第12話 招かれざる客

「お昼は冷蔵庫に入ってるから温めて食べてね」

「ふぁい……」


 朝食を前に眠そうに欠伸を噛み殺しながら返事をする姿を見て思わずくすりと笑ってしまう。

 休日であった二日間は共に夜更かしをして昼前に起きるという生活だったのだが、どうやら私と同じく夜型の人間で朝は苦手らしい。

「寝ていてよかったのに」と告げても半分寝ている声で「起きまふ……」と言いながらふらふらと後ろをついてくる姿は、普段のお嬢さま然とした言動とはかけ離れていて見ていて面白かった。


「まお様。やはり、お一人で行かれるのは……」

「昨日の夜に話したでしょ? 仕事を休むわけにはいかないし」


 休日が終わってしまい、仕事に行かなくてはいけないと告げた時はどうしても心配だと引き止められてしまったがこればかりはどうしようもない。まさか職場にリーゼを連れていける訳もなく、せめて少しだけでも近くでと言われてもこちらの生活に慣れてなさそうで容姿が目立つ彼女をひとり外で待たせるというのはかえってこちらが心配だ。


「この前と違ってリーゼさんが味方になってくれてるし、マリーナさんも下手に動けないんじゃない?」

「たしかにそれはそうですが……」


 手早く朝食をとってしまい、出かける準備を整える。


「何かあれば私からも連絡するし、タブレットで連絡してね」


 連絡用にとリーゼ用に設定してあげたタブレットを渡してあるので連絡がつかなくなるということはないだろう。


「それじゃ、いってきます」

「いってらっしゃいませ、お気をつけて」


 普段は気まぐれに一人でも言っていた言葉に返事があることがなんとなく嬉しい。

 それから会社に着くまでに何度もメッセージが届き、その多さにどれだけ心配されてるのかと思わず笑ってしまうほどだった。


 リーゼ:お昼ごはん大変おいしかったです。変わりないですか? 

 まお:それはよかった、こっちは変わりないよ。これからお客さんと打合せに入るから頻繁には返事できないかも。

 リーゼ:わかりました。


 お昼休憩を終えリーゼとのやりとりを切り上げて打合せ場所へと向かう。

 なんでも新規クライアントらしく今日はわざわざ顔合わせと軽い打ち合わせをしに来ているらしい。予め渡されている資料によると新規事業立ち上げに伴う~とあるのでうまく行けば大口の顧客になるであろう。

 今持っている案件に加え新しいものが増えるとなると時間が……、と思わないでもないが。仕事は仕事だ。

 目的の部屋の前に到着し軽く身だしなみを見直してから三度ノックして入室する。


「失礼します、担当の──」


 ドアを開けて軽く一礼をして室内へと目を向ける、先に同席していた上司が目に入り、そして対面に座っている人物を見て身体が固まる。


「あら、あなたが担当なのね? よろしくお願いいたしますわ」


 白々しくそんな挨拶をしてくる女性、マリーナがそこにいたのだ。


「……よろしくお願いいたします」


 ひどくぎこちない動作で名刺を交換し席に座る。そんな様子を怪訝そうに上司からは見られていたのだがそれどころではない。悲鳴を上げて逃げ出さなかっただけマシだと思って欲しい。


「──ですので我々としては……」


 上司とマリーナが何か話しているが内容がまったく入ってこない、話を振られても曖昧に相槌を打つのが精一杯だ。


「では後は彼女とお話させていただきますわ」


 もともとそのような話になっていたかのように自然な流れで上司が退室していき、パタンと小さな音を立ててドアが締まり二人きりになってしまう。


「……いったいどういうつもり?」

「今日は逃げないでくださって助かりますわ」

「何かしたらすぐにでも人を呼ぶから」


 前回とは違って周りにはいくらでも人はいるしここから連れ出す事なんて不可能だ。

 念のためいつでも連絡が取れるようにギュッとスマホを握りしめる。


「手荒なことはいたしませんからどうぞご自由に、本日はお話とお願いをしに来たのですわ」

「どうだか……、お願い?」

「近い将来、今代の魔王を継いでいただきたいのです」


 何を言っているんだこの人は。


「……ふざけてるの?」

「いいえ、魔王様」

「それともからかってるの?いい年して魔王なんて名乗って配信してる、痛い女捕まえて特定までして」


 好きでやってることなんだから放っておいて欲しい。

 私は痛い女かもしれないが誰にも迷惑はかけてないという自負はある。

 リアル特定なんて配信者にとっての最大限のタブーを犯してきた相手に対する怒りがこみ上げてくる。


「いいえ、現魔王であるクラウヴィッツ様の命を受けてのものですわ」

「じゃあ、その魔王様とやらに現実と空想の見分け方を教えてあげたほうがいいんじゃない?」

「……やはり、こちらの世界については何もご存知ないのですね、その空想こそが現実なのですよ」


 仕方ないといった様子で肩を竦めたマリーナがこちらに手を差し伸べてきたので思わず身構えてしまう。


「……なに?」

「この手に触れてくださいませ、それで理解していただけると思いますわ」

「それで何もなければ、金輪際私に関わらないで」

「お約束しましょう」


 取引先なんて知ったことか、これで終わりにしてしまおう。

 何も起こるはずはないと思いつつも、いきなり手を掴まれる事も想定してゆっくりと指先で手に触れる。


『いかがですか?』

「何も起きないじゃない」


 やっぱりからかわれただけだったのだ、これ以上は付き合ってられない。


『からかってなどおりませんわ』


 だから、もうふざけるのも……。


『ふざけてもおりません』


 カッとなって声を荒らげそうになって違和感に気付く。

 マリーナは目の前にいるはずなのにその声はどこか別の場所から聞こえてくるような気がしてしまう。そう、まるで脳内に直接響いてくるような……。それにこちらが声に出す前に返事が聞こえてくるのだ。


 な、なにこれ……。


『貴女の魔力を通じて言葉を届けているだけですわ。

 まだ慣れていらっしゃらないのでこうやって触れる必要がありますが』


 今までに感じたことのない感覚にぞくりとして思わず触れていた指先を離す。


「お話聞いていただけますか?」


 今度はきちんと目の前から声が聞こえてきて、にっこりと笑みを深めるマリーナの顔を見れば頷く他なかった。

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