第27話 事務所探訪

「ほんとにここであってるよね……」


 立ち並ぶオフィスビルを見上げ手に持つスマホを開いてメッセージをもう一度確認する。


 マリーナ:事務所の用意がほぼ整いましたのでお時間があるときに一度お越し下さいませ


 そのメッセージの下には事務所の所在地がわかりやすいように地図サイトのURL付きで載せられているのだが……。


「やっぱりここだよねぇ」


 目の前にあるのは仕事でも滅多に立ち寄らないような高層オフィスビルで、何度目の前の光景とメッセージを見比べても間違いはなさそうだ。

 マリーナに到着した旨をメッセージで送り、エントランスホールに足を踏み入れる。暑かった外気から遮断され、ほどよく冷房が効いているその空間は管理が行き届いており、自然と大きな取引先が思い出され背筋がすっと伸びてしまう。


 ほどなくして現れたマリーナに軽く会釈し、お互い言葉少なにゲスト用のIDを受け取りセキュリティゲートを通る。


「お久しぶりですわ」

「お久しぶりです、こうやって会うのは……リーゼとしずの時以来ですね」


 久しぶりといってもこうやって実際に会って話すのがそうであって、ほぼ毎日のようにチャットや通話で打ち合わせをしていたのでそんな気はあまりしない。それに色々な準備に追われているせいで数ヶ月前の出来事もほんの少し前の事のように感じてしまう。


 マリーナに先導されエレベーターに乗り目的の階層へと上がっていく。高層ビルの中でも最上階であるフロア。そこが目的地であることは知らされていたが、実際に向かうとなるとガラス越しに見える景色がどんどん高くなっていくことにつれ現実感が薄まっていく。


「まだ一部は準備中ですが、最低限の体裁は整えられましたわ」


 そう言われて案内された先はどこの大企業かと思うような作りと広さで、これがまさか私のために用意された事務所だと言われても冗談だとしか思わないだろう。

 最低限でこれって……。基準がおかしくない……?


「あの、マリーナさん。こんなところ大丈夫なんですか?」


 オフィス街としては一等地の高層オフィスビルでしかも最上階だ、かかっているコストは想像すら出来ない。Vtuber業界だけではなく芸能業界トップを争う事務所というならばわからなくもないが新興の事務所としては明らかに常軌を逸している。


「その点につきましてはご心配なく、借り手がなかなか見つからず遊ばせておくにはもったいなかったので、こうして有効活用できるなら十分ですわ」

「えっ、まさか。このビルって……」

「えぇ、魔王様に代わってわたくしが管理している物のひとつですわ。将来の魔王様が関わる事業ですもの箔というものは重要です」


 当たり前のことを説明するように言われてしまえばただ頷く他なく、ただただそのスケールの大きさに圧倒されるしかない。


「それに回収できない投資とは思っておりませんもの」


 そんなやり手の彼女がニヤリと口端を上げ言うのだから自信はあるのだろう。ただ、私に向けられた視線からは「期待しておりますよ」という言葉も混ざっているような気がして曖昧な笑みで返すのがやっとだった。


「それではこの先でお嬢様がお待ちです」


 今日の訪問に合わせて先に来て待っているリーゼのもとへと向かいながら、時折スタッフらしき人とすれ違っていく。だいたいはマリーナに頭を下げたあと私の方へも軽く会釈していくのだが、何人かは私の姿を見ると驚いたように目を見開き慌てて頭を下げて去っていく。なにか驚かせるような事をしてしまっただろうか……。


「こちらの部屋はお嬢様とまおさんでお好きに使っていただいて構いませんわ」


 そんな心配をよそに案内された部屋はいわゆるリフレッシュルームのようで軽く打ち合わせのできそうなスペースやミニキッチンまで用意されている。そして、待ちわびたとばかりに立ち上がりこちらへと軽やかな足取りで歩み寄ってくるリーゼによって出迎えられた。


「まお様!お久しぶりです!」

「ええ、久しぶりねリーゼ」


 例によってチャットと通話でコミュニケーションは取っていたのだが、実際に会うのはマリーナよりも期間が空いていたので嬉しそうに笑みを浮かべているリーゼの姿を見ると、なんとなくその姿は飼い主を待っていた子犬のように映ってしまう。絶対、尻尾があればはち切れんばかりに振っていることだろう。よしよしと頭や顎を撫でてあげたくなる衝動を抑える。


