オルタナティブ
夏樹 蜜柑
第1話
私が彼女を知ったのは、一昨年の梅雨の中頃だった。
夏と言うにはまだ早いが、数日晴れ間が続き日差しは鋭く気温湿度は共に高い。
阿保な蝉が一人、早くに土から出てしまい寂しく街路樹にしがみ付き叫び散らかしている。
毎年やってくるその数日は、妙に感傷的な気分を私への手土産にする。
こんな中途半端な時期じゃなければ私はこんなに彼女に惹かれることも無かっただろうと、今となっては思う。
私は昔から音楽が好きだった。
常日頃からインターネット上に転がる誰も知らないようなバンドの取り合えず撮ったから何となくアップロードしてみた、といった風情のテキトーなライブ映像をコレクションしてはたまに見返しニヤニヤするといったことを趣味としていた。
彼女もその趣味の中で見つけた一人だった。
彼女の音楽はジャンルで言えばオルタナティブロックとでもいうのだろうか。
彼女はスリーピースバンドのギターボーカルでそのバンドの顔だった。
彼女のギターは激しい歪みに深いリバーブがかかって、それは深い青空に入道雲が一つ浮かんでいるような夏空の景色を想起させ、そこに少しハスキーで霧雨のような彼女の声が乗っかる。
そして、シンプルで安定したエイトビートをドラムが叩き、これまた安心感のあるルート弾きをベースが弾き、その二人のリズムがギリギリのバランスを保つ彼女の音を全力でサポートしている。
彼女はどの映像でも決まってノースリーブのストンとしたシルエットの白ワンピースにドクターマーチンのかなり履き古したブーツで現れ、指版など所々コーティングの剥がれたサンバーストのストラトキャスターを持っていた。
両腕はすらりとして青い血管が皮膚の下を走るのが見えるほど白く、右の二の腕に少し大きめのほくろが見える。
歌うときには顔と短い髪をくしゃっと崩す。
顔はパルプフィクションに出てきたファビアンというキャラクターに少し面影があった。
その仕草一つ一つ、その鳴らす音の一音一音、そしてその彼女の発する歌詞の一言一句までが携帯の小さい液晶とチンケなスピーカー越しに、晴れ間の陽の光として私を刺した。
私は彼女のバンドを生で見たいと思った。
しかし、私が彼女らを知ったときにはもうしばらく活動をしていないようだった。
そのことを寂しく思いつつも私がコレクションしているバンドはそうなっていない方が珍しいので、別にひどく落胆もしなかった。
やがて季節が移り変わるのに合わせるように彼女の映像を繰り返し見ることも少なくなった。
再び彼女をこの目に映したのは、初めて目にした日から一年以上が経った年末だった。
いつもの様に私は映像を見漁っていた。
そんな中、新たに見つけた映像に映るバンドに私は見覚えがあった。
例の彼女のバンドだった。
最近活動を再開したらしいということが暫く見ていなかった彼女らのSNSに書かれていた。
さらに年を明けて少し経った頃にライブの予定があるということも分かった。
会場は少し遠いが、電車を乗り継ぎ行けない距離では無い。
ここ最近で一番気分の高揚した私は早速チケットを確保し、来る年明けを楽しみにした。
ついに年が明け、私は目的の地へと向かった。
そこは衛星都市でまあまあ発展していた。
正月ももう明けたというのにくたびれたクリスマスの装飾が所々に散見される。
遅い午後からのライブだったので、到着した頃には仕事終わりと思われるサラリーマンが虚ろな目で私の来た道へと向かっていた。
数日前に降った汚れた雪があちこちの日陰にうず高く積まれている。
人はいるのに寂しい街だった。
私は携帯の地図とガンを飛ばし合いながらライブハウスへと向かった。
私はライブハウスに余裕をもって到着し、受付を済ませドリンク片手に地下への階段を降り、箱の前の方に陣取った。
百人入るか入らないかの会場だった。
人が集まってくる毎に気温湿度が上がるのを感じた。
集まって来る人間は若者を中心に三者三様、学生から老人まで揃っていた。
最終的に八割方のスペースが埋まった。
いよいよ時間となり会場はライトが消え、客席に緊張と期待と静寂とが一瞬にして走った。
右手に持ったドリンクの結露した雫が手を伝い私の靴の甲に零れているのをその一瞬だけ意識した。
少し瞬きした次の刹那、彼女がステージに立っていた。
ライブは終演した。
完璧なライブだった。
感動もした。
私は最後まで楽しんでいた。
だが、終演直後私は狐につままれた様な気分だった。
それが何故だか分からなかった。
憧れた白いワンピースの彼女。
澄んだ中に一点の曇りが見えるあのセンチメンタルなバンドサウンド。
そして会場の熱気と湿度はあの梅雨の晴れ間に私を連れて行った。
どこをとっても完璧だった。完璧なはずだった。それを私は望んでいるはずだった。
興奮と緊張で火照った体でいやに冷静な頭を抱え、数時間前来た道を戻り駅へのろのろ向かった。
ふと、行きに見かけた日陰の雪に目が行った。
その雪は子供の悪戯か分からないが、上の方が削れ、真白い部分が露わになり、街の光に照らされ普通の雪以上に綺麗だった。
それを見た私は「ああ、なんだ。」と呟いた。
私はちょっとした思い込みをしていたのだ。
それは別段複雑でも怪奇でもなく、私に自覚し分析しようという気が無かっただけだった。
私は足取り軽やかに駅へと向かった。
道の途中ふと振り返ると、かつてそこにあった陰鬱な街並みはぐずぐずと融解し始めた。
私はそれを土壌に種を撒いた。
すると種はたちまち萌芽し、地面を這うようにして緑がとめどなく急速に成長し、あっという間に私のつま先からつむじまでの全身を包んでしまった。
息苦しいので顔の緑をむしるように剥ぎ取ると、永遠に成長を続ける新緑が見え、私にはやがて新緑は星を覆ってしまうように思えた。
もしゃもしゃする緑に構わず頭を上に向けると、天球は青く塗りつぶされ、そこに入道雲が貼ってあるのが見えた。
なんだか物足り無い気がしたので私は呟いてみた。
「みーんみんみんみんみん」
答えてくれるものはいなかった。
オルタナティブ 夏樹 蜜柑 @kantarosawaya
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