第17話 契約
とうとうこの日を迎えてしまった。
私にとって、
大丈夫、この日のためにたくさん準備してきたんだし。
きっとうまくいくはずだ。
「今日は黒惟まお登録者百万人記念ライブに来てくれてありがとう!ここまでこられたのもファンのみんなのおかげ!それじゃあ聞いてください! ファン……」
ファンの歓声を受けて一歩踏み出したところでハッと目が覚める。
「──って歌わないから!」
ガバっと身体を起こし寝ぼけ眼で辺りを見回す。そこはもちろんファンに囲まれたライブステージなんかじゃなくて見慣れたいつもの配信部屋で、時間は……いつもならまだ寝てる時間。
それに黒惟まおはあんなこと言わないし登録者百万人なんてまさに夢のまた夢だ。
昨日は確か……、リーゼとのデートから帰っていつもどおりご飯食べてお風呂入って……。そうだ、なかなか寝付けなくて結局色々作業したり、今日の確認を
SILENT:ちゃんとベッドで寝なよ
SILENT:……寝落ちたか、おやすみ
あちゃー、思いっきり寝落ちしちゃったんだ。
開きっぱなしのメッセージ欄とタイムスタンプを見てそのまま寝てしまったのかと苦笑いする。
魔王まお:ごめん寝てた
SILENTが入力中...
毎度ながら静はいったいいつ寝ているんだろうか、すぐにメッセージが表示される。
SILENT:おはよう、そんなんで今日大丈夫?
魔王まお:少しは寝れたしヘーキヘーキ
SILENT:それが魔王まおの最後の言葉だった……
魔王まお:縁起でもないこと言うのやめてもろて
SILENT:しっかりね
魔王まお:ありがとね
「ありがとね」
いつもと変わらないじゃれ合いのようなやり取りをしていると心が落ち着くからありがたい。感謝の言葉を口にしてぐっと身体を伸ばして立ち上がる。
配信部屋から出ると薄暗い部屋のソファーベッドで寝ているリーゼが目に入り、なるべく足音を立てないように歩み寄って空いてるスペースに腰を下ろす。
リーゼとの生活も今日で終わりかぁ……。そう思うと結構寂しく感じてしまう。
とはいえ魔王になる予定の身としてはこれからも会う機会はたくさんあるであろう。
「それにしても髪も肌も綺麗すぎでしょ……、これが若さ……いや魔族パワーなの……?」
思わず銀糸のような美しい髪の毛に触れそのまま頭を撫で、そのままぷにぷにと頬もつついてしまう。その手触りはサラサラとしていて瑞々しくて、その心地よさに衝撃を受ける。
歳はそんなに離れていないはず……いや魔族だし外見と年齢が一致するとは限らないし。そんな事を考えていると身じろぎをしたリーゼがそのまま私の手を取りそのまま抱きかかえてしまう。
こうなってしまうと動けないが、まだ起こすには時間が早くて申し訳ないし……。
仕方ないので自然と起きるか放してくれるまで待とうか……。
「ぁふ……。ってあぶない寝ちゃいそうになってた……。……。……すぅ」
「──ぉさま? ってまお様!?」
「んぅ……。ぁ……。リーゼおはよう……」
すごく近い距離から呼ばれてる気がして目を開けると目の前にリーゼの顔がある。その顔はなぜか真っ赤だ。あれ? なんでリーゼと一緒に寝てるんだろうか……今朝は確か……。
だんだんと状況がわかってきてヒヤリとしたものを背筋に感じる。
「お、おはようございます。そのっ、どうして一緒に寝て……」
「っ、いま何時!?」
答えを待つ余裕もなくベッド脇の据え置き時計に目を向けると……、マリーナとの約束の時間に今から向かってギリギリ間に合うかどうかといったところだ。
「リーゼ、やばい間に合わないかもっ」
「まお様落ち着いてください、マリーナなら連絡を入れれば大丈夫です」
そうは言っても私にとってはこれからお世話になる大事な話をしに向かうのだ。それに遅刻してしまっては社会人として人としてダメだろう。
それから念のためマリーナには一報を入れ急いで身支度を整え、二人して飛び出すように部屋を出る。電車ではとても間に合わないのでタクシーに乗るしかなかったが、なんとか約束の時間ギリギリに到着することができた。
「ドタバタしてしまって申し訳ないです……、リーゼもごめんなさい。急かしてしまって」
「先だって連絡も頂けましたし、そんなに気にしなくて構いませんわ」
「まお様、わたくしもその、ずっと寝てましたし……」
「お嬢様はそちらでも相変わらずのご様子でしたのね」
マリーナが話し合いの場として用意してくれたのは立派な貸会議室で三人で使うには広すぎる気がするが、ここならよっぽど大声で話さない限り外部に話が漏れることはないだろう。
到着してすぐに私はマリーナに頭を下げるが、まるで気にしてないといった反応に一安心する。リーゼにも悪いことをしてしまったと謝るが、寝起きの悪さはマリーナも把握しているらしくそれをからかわれて不満顔だ。
「ではさっそく契約について、こちらで今までの話し合いで決まったものを取りまとめておきましたわ」
そんなリーゼの様子を気にするでもなく、あくまでマイペースに話を進めるマリーナにこの二人の関係性がなんとなく垣間見えてくる。
席について目の前の資料に目を通していくと、今まで話し合ってきた内容が綺麗にまとまっている。リーゼから聞いた話だと普段からこちらで色々な事をしているらしく、本職と比べても遜色がない出来だ。
「ありがとうございます。私の方はこちらで問題ありません」
「ちなみにSILENT先生からは何かございましたか?」
「黒惟まおについては一任されているので、ただ任せたと」
「信頼されておりますのね」
「ありがたいことに」
静は相談には乗ってくれるが一貫して私にすべてを任せてくれているのだ。
「では、こちらの書類にサインを。それをもって契約とさせていただきますわ」
差し出された紙を受け取る。しっかりとした契約書だ。
時間をかけて一言一句確認して、それを二度繰り返す。
うん、大丈夫。
用意されている高級そうなボールペンを手に取る。元々がそうなのかそれともこれからサインする事に緊張しているのかずいぶん重く感じる。普段使っている何かのおまけにもらったようなものとは大違いだ。
最初の一文字を書くまでは手が震えてしまわないか心配だったが一度書き始めれば拍子抜けするほどあっさりと控えの分も合わせて複数のサインを記入し終わる。
「確かに頂戴いたしましたわ、黒惟まおさん。これからよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いします」
こうしてこの日、黒惟まおは企業所属Vtuberになった。
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