第40話 ある日の事務所
「はーい、いまの貰いまーす」
「ふぅ……ありがとうございました」
つけていたヘッドホンを外し一息ついてマイク前から離れる。
いまだにこの収録というものは慣れないがすこしづつこなせるようになってきた。
といってもそれはスタッフたちの力量によるところが大きく、まだまだあの人のようにうまくコミュニケーションを取りながらよりよいものを作っていく、という風には及ばない。
それでも、手取り足取りすべての面倒を見てもらっていた頃よりは迷惑をかけることはなくなったと思うし。「慣れてきましたねー」なんてお世辞でも褒められたことを思えば、収録スタジオを出てリフレッシュルームへと向かう足取りは随分と軽い。
リフレッシュルームへと続く扉の前で一度足を止め、スマホを取り出しインカメを使って軽く身だしなみチェック。長時間ヘッドホンをつけていたので特に髪に変な癖がついてないかは念入りに確認する。
あの人に会うからには万全の自分でありたい。
もっともすでに随分とだらしのない姿を見せてしまっているのだが……、それはそれ。これはこれだ。
少しだけ癖がついていた髪の毛を軽く直し、扉に手をかけゆっくりと開いて中に入るとすぐにその人の姿が目に入る。
わたくしの憧れの魔王様、そして
黒いテーパードパンツに白いカットソー、その上からグレーのジャケットを羽織って椅子に座りノートパソコンの前で何やら思案中の彼女はとても様になっていてまさしく仕事の出来る女性といった雰囲気を漂わせている。
物音に振り返らないところを見るとおそらくイヤホンでもしているのだろう、こちらの存在は気付かれていないようだ。
なるべく気付かれないようにそろりと近づき、そっと椅子を引いて少し斜め後ろに座りその様子を伺う。ノートパソコンの画面を覗き込むのはマナー違反なので、少し後ろから見えるその横顔をじっと見つめるしかないのは不可抗力というやつだ。
「……?あっ、リーゼ。来たなら声かけてくれれば良かったのに」
「お仕事モードのまお様を見ていたくて、つい」
ようやくこちらの存在に気付いたらしいまお様がイヤホンを外し少し照れたようにこちらに視線を向け抗議してくるが、さっきまでの雰囲気とは違いその様子はかわいらしい。このギャップがまた魅力的なのだと内心で思いつつ、悪戯っぽく言い訳をする。
「もう……、収録は終わったの?」
「はい、まだまだまお様のようにはいきませんが……」
「私も宅録ばっかりだったからそんなに変わらないって。経験を考えればリーゼのほうが上達は早いくらいだと思うけど」
「そうでしょうか……?」
「私も同期に負けてられないなー」
少し呆れたように笑み混じりで仕方ないなといった風に肩を竦めた彼女からの問いかけにはいくらスタッフから褒められたとは言え、目の前の相手には遠く及ばないと弱音をこぼしてしまう。そんなわたくしを前にして励ますように、そして最後はこちらをからかうように笑みを向けてくれる心遣いが嬉しい。
「まお様と同期なんですね」
改めて同期と言われ、ずっと憧れてきた魔王である彼女と立場上は同じ立ち位置になったことを実感する。実際のところはデビューしたてのVtuberとしても配信者としても未熟な見習い魔王と、個人勢として一から活動を始め周りに埋もれることなく二年間も続けてきた魔王様というちぐはぐな組み合わせではあるが。
「そうだよ、黒惟まおとリーゼ・クラウゼはliVeKROneの同期。そうだ、まだ直接は言っていなかったっけ。デビューおめでとうリーゼ。これから一緒によろしくね」
わたくしの言葉に何かを感じたのか、ゆっくりと頷いてから思い出したようにパっと表情を明るくするまお様。たしかに言われてみれば最後に会ったのは彼女のliVeKROne加入発表の時だったのでデビューしてから会うのは初めてなのだ。律儀に手を差し伸べあらためてデビューを祝ってくれた彼女の手を握り笑顔で応える。
「ありがとうございます、こちらこそよろしくお願いしますね」
「それはそうとして、……リゼにゃん」
「……なんでしょうか、まおにゃん」
お互い笑顔で握手をしたところで手を離そうとするが何故かその手を離してもらえない。どうかしただろうかと首を傾げたところで呼ばれたその名にびくりと反応しつつも探るように相手の名前を呼んでみる。
「あれから私のマシュマロやSNSで随分と話題になったみたいでね?」
「わたくしのほうにも来ていましたね……コラボしてほしいと」
ウフフと二人して手を握りながら不気味に笑い合う。
「はぁ……、ネタに事欠かない同期が出来て嬉しいよまったく……」
脱力したように手が離されやれやれといった風に力なく笑う相手に申し訳ないことをしたなぁと思いつつも、内心ではいつか絶対まおにゃんコラボを実現してみせると心に誓う。そのためならばいくらでもリゼにゃんとしてコラボ相手をつとめさせてもらう覚悟はある。
「コラボといえば、たつ子……サクラ子とのコラボの方は大丈夫?」
「
