第45話 リーゼの一日

 ──新人Vtuberの朝は遅い。

 昨晩も夜遅くまで作業した上に推しの配信アーカイブを見て、切り抜きを見て……。次々とオススメに表示されていく何度か見た記憶のあるものまで懐かしさを感じながら見ているうちにいつのまにか日は登っていて……。


 そこから昼過ぎまで寝ていたというのに若干寝不足であるとすら感じてしまっている。


「ぁふ……、おはようございます……」


 一度目を覚ましてからも数度微睡みに身を任せ、三度目の目覚めでようやく起き上がろうと思い至りまお様に目覚めの挨拶。


 もちろんそこに本人がいる訳ではなく、傍らにあるのは夏コムで手に入れようとしていたSILENT先生謹製の黒惟くろいまお抱き枕。壁サークルであるSILENT;melodyが頒布したソレは一限であるにも関わらず、始発組でさえ手に入れられたのは幸運な極一部と言われているコムケの闇を感じる激レアアイテム。


 当然自分も手に入れるべく戦場へと赴くつもりではあったのだが、その話を本人にしたところ「お願いだからそれは勘弁してほしい」とことさら必死に頼まれてしまい、最終的には戦場に赴くことなくまお様からお願いされたSILENT先生から送られてきたという経緯がある。

 しかも、きちんとおっぱいマウスパッドと新刊セットまで送ってきてくれたSILENT先生には感謝しかない。


 抱き枕の表面は普段の配信で見る漆黒のドレス姿で裏面は一周年記念グッズでも身につけていた水着姿で気分によって二種類のまお様を楽しむことができる贅沢仕様。もちろんドレスにしても水着にしても健全な絵柄ではあるのだが、ドレス姿で寝転がっているせいで少しだけあらわになっている普段は見られない脚はすらりとしていながらも女性らしい柔らかさを感じるもので、思わず指先でつつつとその触り心地を確認してしまった程である。対して水着姿では惜しげもなく披露されている柔肌はきめ細かく、恥じらうように胸元と引き締まったお腹を手で隠そうとしている姿が余計に隠された部分を際立たせていて、思わずこちらまで赤面して視線が合わせられなかった。


 最後にもう一度ドレス姿のまお様を抱きしめベッドから抜け出す。


 抱き枕なので本人ほどとは言えないがそれだけで元気が出てくるのだから推しの力というのはすごい。この前事務所で魔力のやりとりをする際に抱きしめたときは心配もあったし魔力の流れに集中していたので堪能することはできなかったなと、その後に起こった出来事の事もあって悔やむばかりだ。


 あの時受け取った魔力はもうすっかり薄まってしまい今となってはかすかな残滓すら感じなくなってしまった。マリーナに相談したまお様は定期的に魔力を抜くための道具をマリーナから受け取ったらしく定期的に回収するだとか……。

 なんとかそれをこちらに回してもらえないかと考えながら顔を洗い簡単な朝食、もとい時間的には昼食を食べる。


 料理など生まれてこの方したことはないので自分で用意できるのはトーストとインスタント珈琲くらいのものだが、とりあえずなにか口にできればそれでいい。しっかりしたものが食べたくなれば出前なり外に食べに行けばいいのだ。まぁ本音を言ってしまえばまお様のお部屋でお世話になっていた時に食べた手料理に比べればすべてが霞んでしまうのだが。


 最後の一欠片になったトーストを口に放り込みそれを珈琲で流し込んで、新たに珈琲を入れたカップを手にして配信用の部屋へと赴く。


 椅子に座ってまずは何か連絡が来ていないかチェック……。といってもデビューしたばかりのリーゼ・クラウゼにはまだまだ知り合いは少ないし、定期的に来るのはマネージャーからの事務的な連絡くらいだ。

 メッセージソフトのフレンド欄にいるのはliVeKROneライブクローネ関係者ばかりだが唯一の例外、桜龍おうりゅうサクラ子さんは時折メッセージを送ってきてくれている。


 桜龍サクラ子:歌枠良かったですわ!!!!

 リーゼ:聞いてくれたんですね、ありがとうございます。サクラ子さんの新しいうたみたも聞きました。サクラ子さんの力強い歌声羨ましいです

 桜龍サクラ子:歌はパッション!!リーゼはもっと自信を持っていいと思いますの!!


 やりとりの一部を見返しても配信時と変わらないテンションなのでメッセージだとしても脳内では簡単に声が聞こえてくる。やっぱり先達に褒められるのは嬉しいし、見られていると思うとしっかりしなくてはと気合が入る。最初は不安もあったが初めてのコラボ相手がサクラ子さんのような人で良かったなと思っている。


 まお様は……、一応オンラインにはなっているが取り込み中表示。きっと今日も配信の準備だったり作業をしているのだろう。


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リーゼ・クラウゼ@liVeKROne/新人魔王見習い@Liese_Krause

魔王と魔王見習いのラジオ始めます!

題して『 #ラジオクローネ! 』

初回はリーゼchでまお様と一緒に

わたくしたちと事務所について紹介させていただきます!

マシュマロか #クローネメール までお便りお待ちしています!