「お元気そうで良かったです、少し前の配信ではお疲れの様子でしたので……」

「もしかして、……お知らせ歌枠のこと?」

「はい」


 あぁやっぱりあの配信は見られていたか……。そうだろうなと思ってはいたが心配までされていたのかと思うとあの時の失敗を思い出して恥ずかしくなる。あれはたしかに疲れていたというのもあるけど……単純に時々やらかすアレだ。


「恥ずかしいところを見られちゃったわね……」

「あっ、えっと。その、すごく可愛らしくて……大丈夫だと思います」


 何が大丈夫かはわからないが、とにかくフォローしてくれようとしている姿に苦笑し気持ちを持ち直す。やってしまったものはいつまでも引きずっていてもしょうがないのだ。


「それでは他の部屋についてご案内してもよろしいですか?」


 そんな私とリーゼのやりとりが一段落すると、待っていたようにマリーナが提案してきたので先導するマリーナに二人で付いていく。


「では、お二人に関係する場所をご紹介させていただきますわ」


 そう言われてまず案内されたのはレコーディングスタジオでコントロールルームにスタジオ、ボーカルブースまで完備されている徹底ぶりだ。何度かレンタルのレコーディングスタジオを利用したことはあるが、そこに勝るとも劣らない……。いやもうこれは下手なレンタルスタジオよりもよっぽど機材も環境も充実しているのだろう。まだ一度も使われていないであろう機材たちはピカピカと輝いているようで私のテンションも上がってしまう。

 そんな私の様子を微笑ましく見守る二人の視線に気付くまで心ゆくまでスタジオの見学をしてしまった。


「喜んでいただけたようでなによりですわ」

「まお様は機材にも詳しいんですね、すごいです」

「少し……ね。自分も使ってるからテンションあがっちゃって」


 その次に案内されたのは更に大きなスタジオで壁や天井には無数のカメラと照明が設置されている。


「ここって……」

「モーションキャプチャスタジオですわ、稼働はまだまだ先になりそうですが」


 私もいつかは3Dでと思ってはいたので興味本位で機材については調べたことはある。モノによっては数十から数百万円するようなカメラがそれこそ何十台も……。そんな環境が目の前に広がっている。ここで黒惟くろいまおが3Dになって動く。そんな遠い夢のように思っていた姿を思い浮かべ、少しだけ感極まりそうになり慌てて感情を抑えるように頭を振る。そんな姿を見せてしまえばまだ実現もしていないのに気が早すぎると笑われてしまう。


「まお様が3Dに……。」


 そんな私を横にリーゼも同じ光景を思い浮かべているのか、感極まってるらしい呟きが隣から聞こえてくる。


「リーゼもでしょ?何私より泣きそうになってるのよ。それは二人でそうなったときにとっておきましょ」

「まお様……っ」

「あーもう、はいはい。我慢我慢」


 からかうように声をかけそう遠くないであろう未来の話をすると、今度はそれを思い浮かべたのか声まで泣きそうになっている。そんな様子に苦笑しながらリーゼの頭を仕方ないなと撫でてあげた。あぁもう可愛いんだからこの妹は。


 そのあとは事務室や更衣室などを見て回り「あまりこちらには来ないとは思いますが」と言われながらシステム開発の部屋も少しだけ見せてもらい事務所、というか会社見学ツアーは終了した。


「いかがでしたか?」

「思った以上というか……、こんなにすごいことになっているとは思ってなかったので驚きました」

「ご満足いただけたようでなによりですわ」


「ねぇリーゼ、マリーナさんって何者なの?」

「お父様の古くからの友人ですが……わたくしも時折わからなくなります」


 私の言葉に満足そうに微笑むマリーナを横目にリーゼへと顔を寄せ、ずっと思っている疑問を小声でぶつけてみるがリーゼも声を潜め困ったように眉尻を下げ苦笑と共に返答する。


「ともかくここまで準備してもらったんだから、二周年は頑張らないとね」

「わたくしも楽しみにしています」

「そのあとはリーゼのデビューね、一緒に頑張りましょう?」

「はい!」


 ここまでやってくれたのだ、最高の形で二周年を迎えそしてリーゼにも最高のスタートを切ってもらいたい。二周年を境に私のVtuberとして、そして黒惟まおとしての活動が大きく変わる。そんな予感がますます大きくなった。

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