第7話 推宅訪問

 本当に危ないところだった……。


 わずかに揺れる車内で隣に座っているまお様へと視線を向ける。

 運転手がいるせいもあってあまり話せる内容もなく、時折こちらを気にするような気配を見せていたが今は小さな寝息を立てて眠ってしまわれた。

 今になってマリーナの魔法が効き始めたのかそれとも疲れによるものか、判断は難しいところではあるが休めるときに休んでいただいたほうがよかろう。


 まさかマリーナがまお様に接触するとは完全に想定外であった。おそらくはお父様の指示であろうことは容易に想像できるがその目的までは見えてこない。

 やはり魔王として何か事情があるのだろうか? 


 お父様はよく魔王様の話はしてくれていたが詳しいことを聞くとよくはぐらかされたことを思い出す。しかし、そんな中で「あやつが魔王を続けるべきだったのだ」とお父様がこぼした言葉は妙に記憶に残っていた。


 そんなことを考えているとガタンッと車が縦に揺れ、その拍子に窓側に身を預けていたまお様の身体が揺れこちらへとゆっくりと倒れてくる。

 運転手が「ごめんね~」と呑気に声をかけてくるがそれどころではない。

 咄嗟に彼女との距離を詰め倒れないようにその身体を支える、眠りが浅いのか少しだけ身じろぎをしたまお様の頭がわたくしの肩に預けられる。


 ……推しが尊過ぎてつらい。

 色々な感情が駆け巡るがその一言に尽きる。


 普段見ていた配信時の長髪とは違って襟足が長めだが他は短めにまとめられた暗めのラベンダーグレージュ、いわゆるウルフカットの彼女は配信で見せる威厳ある姿というより時折見せてくる可愛らしさのほうが印象としては強い。魔王の姿と普段の姿、それぞれがギャップによって余計に魅力的に映る。

 声とその身に纏っている魔力がなければ、今すぐ隣にいる彼女が黒惟まお様だとは思わなかったであろう。


 たっぷりとその寝顔と温もりを堪能させてもらい、しばらくすると目的地についた事を運転手に告げられたので、名残惜しさを感じながらもまお様の肩を揺すって起こそうと試みる。びくりと身体を揺らし控えめに欠伸をひとつする姿がかわいらしい。


「ぁふ……」


 あくび助かる。


 心の中で様式美おやくそくを呟いていると、ゆっくりと目を開けた彼女と目があった。

 驚いたように目を見開いてから状況を把握したらしく、わずかに頬を赤らめたまま身体を離し謝罪の言葉を口にする。


「……って。ごめんなさい私ったら」

「お疲れのようでしたので、お気になさらないでください」


 むしろありがとうございます。と口から出かかったのはなんとか押しとどめることができた、先ほどまであった温もりが離れて行ってしまったことは少しだけ寂しい。

 そんなことを考えながら、恥ずかし気に頬をパタパタと手で仰ぎながら支払いを済ませた彼女に続いて車外へと出る。


「あまり人を招くことがないから窮屈かもしれないけど……」


 そう言いながら先を進む彼女と共に階段を上がっていくが、高めのヒールを履いているせいでどうしても足取りは遅くなってしまう。


「大丈夫?エレベーターがあればよかったんだけどね」


 四階に差し掛かったあたりでそんな様子を見かねた彼女から手を差し伸べられ、礼を述べながらその手を取って最後の段差を登りきる。

 気遣われたことに少し恥ずかしさを覚えつつもその心配りが嬉しい。

 

 廊下を奥まで進んだ最後の部屋がまお様のお部屋らしく、促されるまま玄関の中へと足を進める。


「お邪魔いたします」

「少し待っててね」


 スリッパに履き替えたまお様がパタパタと足音を立てながら奥の部屋に消えていくのを見送り、彼女に出されたふわふわのかわいらしいスリッパに履き替える。その肌触りのよさとヒールから解放された心地よさに思わず吐息を漏らしてしまう。


 ここがまお様が住んでいる場所かと思うといろいろ見てみたくなる気持ちが出てくるが、そこはぐっと我慢……。

 奥の部屋からは何やら物音が聞こえていたがしだいにそれも聞こえなくなり、ほどなくして再び現れたまお様に招かれてお部屋にお邪魔する。


「そこのソファーに座ってね、あんまり広くなくて申し訳ないけど……、隣の部屋は、その、配信用になってるからあんまり物が置けなくて」

「いえ、素敵なお部屋だと思います」


 白を基調とした家具がコンパクトにまとめられている部屋はあまりそういった事に詳しくない身からしてもセンスが良く思え、素直な感想を述べながら勧められるままにソファへと腰を下ろす。


「リーゼさんにそう言われるとちょっと自信ついちゃいそうね、飲み物、紅茶とかで大丈夫?それ以外だとお水くらいしかないの」

「紅茶で大丈夫ですが。そんな、まお様に淹れていただくなんて……」

「私も飲むんだからついでに、ね?ストレートで大丈夫?」


 そんな遠慮は不要だと言わんばかりに微笑み小首を傾げながら問いかけられれば頷く以外の選択肢など消し飛んでしまう。

 これが黒惟くろいまおが人たらし魔王だと言われる所以ゆえんであり、目の前にいる彼女が間違いなくそうなのであると強く実感する。


「お待たせしました、口に合うといいんだけど」


 キッチンから二つのカップを持って現れたまお様が目の前のテーブルにカップを置いてから少し距離を置いて隣に座る。

 どうぞ、と彼女に勧められたカップを手に取るとアールグレイの香りがふわりと漂い、一口飲めばふぅと暖かくなった吐息が漏れ出てしまう。


 そんな様子を眺めていたらしいまお様も満足げにカップを口に運び、そしてゆっくりとテーブルに下ろしこちらへと向き直る。


「それじゃあ、お話聞かせてもらってもいい?」


 さて、どこから話したものか……。

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