突然誘われたデビュー後初コラボ、しかもその相手は一度も話したことのない他事務所のVtuberである桜龍サクラ子さん。最初にまお様から話を聞いたときは驚いたしどうしていきなりと困惑したものだが、配信を通じてそれなりに相手の事は知っているしチャットで挨拶をしたあとはコラボ配信の内容についてうまくリードしてもらっている。あとは実際に話してみてどうなるか……だが。
「ならよかった、ちょっと……いや結構強引なところがあるけどいい子だからさ。配信楽しみにしてるね」
「初めてのコラボなので今から緊張していますが……わたくしも楽しみです。まお様とのコラボももう少しで発表ですし」
「いやーほんと楽しみだね。リスナーたち喜んでくれるといいけど」
桜龍さんとのコラボ後にはまお様とのコラボが控えている。二人で沢山打ち合わせをして事務所に企画を通して……、慣れないながらもまお様にバックアップしてもらい初めて主導するコラボ企画……。忙しいまお様の時間をもらっているのだから絶対に成功させたいしリスナーにも楽しんでもらいたい。
「そういえば先ほどまでは何をなさってたんですか?」
「あぁ、これ?次のうたみたの曲聞きながらMVの構想練ったり、提出物片付けたり……。企画案まとめたり、ついでにスケジュール調整と連絡を……」
なんてことはないように次々と口に出される仕事の数々に本当に忙しそうだと心配してしまう。わたくしなんか自分の配信とふたつのコラボ予定で手一杯だというのに。
「その、大丈夫ですか?毎日のように配信されているようですし……」
「時間の制約がなくなったからつい……でも配信すればするほどなんていうか活力が沸いてくるんだよね。そうだ、つぎ録るうたみたはすごいよーなんてったって……ってこれはまだ言えないやつだった」
あははと楽しそうに笑いながら語る相手からは疲れなど微塵も感じさせないが、かえってそれが心配を加速させる。
「まお様少しだけ失礼しますね?」
断りを入れてから彼女の手を取りなんとなくあたりを付けていた手首のブレスレットを外す。
「あぁそれはマリーナさんが外に出るときはなるべく付けていろって」
「魔力隠蔽の魔道具ですね。どうりで……、やはり少し抜いておいた方がいいかもしれません」
ブレスレットを外したことによって一気に魔力の気配が大きくなり、出会ったころとは比べ物にならないその濃さに少しだけ当てられてしまう。
一時からまお様から感じる魔力の気配が薄まったと感じていたが気のせいではなかったようだ。
それが魔道具によるものだったとして先ほどまではブレスレットを付けた状態でも出会った当初の水準まで戻っていた。つまりそれは大量の魔力を保有している事に他ならない。
「……リーゼ?」
「疲れを感じないのは身体に魔力が満ちているからです、こちらで生活しているのならばここまで貯め込むことはないのですが……」
魔界ならまだしも魔力の薄いこちらの世界では普通に生活していてここまで貯めることは難しいが、配信者として数多くのリスナーからの思いを毎日のように受け取っていれば話は別だ。このまま魔力を貯め込み続ければちょっとした精神や体調の不良でうまく扱えなくなった時の事を考えると恐ろしい。
「少しだけ魔力を頂いてもよろしいですか?」
「……えぇ」
「失礼します」
まだ状況を掴み切れていない様子のまお様の手を引いて立ち上がらせそっとその身を抱きしめる。あたたかな温もりとは別にたしかな魔力を感じそれを我が身にもらい受け薄めていく。
『まお様、貯め込みすぎですよ』
『リーゼ?そのごめんなさい?』
『マリーナに相談しなければなりませんね』
『その……よろしくお願いします』
『──っ!?』
魔力を通して自然と声にならない会話をしていると一瞬、なにかノイズのような、残像のような、見たことのないイメージが割り込んできて思わずびくりと身体を震わせてしまう。
『リーゼ?どうかした?』
『今何か……』
『大丈夫?』
『はい……、そろそろいいでしょうか』
心配してくれるまお様の様子を見るに今のは気のせいか、もしくはわたくしだけが感じ取ったらしい。ともかく当初の目的は達成したので名残惜しくはあるが魔力の流れを止め抱きしめていた身を離す。
「これで大丈夫だとは思いますが……、疲れを感じないからといってもきちんと休んでくださいね?」
「ええと、気を付けます……」
念を押すようにきちんと休息をとるように伝えるが頭の中は一瞬感じた違和感でいっぱいで、遠巻きにこちらの様子を見守っていた存在に気が付くのが遅れてしまったらしい、遠くから声をかけられようやくその存在に気が付く。
「あのーお取込み中のところ申し訳ありません……、黒惟さんの収録準備ができたので……」
「えっ、あっ!ごめんなさい!すぐ行きます!リーゼまた!」
まお様も気付いていなかったらしく、急に現れた女性スタッフの姿にあたふたと慌てながら駆け出していく。
いつから見られていただろうか……。魔力のやりとりをする寸前まではいなかったと思うが。
……それよりも今回の件でますます、まお様に関する謎が深まったのであった。
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