいことはあったのだが、まずは直近の出来事について確認しておかなければ。


「あー、その……ごめん。ほらこの手のお店で本名名乗るのもアレかなって……かといって芸名使うのもって思って」

「それで私の名前を使ったと……じゃあ、ここでは来嶋つかさってこと?」

「はい……ごめんなさい」

「まぁそういうことなら別にいいけど、じゃあ私は天ヶ谷あまがや音羽にでもなろうかな」


 悪用されていた訳でもないし素直に謝ってくれたならそこまで目くじらを立てるようなことでもない。申し訳なさそうに頭を下げる相手に気にしてないよとふざけ半分に言ってみれば案外しっくりくる。


「あー、それはちょっと恥ずい……」


 ちょっとした意趣返しのつもりではあったのだが、思っていた反応とは別のものが返ってくる。人の名前使っておいてどういうことだと笑いながら突っ込もうとしたところで、扉が控えめにノックされ未遂に終わってしまう。


「お待たせしました」


 どうぞと声をかければガラスのポットとカップをトレイに載せた少女が現れ丁寧な手つきで準備を整えていく。


「本日のハーブティはリンデンにカモミール、ラベンダーの他にスペアミントなどをブレンドしたものになります。もう少々お待ちくださいませ」


 あとはカップに注ぐだけといったところまで準備を終えると古めかしい懐中時計を手にして時間を確認する。


「フィオ、悪いんだけど今度から来嶋っていうのはなしで」

「ではなんと?」

「天ヶ谷」

「かしこまりました、天ヶ谷さま」


 フィオと呼ばれた少女は特に疑問に思う様子も見せずに淡々とつかさからの要請に応えて見せる。その姿はまさしく出来るメイド然としていて時間を待つ姿でさえ洗練されているようだ。


「別に気にしてないのに」

「いや、流石にさ……。音羽もあたしの紹介ってことでねーさんに頼んでおくから、何かあればここ使うといいよ」

「そんな簡単に決めちゃって大丈夫なの?」


 私が知ってしまった以上、私の名前で呼ばれるのはどうしても気になってしまうのかつかさは苦笑しながら首を横に振る。そして、次いで告げられる申し出は嬉しいものだがそんな彼女の一存で決めてしまっていいものなのかスタッフであるフィオへと視線を向ける。


「失礼ですがお名前を伺っても?」

「来嶋音羽です」

「あぁ……なるほど、来嶋さまであればマスターも許可してくださるでしょう。言付けておきますのでお気になさらずに、Álfheimrはいつでもご来店をお待ちしております」

「ありがとうございます」


 カチリと懐中時計を止め、二人分のカップにハーブティを注ぐフィオからの問いかけに答えると少女は得心がいったようで小さく呟く。注ぎ終わったカップは二人の前に音も立てずにスッと置かれ、琥珀色の液体で満たされたカップからはブレンドされたハーブたちのいい香りがしてそれだけで気分が落ち着くような気がしてくる。


 じっと私の顔を見たフィオはゆっくりと頷き私の来店についても請け負ってくれるようだ、ここまで言ってくれるのだからおそらくは大丈夫だと思いたい。こんな隠れ家的スポットにいつでも来ることが出来るなんて心配よりも嬉しさの方が勝ってしまう。


「それではごゆっくりお過ごしください、御用の際はそちらのベルでお呼びくださいませ」


 給仕を終えたフィオの姿を見送り、お互いにハーブティを一口……。リンデンがカモミールとラベンダーの香りを優しく包み込み、ほのかに香るミントのおかげで味がぼやけてしまうこともない絶妙のブレンド加減。これだけでもういいお店を知ってしまったとつかさに感謝したくなる。


「美味しい……いいところだね」

「音羽なら気に入ると思ったよ」

「……それでここに来る前に何があったの?」


 本来の目的はラジオゲストの案件についてだが、ここに来る途中の様子がどうしても気になる。問われたつかさからしても、答えるつもりではあったのであろうゆっくりと口を開く。


「たぶんだけどつけられてた、十中八九何らかの記者だとは思うけど……。久しぶりに音羽と会えて嬉しくてさ、少し浮かれちゃってた。絶対に迷惑はかけないようにするから」


 途中から周りを気にしていたのでもしやと思っていたが、その予想は当たっていたようで申し訳なさそうに告白するつかさを見てこちらこそ申し訳なく思ってしまう。彼女ほどのアーティストともあれば私ももう少し気を付けるべきだったのだ。


「こっちこそ考えなしに連れ出しちゃってごめん、もし何かあれば協力……できるかも」


 私自身に何か力がある訳ではないが、いざとなればマリーナにお願いすれば何かしらの協力を得ることはできるだろう。ただ、個人的なお願いになってしまうのでどこまで頼れるかは未知数ではある。


「まぁうちの事務所もそれなりにデカいしさ、友達と遊んでただけだし大事にはならないと思う」

「それなりって……あんたのとこがそれなりだと他はどうなるのよ」

「たしかに」


 あまり気にしすぎてもそれは互いにとって本望ではないことはわかりきっている。せっかく突っ込みどころのある言葉をチョイスしてくれたのだ、ありがたくそれに乗って二人で笑い合う。


「それで、あたしに何か話があったんでしょ?」

「実は……」

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