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 先日の歌枠後に告知したメッセージはまお様やSILENT先生、リスナーに加え他にもまお様にゆかりのあるVtuberの方々が拡散してくれた甲斐もありしっかりと広まっているようだ。それらの反応を見つつ目に入ったものへはハートを送っておく。中にはさっそくファンアートを描いてくれている人までいてありがたく保存しつつ拡散、拡散。


 『リーゼちゃん起きたか』

 『巡回タイムきちゃー!!』

 『ハートありがとう!』

 『おはリーゼー』


 メッセージを呟く前から、こちらの通知で気づいたのであろうリスナーたちの反応が嬉しい。


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リーゼ・クラウゼ@liVeKROne/新人魔王見習い@Liese_Krause

皆様、おはようございます

今日は見習いの勤めゆえ配信はできませんが

皆様の一日が素敵なものであるように応援していますね

#ラジオクローネ! の準備も順調なのでお楽しみに

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 『おそようー』

 『ラジオ楽しみにしてるよー』

 『お便り送った~』

 『お出かけするのかな?気をつけてね!』


 新たにメッセージを呟いて告知を再び拡散しておく。すぐに返ってくるメッセージを嬉しく思いながら反応を程々に切り上げ、ラジオクローネの準備へと取り掛かる。





「姫殿下ご機嫌麗しゅう……」

「エリーザベト様は本日もお美しくていらっしゃる……」


 会場に足を踏み入れると同時に多数の視線を受け、通りすがるたびに臣下の礼を持って掛けられる言葉をニコリと微笑み受け流していく。

 以前ならあまり気にもならなかったが人間界で、Vtuberとして過ごすようになってからはそのやりとりもどこか空虚に感じてしまう。無論、本当に尊敬の念を持って接してくれる相手に対してはその限りではないのだが……。


 いかんせんお父様の影響が強い社交の場においては、なんとか魔王に取り入ろうと近づいてくる者、背後にいる魔王の姿しか見ていない者など。言葉を交わすだけでも疲れる者が多いので辟易としてしまう。


 あぁ、こんなことなら配信したいなぁ……。


 表面上はにこやかに話を聞いているようで考えるのはそんなことばかりで出来ることならさっさと帰ってしまいたい。

 配信というリスナーたちとの遠慮のないやりとりと共に過ごす時間の楽しさに比べたらなんと退屈なことか。


「エリーザベト様は最近人間界で過ごしているとお聞きしますが」

「えぇ、かの世界について学べることも多いと考えていますから、他の種族に遅れを取るわけにはいきません」

「魔王様はなんと?」

「学べるならば好きにしてよいと伺っています」

「左様でございますか」


 この場にいる魔族たちは誰も彼もお父様と同じくあまり人間界には興味がなく、魔王の娘が人間界で何をしているのかと訝しんでいる者も少なからずいるのであろう。態度には出さないがこちらの事情を探ってくるあたり噂話程度には広まっているようだ。耳をすませばあたりからは小声で人間界について話している声が聞こえてくる。


「姫殿下が人間界に……」

「魔王様はいったい……」

「他種族も……と聞いているが……」


 年若い者や利に聡い者ならもっと人間界に馴染みがあったり興味を持つことが増えてきているとは聞くが、実際社交の場においてはそれは少数派だ。年を重ねている者程大昔に人間界と袂を分かった時の影響が大きいと聞くので仕方のないことだとは思うが。


 つまらない社交の場ではあるが、今現在の魔界を支えているのもここにいる者たちであることは間違いないのだ。魔王を継ぐ者として舐められないように、継いだ際にしっかりと手綱を握るためにはこういった根回しはどうしても必要になってくる。


 まお様もこれが嫌になったのかなぁ……。


 まお様が本当に伝説の魔王様であるのかは未だ不明だが、このようなやりとりが嫌になって魔王をやめて人間界に渡ったのだとしてもおかしくないなとは思う。

 まぁ彼女のことだ、あの持ち前の人心掌握術をもって何だかんだとうまくやっている姿も目に浮かぶが。


 しかし、楽しそうに配信をしてリスナーたちのことを本当に嬉しそうに語る彼女が再び魔王の座に舞い戻るのはいちリスナー、ファン、同期としてはあまり歓迎できない。彼女にはずっと笑っていてほしいのだ。


 さして興味もない話を笑顔で聞き流していると、どこからか視線を感じ話が終わるとゆるく首を傾げて軽くあたりを見回す。


「いかがなさいましたか?」

「いえ、気のせいでしょう……。あら?あちらの方は?」


 そんなわたくしの様子を不思議に思ったのか声をかけられても視線を送ってきた相手は見つからず、気のせいかと済まそうとしたところで視界の端に参加者の中では珍しい年若い姿を見つけ、初めて見る者だなと思いながらその正体を探る。


「あぁ、ロラーヌ公のご息女ですな。もう社交の場に出られるお年でしたか」

「ロラーヌ公の……」

「ロラーヌ公といえば──」


 公の娘であれば挨拶くらいはしているはずだがと、告げられた名前にどこか引っかかりを覚るもその姿はすぐに他の参加者の影に消えてしまう。そのため、あまり印象にも残らずそういえばと公に関わる話題を出された時点で少女の姿は記憶の片隅に追いやる。


 ──魔王の娘の夜は長く退屈だ。

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